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第三十六話

店長が本物の酒呑童子だと知ってしまってからも、バイトの日々は変わらず過ぎていく。 今日も今日とて、店は暇だ。 継人がカウンターの隅でスマホをいじり、店長が定位置でタバコをふかしていると、ガラガラ、と引き戸が開いた。


(お、客か) 継人が顔を上げると、そこに立っていたのは、今までで一番、色々な意味で強烈な客だった。


(……半裸?) 西洋人風の、彫りの深い顔立ちをした男性。だが、服装がおかしい。分厚い布一枚を、古代ギリシャの彫刻のように肩からかけているだけで、ほぼ裸だ。頭には、紫に色づいたブドウのつるで作ったかんむりを被っている。 そして、少し千鳥足だ。明らかに、酔っている。


男は、トロンとした焦点の合わない目で店内を見回すと、持っていた年代物のワインボトルを、ドン、と床に置いた。 そして、棚にいつから置かれていたのか分からない、カピカピに乾いたライ麦パン(たけまるさんが置いていった靴下よりはマシか……)を掴むと、満足そうに頷き、ふらふらと店を出ていった。


「……」 嵐のような、というか、ただの酔っ払いのような客だった。 特にトラブルもなかったな、と継人が店長を振り返った、その時。


(……え?)


店長が、固まっていた。 タバコを指に挟んだまま、微動だにしない。 いつもの気だるげな様子とは違う。まるで、時間が止められたかのように、ただ一点を凝視している。


その視線の先は――床に置かれた、あのワインボトル。


「……店長?」 継人が声をかけるが、反応がない。 (まさか……) 継人は、先日ラキさんたちが言っていた「お酒で失敗した」話を思い出す。 (もしかして、ダメなヤツか?)


継人は、恐る恐るカウンターから出て、そのワインボトルを手に取った。客の忘れ物だと思われると困るから、カウンターの奥にでも下げようと思ったのだ。 継人がボトルを動かしても、店長は動かない。 いや――動いた。


(……こわっ) ボトルの位置が変わると、店長の視線(と顔)が、まるで磁石に吸い寄せられる鉄のように、ぬるり、とワインボトルを追いかけてきたのだ。 タバコを吸うのも忘れ、灰がポトリと床に落ちても、気づいていない。


「て、店長!?」 その、あまりの執着ぶりに、継人は本気で恐怖を覚えた。 (ヤバい、これ、俺じゃどうにもできねえ!) 継人はワインボトルをカウンターに置くと、店の奥、あの『従業員用』の暖簾のれんに向かって叫んだ。

「ラキさん! ラキさん、いますか! ちょっと、助けてください!」


バタバタッ!と、すぐに奥から足音が聞こえ、ラキさんが顔を出した。

「どしたの、バイト君! って、あ……」 ラキさんは、店の異様な空気と、カウンターの上のワインボトルと、それを凝視して固まっている店長を交互に見て、すぐに全てを察したようだった。


「あぁ〜……」 ラキさんは、深いため息をついた。

「バッカスさん、来たのね。もう……あれほど、ワインだけはやめてくれってお願いしてたのに……!」


ラキさんは、ブツブツと愚痴りながらカウンターに入ると、そのワインボトルをひょいと掴み取り、暖簾の奥へと持って行こうとする。


その間もずっと。 店長は、一言も発さず、ただ、ラキさんの手の中にあるワインボトルを目で追っていた。 ボトルが暖簾の向こうに消え、完全に見えなくなる、その最後の瞬間まで。 まるで、愛しい何かと引き離されるかのように、名残惜しそうに――。


ワインの姿が消えると、店長は「はっ」と我に返ったように息を吐き、すぐに新しいタバコを取り出して、カチリ、と火をつけた。

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