第十七話
翌日。 「明日も出張だから休み」という店長の言葉通り、継人の午後はぽっかりと空いてしまった。 大学の講義が終わり、カバンに教科書を詰め込みながら、どうしたものかと思案する。弁償のためのバイトのはずが、休みがちだし、なぜか給料も貰っている。あの店は、継人の日常に奇妙な形で組み込まれつつあった。
「おーい、継人!」 背後から、やけに馴れ馴れしい声がかかる。振り向くと、同じ学部の同期が二人、ニヤニヤしながら肩を組んできた。
「お前、最近付き合い悪いじゃないか。またバイト?」
「あ、いや、今日は休みなんだ」
「ふーん?」 片方の友人が、継人の服の匂いを嗅ぐように、くん、と鼻を鳴らした。
「なんかお前、最近タバコ臭くね? 吸うようになったのか?」
「え!? 吸ってねえよ!」 (やべえ、店長の匂いか……!) あの狭い店に長時間いれば、服に匂いが染み付くのも無理はない。
「まあまあ、いいじゃんか」 もう一人の友人が、継人の背中をバンバンと叩く。
「彼女と別れたって聞いたぞ。みんな知ってるんだからな。励まし会だ! 今日は飲みに行こうぜ!」
「ええ……」
「どうせ暇なんだろ? 今日バイト休みなんだし!」 「……まあ、確かに」
友人の言う通りだ。久しぶりにパーッと飲むのも悪くない。
「……行く! 行くわ!」
「よっしゃ! さすが継人、話が分かる!」
***
夜の街は、大学生の馬鹿騒ぎを受け入れるには十分な賑わいを見せていた。 駅前の安い居酒屋で、継人は仲の良い3人組でくだらない話に花を咲かせ、久しぶりに腹の底から笑った。 (……なんか、こういう普通の時間、すげえ久々かも) 河童だの天狗だの、ゴールデンレコードだのとは無縁の世界。これが本来の自分の居場所なのだと、酔った頭でぼんやりと思う。
「おー、飲んだ飲んだ。さて、二軒目行くか?」
「いや、俺もう帰るわ。明日一限だし」
「ちぇー。じゃあ解散か」
いい感じに酔いが回り、千鳥足で店を出る。冷たい夜風が火照った顔に心地いい。 その時だった。
「ん?」 雑踏の中、前方から歩いてくる集団に、継人は見覚えのある姿を見つけた。 (あ……) 間違いない。 気だるげに歩く、茶色の長髪。その隣には、先日店番をしていた、人懐っこい笑顔のラキ。そして、初日に暖簾の奥から出てきた、あの短髪で元気のいい女性。 三人とも、私服(?)姿だ。
「あ、店長……」 継人は、酔った勢いもあって、反射的に声をかけようとした。 その瞬間。 店長が継人の視線に気づき、すっと顔の前で人差し指を立てた。 (シーッ) 静かに、というジェスチャー。
三人は、継人のことなど知らないかのように、そのまま横を通り過ぎていく。店長は一瞬だけジト目を継人に向けたが、すぐに視線を前に戻してしまった。
「……?」 継人が呆然とその後ろ姿を見送っていると、隣の友人が肘で小突いてきた。
「おい、継人。どうした?」
「あ、いや……」
「何あの子。今のポーズ、超意味深じゃね?
「つーか、めちゃくちゃ美人じゃん! 継人、知り合い?」
「え、あ、まあ……バイト先の」
「「へえー!」」
友人たちは、口々に店長の容姿を褒めている。だが、もう一人の友人が、首を傾げながら呟いた。
「でもよ。あんな美人、一人であんな夜道歩いてて危なくね?」
「―――え?」
継人は、友人の顔を見た。
「……一人?」 (いや、今、三人だっただろ。店長と、ラキさんと、あの女の人と)
「なにが?」
「え? いや、今の人、一人だったじゃん」
「……」
友人の言葉が、酔った頭にうまく響かない。 (一人……?) 継人はもう一度、遠ざかっていく雑踏を振り返った。 だが、ラキたちの姿は、もう人混みに紛れて見えなくなっていた。




