第五十一話
あれから、ぬらりひょんは「ぬらの婆さん」として、時折ふらりと店に現れるようになっていた。時には老婆の姿で、時には妖艶な女性の姿で。
その日も、彼女は美しい女性の姿でカウンターに座り、店長が出した茶(ただの番茶だ)をすすっていた。
「……それにしても」 ぬらりひょんは、楽しそうに目を細めた。
「あの初対面の日、あんたが『酒呑童子』だって聞いて、興味本位でやってきたはいいが……まんまと私を『人間』だと思ったろう?」
「……」 店長は、タバコをふかしながら気のない返事をする。
「……あんたが『人間じゃない』って匂いは、あの時わからなかった」
「カカカ」とぬらりひょんは喉を鳴らして笑う。
「そうだろう、そうだろう。大したもんだよ、酒呑童子。鬼でありながら、そこまで人間の感覚に近い感性を持てるようになっているとはね」
「……」
「あんたが『人に寄り添いたい』なんて殊勝なことを考え始めたからさ。だから、あんたの視点が、私を『人間』だと誤認した。……本当に、大したもんだよ」
店長は、何も答えずに煙を吐き出す。図星だった。
「気に入ったよ、酒呑童子」 ぬらりひょんは、湯呑みを置いた。
「あんたの、その愚直な姿勢。……どうだい? この店、私が支援してやろうじゃないか」
「……タニマチになるってことか」
「話が早くて助かる。その代わり、私の『暇つぶし』に付き合ってもらうがね」
ぬらりひょんは、続ける。
「それにしても……『人に寄り添いたい』なら、手っ取り早く、人間でも雇えばいいだろ? なんで、わざわざこんな場所で、人間じゃない連中ばかり相手にしてるんだい」 その問いに、店長はタバコの煙を見つめながら、静かに答えた。
「……まだ、人間の近くには、いられない」
外道丸と呼ばれた頃の記憶。酒に溺れ、人を恨み、恨まれた過去。それが、まだ彼女を縛っていた。 ぬらりひょんは、その返事を聞くと、満足そうに頷いた。
「……そうかい。まあ、いいさ」 彼女は立ち上がり、店の出口へ向かう。
「じゃあ、約束だ。いつかあんたが、その店で人間を雇うようになったら……必ず、私に教えるんだよ」
「……」
「あんたに見合う人間かどうか。この私が、直々に値踏みしてやろうじゃないか」
ぬらりひょんは、引き戸に手をかけ、悪戯っぽく振り返った。
「そろそろ、人間との付き合いを『してもいい』段階なんだからさ。……あんたも」
「……うるさいババアだ」 店長は、ジト目でぬらりひょんを睨めつけた。
「ただ、からかいたいだけだろ」
その憎まれ口が、ほんの少しだけ嬉しそうに聞こえたのを、ぬらりひょんは聞き逃さなかった。




