第百十一話
店長の手は、まだ継人の両肩に置かれたままだった。見えない術式が発動している気配だけが、肌をピリピリと刺す。 「……今から、君の記憶を書き換える」 店長(は、静かに告げた。
「この数ヶ月……この店で起こった全ての事。『化物達』や『あやかし』、『理外の生き物』に関わった記憶は全部、君が人間社会で普通に過ごした事として、認識するように書き換える」
「……」
「結構、大掛かりな術だ。……だから、動かないでくれ」
継人は、何を言われているのか、理解することを拒んだ。 記憶を? 書き換える? なぜ?
「待ってください! 俺!ここでのバイト、結構上手くやってたと思うんです!」 必死に訴える。
「店長にも、ラキさんたちにも、すごく良くしてもらって……! 俺、すごい楽しかったんです!」
「……ああ。私達もだ」 店長の声が、少しだけ震えた気がした。
「今、茨木たちも……そう言ってるよ」
「じゃあ、なんで……! 俺、ちゃんとさよならも言えてないです! ラキさんたち、どこ行ったんですか!? こんな、唐突に……訳がわからないです!」
「……そうだな。それは、悪かった」 店長は、俯き加減に言った。
「だけど、大丈夫だ。……その記憶も、ちゃんと書き換える。『君のバイト先は、潰れた』……そういう記憶にする」
「記憶を書き換える必要なんて、ないじゃないですか!」 継人は叫んだ。
「俺、別にここの事、誰かに言いふらすつもりなんて、ないです!」
「……」 店長は、顔を上げた。その目は、もう涙で潤んでいた。
「……あいつ(アメノウズメ)にも言ったが」
「……」
「君は『人間』で、私は『鬼』なんだ」
「人は人の道を進むべきだし、鬼は鬼の道を進むべきなんだ。……私達の道は、交わっちゃいけないんだよ」 店長は、苦しげに言った。
「だから、私は……君たち『人間』とは、縁を持たないようにしているんだ」
「なんで……! なんで、そんなこと、今言うんですか!」 継人の目にも、涙が浮かぶ。
「今まで! 散々『騙さない』って言ってた癖に!」
「一番大きな嘘を、ずっとついてたってことじゃないですか! なんで!」
店長の目からも、さっきの泣き暴れとは全く違う、静かな涙が頬を伝った。 彼女は、泣きながら、ふわりと微笑んだ。
「……ああ、そうだ」
「人間なんて、簡単に騙せるんだ」
その顔を見た瞬間。 継人の頭の中で、今までの店長の言動がフラッシュバックした。 はぐらかすことはあっても、一度も嘘をつかれたことはなかった。
「人を騙さない」と、いつも言っていた。
(……この人は……) 今、ここで嘘をついている店長は。 自分の矜持を曲げてなお、俺を守ろうとしてくれている。 その、痛いほどの優しさに、継人は気づいてしまった。
継人の目からも、涙が溢れ出した。
「……また、会えますか?」
店長は、泣きながら、それでも優しく微笑んだ。答えはなかった。 代わりに、彼女はそっと、継人を抱きしめた。
「……本当に、楽しかったよ。廻継人君」 耳元で、震える声が囁く。
「……記憶が書き換わったら、君を駅のロータリーのベンチに座らせておくね」
「……君が、石と交換するものは……私が、ちゃんと持たせてあげるね」
それを聞いたのを最後に。 継人の頭の中で、何かがプツリと切れたように、記憶が途切れた。




