第五十八話
出された朝食(焼き魚、卵焼き、そして輝く白米)を前に、継人は「いただきます」と手を合わせた。 昨夜の酒がまだ少し残っているが、空腹には勝てない。
(……そうだ、飲み会) ご飯を一口頬張りながら、継人は昨夜の出来事を必死に思い出そうとしていた。 (あの、最後に話しかけてきたヤツ……) 店長に、報告しないといけない。
「あの、店長」
「ん」 新聞をめくる音だけが返ってくる。
「昨日、飲み会で……なんか、変なヤツがいて」 「……」
「友だちの友だち、だと思うんですけど……。あれ、男だったか……女だったか……」 記憶が混濁している。酔っていたせいで、顔も声も曖昧だ。 ただ、あの単語だけが、妙に耳にこびりついている。
「『誑かした』って……。俺が、店長をどうやって誑かしたのか、って……」 そこまで言って、継人は言葉に詰まった。 (……でも、それだけだ) ぬらりひょんさんも同じ言葉を使っていたが、それだけで「あの婆さんの知り合い」と決めつけるのは、考えすぎだろうか。
「……いや、でも……」
継人がうまく言葉をまとめられずにいると、新聞の向こうから、店長の気だるげな声がした。
「……ゆっくり食べてから話しな」
「え?」
「なんか、あったんでしょ」 新聞は、めくられたままだった。
(……) 店長のその言葉に、継人は少しだけ落ち着きを取り戻した。 (そうだ。ちゃんと整理してから、話そう) 食べながら整理していたら、やはり、あの単語の一致は偶然とは思えなくなってきた。 (やっぱり、話しておこう)
さて、どう話そうか。 継人は、そう考えながら、隣に置かれた味噌汁をズズ、と啜った。
「―――っ!?」
(……うまっ) 出汁の香り、味噌の深み、具材の豆腐とワカメの完璧な調和。 二日酔いの体に染み渡るような、とんでもない美味さだった。 あまりの美味さに、さっきまで悩んでいた「どう話そうか」という思考が、一瞬で吹き飛んだ。
「あはは。バイト君、いい顔するね」 向かいのラキさんが、お茶を飲みながら笑っている。
「ちなみに、その味噌汁、店長が作ってんだよ」
「えっ!?」 継人は、味噌汁の椀と、新聞の向こうの店長を二度見した。
「ほ、本当に、ものすごく美味しいです!」 継人が素直な感想を口にすると、なぜかラキさんと、隣でご飯をかき込んでいたホシさんが、我がことのように嬉しそうな顔をした。
当の本人である店長は、新聞から顔を上げないまま。 ただ、一言。
「……よかった」 と、呟いた。




