第十六話
ボイジャーのレコードが棚に置かれたあの日から、継人の胸には、あの『飴玉』に対する漠然とした不安が、澱のように溜まり続けていた。 (今日こそ聞く) 継人は固く決意していた。 店長は相変わらずカウンターでタバコをふかし、スマホをいじっている。暇なのは、いつものことだ。
(あの飴玉は、やっぱりヤバいモノなんじゃないか?) ラキが口を滑らせた時の、あの必死な形相。そして、天狗が店長を呼んだ「大江山の」という奇妙な呼び名。 この店は、俺の想像を遥かに超えた場所だ。そこで食べてしまった「何か」。 弁償だのバイトだの以前に、自分の身に何が起きているのかを知る権利があるはずだ。
「あの、店長!」 継人が、意を決して声を張り上げた。 その瞬間だった。
ピリリリリ……!
店長のスマホが、間の悪いことに着信音を鳴らした。 「……ん」 店長は、継人に「黙れ」とでも言うように片手を上げると、スマホの画面を一瞥した。そのジト目が、わずかに険しくなる。
「……ああ、私だ」 気だるげに電話に出た店長は、すぐに椅子から立ち上がった。
「……いや、店だ。……ああ、バイト君がいる」
店長はそう言うと、タバコを灰皿に押し付け、通話を続けたまま『従業員用』の暖簾の奥へと姿を消した。
(……またこのパターンか) 継人はため息をつく。 だが、今日は何かが違った。暖簾の向こうから聞こえてくる店長の声は、いつもの気だるさを完全に失い、張り詰めた緊張をはらんでいた。
「……だから、それは時期尚早だと言ってる。……ああ、認識はできん。だが、あいつには見えてる」 深刻そうな声のトーン。 継人は、聞き耳を立てるつもりはなかったが、次の単語にはっと息を呑んだ。
「……こっちの狙いがバレる。あの『飴』の影響がどこまで出てるか、まだ……」
(飴――!) 間違いない。今、『飴』と言った。 やはり、あの飴玉について何か深刻な事態が動いているのだ。
継人は固唾を飲んで暖簾の奥を見つめる。 (電話が終わったら、今度こそ、絶対に聞く) 何をごまかされようと、絶対に問い詰めてやる。
数分のやり取りの後、店長が「……わかった。すぐ手配する」と通話を切る気配がした。 やがて、暖簾が乱暴に開けられ、店長が戻ってくる。その顔は、継人が今まで見た中で最も険しいものだった。
「あ、店長! さっきの電話……」
「バイト君」 継人の言葉を遮り、店長は一方的に告げた。
「今日はもうあがりだ。帰れ」
「えっ、でも、まだ……」
「いいから帰れ。それと、明日も私が出張だから、バイトは休みでいい」
「! またですか」
「ごちゃごちゃうるさいな」
店長はそれだけ言うと、継人を追い出すように店の引き戸の方を顎でしゃくり、再びバタバタと暖簾の向こうへ戻っていく。
「いばらき! クマ! すぐ集まれ!」 遠ざかっていく店長の鋭い声。 (いばらき……? ラキさんのことか? クマって誰だ……?)
継人は、なす術もなく店の外に立ち尽くすしかなかった。
「……結局、飴玉のこと、聞けなかったな」 初秋の冷たい風が、がっかりした継人の金髪を揺らしていった。




