第三十話
翌日、大学の講義を終えた継人は、いつも通りバイト先へと向かった。 だが、店の前に着いて、継人は足を止めた。 あの古びた引き戸の前に、見慣れた人影が立っていたからだ。
「……店長?」 店長が、店の外にいる。それだけでも珍しいのに、彼女は愛煙家であるはずのタバコを吸っていなかった。手持ち無沙汰なのか、時折、長い前髪を鬱陶しそうにかき上げている。 その横顔は、いつもの気だるげさに加え、どこかイラついているようにも見えた。
「店長、どうしたんですか? 外で」 継人が声をかけると、店長はビクッと小さく肩を震わせ、面倒くさそうに振り返った。
「……ああ、バイト君か」
「『ああ』って……。なんか、様子おかしくないです?」
「……別に。それより、あんた」 店長は、ため息混じりに言った。
「昨日、くまから聞いてないだろ。今日、バイト休みだって」
「え?」 継人は、昨日のくまさんとの会話を思い返す。 (……そういえば、言われてない) 泊まりだとは言っていたが、今日のバイトが休みだとは一言も聞いていなかった。
「確かに聞いてないですけど……。でも、わざわざ外で待っててくれるほどの内容でも……」
「いいから」 店長は継人の言葉を遮ると、懐から茶封筒を取り出し、押し付けるように渡してきた。
「これは今週分。今日は悪いが、このまま帰ってくれないか」
その、あまりにも「追い払おう」とする態度に、継人は確信した。 (絶対、何かあったな) 店の中から、物音一つしないのも不気味だ。
「……店長。何かあったんですか? 店の中で」 「……」 店長は、ジト目で継人を数秒見つめたが、やがて、ふいと視線を逸らした。
「ん〜。……ちょっとな。色々(いろいろ)と、あるんだよ、大人には」
「はあ……」
「嘘は言わないが、言えないこともあるんだ。……」 まただ。いつもの、はぐらかす時の返事。 これ以上、継人が聞けることは何もなかった。
「……分かりました。じゃあ、失礼します」 継人は、釈然としないまま頭を下げ、駅へと踵を返した。 店長は、継人が見えなくなるまで、なぜか頑なに店の中へ戻ろうとせず、外に立ち尽くしていた。
―――継人が後で知ることだが、この時、店の中では。 ラキ(茨木童子)をはじめ、くま(熊童子)、ホシ(星熊童子)、カネ(金熊童子)、トラ(虎熊童子)ら、酒呑童子の部下たちが総出で、店に発生した一匹の「ネズミ」の退治に追われ、大捕り物を繰り広げていたらしい。
そして、店長が外にいた理由は、ただ一つ。 彼女は、ネズミが死ぬほど苦手だからだったという。




