第二十二話
奇跡が起こっていた。 いや、この店でバイトを始めてから、毎日が奇跡みたいなものだが、これは別格だ。
(客が……二人いる)
それも、同時に、だ 。 店長曰く「客同士で鉢合わせる事は珍しい」はずのこの店で、二人の客が、棚を挟んで真正面から睨み合っていた。 一人は、巨大な風袋のようなものを背負った、野性的な男。 もう一人は、背中にいくつもの太鼓を輪のように背負った、厳しい顔つきの男。
バチバチ、と音が聞こえてきそうなほどの緊迫感。 店内の空気が、湿ったように重く張り詰めている。
「……」 店長は、カウンターの定位置でタバコをふかしながら、その二人(二柱?)を気だるげに眺めている。いつも通りだ。 だが、継人は違った。 あまりの迫力に、カウンターから一歩も動けない。とてもじゃないが、「いらっしゃいませ」などと声をかけられる雰囲気ではなかった。
「あ、あの……店長」 継人は、カウンターに隠れるようにしながら、小声で店長に尋ねた。
「あのお二人は……?」
「ん?」 店長は、ジト目を二人から継人へと移す。
「ああ。風神と雷神だ」
「ふ、風神と雷神!?」
(あの、俵屋宗達の絵の!?) まさか、そんな大物(?)まで来るとは。 継人は、恐る恐る二柱を盗み見る。
「……でも、風神と雷神って、セットというか……仲がいいんじゃないんですか?」 素朴な疑問だった。 すると、店長は「なんで?」とでも言うように、心底不思議そうな顔で継人を見返した。 (え、そういうわけでもないのか……)
「け、喧嘩、始まったりしないですよね?」
「分からん」 店長は、また気だるげに二柱へ視線を戻した。
「神様同士の喧嘩は、私も初めてだからなぁ」 そう言って、ふう、と面倒くさそうにタバコの煙を吐き出す。
(初めてって、店長!) 継人が内心で叫んでいる間にも、二柱の睨み合いは続いている。風神が持つ袋がゴウ、と鳴り、雷神の背中の太鼓がピリ、と震えた気がした。 (やばい、やばいって!)
その時、店長の気だるげな声が、張り詰めた空気に割り込んだ。
「……決まらないんですかぁ?」 二柱の視線が、一瞬だけ店長に向かう。
「ここで暴れられて、この店が無くなったりしたら……」 店長は、カウンターに肘をついたまま、続けた。
「皆さんから、どんな報復があるか分かりませんよぉ? この交流の場を潰したってんで」
その一言は、効果てきめんだった。 風神と雷神は、ピタリと動きを止め、我に返ったように視線を逸らす。 そして、それぞれが無言で棚に自分の品物(風神は小さな竜巻の入った瓶、雷神は何か焦げた木片)を置くと、目当ての品(風神は例の蝋燭、雷神は天狗の葉団扇)を掴み取り、バツが悪そうに足早に店を出ていった。
「……すっげえ……」 嵐が去った店内で、継人は興奮冷めやらない様子で呟いた。 (今の、完全に店長の脅しが効いたよな……!) 神様を手玉に取る店長。やはり、ただ者ではない。
継人が興奮気味に店長を振り返ると、彼女はいつも通り、何も変わらない表情で。 カチリ、とライターの音を響かせ、新しいタバコに火をつけていた。




