第7話「王子の宣言と騎士の沈黙」
仮面舞踏会の夜、静かに放たれた“宣言”が王宮を揺らす。
セイラをめぐる視線、揺れる感情。
それぞれの心の奥に灯った想いは、まだ言葉にならないまま――
王子と騎士、それぞれの沈黙の意味とは。
翌朝、王宮は不穏な空気に包まれていた。
それは、昨夜の仮面舞踏会でゼノ王子が放った“ひとこと”のせいだった。
――「セイラ様を、妃候補として正式に迎える意志がある」
その場では華やかな音楽にかき消されていたものの、耳にした貴族や令嬢たちは確かに覚えている。
そしてその噂は、夜明けと同時に城中へと広まっていった。
セイラ自身もまた、その波紋の中心に立たされていた。
「セイラ様……お茶をどうぞ……」
部屋付きの侍女が震える手で差し出すティーカップから、湯気が静かに立ちのぼる。
けれどセイラは、手をつけられずにいた。胸の奥が、ざわざわとしていた。
(昨日の、ゼノ様の言葉……本気だったの?)
王子の言葉ひとつで、周囲の態度がこうも変わるとは。
目を合わせれば、憧れと警戒が入り混じった視線が突き刺さる。
ふと、テラスでのリオンとの会話が脳裏をよぎる。
『…俺は、あなたを守ります。……次は何があっても、必ず選択を誤ったりはしない』
あのときの静かな眼差しが、なぜか今も胸の奥で温かく灯っていた。
けれどそれもまた、戸惑いを深める火種だった。
「……わたし、どうすればいいの?」
小さくつぶやいた声は、誰にも届かない。
ただ、朝の光だけが静かにカーテンの隙間から差し込んでいた。
* * *
廊下を歩くゼノの足取りは、いつになく軽やかだった。
傍らにはルシアがいたが、その表情は無言のまま冷えていた。
「セイラには、思ったより素質がある。王族に必要な直感……いや、"揺れなさ"を持っている」
ゼノの何気ない一言に、ルシアの瞳がわずかに揺れた。
「兄上は、あの娘に……本気なのですか?」
「妃候補として相応しいと判断しただけだよ。……それ以上は、まだ分からない……」
言葉を濁すゼノの背に、ルシアは視線を刺すように向けた。
その奥底には、苛立ちと焦燥、そして説明できない黒い感情が渦巻いていた。
* * *
午後、訓練場。
リオンは黙々と剣を振っていた。
ただひたすらに、風を裂く音だけが響いている。
「……妃、候補……か」
小さくつぶやいた声は、誰に向けたものでもなかった。
ゼノの言葉を聞いてから、胸の内がざらついていた。
騎士として、王子に異を唱えることはできない。だが――
(あの夜、あの距離で……彼女は俺を見ていた)
仮面越しではない、心の目で。
それだけは確かだった。
だが、だからこそ――今の立場では、届かない想いがある。
リオンは剣を振るう動きを止め、空を仰いだ。
その青空の奥に、いつか交わした“誓い”のような微かな決意が、浮かび上がっていた。
(俺は、あの人を……)
そしてその言葉の続きを、彼はまだ呑み込んでいた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ゼノの宣言によって、セイラの立場は大きく変わり始めました。
そしてリオン、ルシア、それぞれの感情もまた、密かに動き出します。
次回、セイラの過去に繋がる“秘密の花園”で、新たな記憶の欠片が待ち受けています。
引き続きお楽しみいただけると嬉しいです!