第5話 嫉妬と疑念のはざまで
王子の言葉、騎士のまなざし。
心を揺らす出来事の一つひとつが、セイラの胸に影を落とし始めます。
そして、それを見つめるもうひとつの瞳。
第二王子・ルシアの心に芽生え始めた、黒い感情とは……?
三人の想いが交差する、静かで危うい一幕です。
翌朝、セイラはまだ重たい気持ちを引きずったまま、王宮の中庭へ向かっていた。
夜のリオンとの会話は温かくて、確かに救われたと思った。けれど――ゼノ王子の言葉は、簡単に忘れられるようなものではなかった。
「セイラ!おはようございます。」
ふと、すぐ近くから聞き慣れた声がした。振り返ると、ゼノ王子が微笑みを浮かべて立っていた。いつものように完璧な装い。けれど、その笑みの奥には、昨日より少し鋭さがあるように思えた。
「昨夜は、、無理をさせてしまって申し訳ありません。」
「いえ……お気遣いなく……」
セイラは微かに頭を下げた。その視線の先で、ゼノ王子の瞳がじっと彼女を見つめていた。
「昨夜、あのあと……。リオンと何を話したのですか?」
「……え?」
セイラの表情が、一瞬で固まった。
「いや、詮索するつもりじゃなかったのですが……。あのリオンが……彼があなたを連れ出したこと、あれは少し、気になります。何かあの後あったのですか?」
ゼノ王子の声は穏やかだったが、そこには確かに「嫉妬」が滲んでいた。
彼の言葉の余韻が残る中で、もうひとつの視線がふたりを捉えていた。
離れた回廊の影から、その様子を無言で見つめる者がいた。
第二王子・ルシア。
(……リオンだけじゃない。兄上まで、あの娘に……)
彼の胸の奥で、黒い感情が静かに広がっていく。
(よくもまぁ、ふたりをその気にさせて……)
唇の奥でつぶやいた言葉が、冷えた空気に紛れて消えていく。だがその視線は、セイラに向けられるものとは思えないほど鋭く、重かった。
「ルシア!!そこにいたのか。こちらへ来なさい」
ゼノの声が静かに響いた。ルシアは一拍置いてから、ゆっくりとふたりの前に姿を現す。
「兄上。…おはようございます…何のご用でしょうか?」
「ルシア!まだ挨拶していないだろう?彼女に挨拶を」
ゼノの言葉に、ルシアはちらりとセイラを見た。冷めた視線の奥に、感情が渦巻いている。
「…はじめまして、異世界からの“来訪者”様。
私はアルセイラ王国第二王子のルシア・グランリュードと申します。
特別な”来訪者”様に、兄上も、リオンも……随分とご執心のようですね……」
その声音には皮肉が滲んでいた。
瞳の奥には、どこか探るような色があった。
セイラは一瞬、どう返せばいいかわからず、ぎこちなく会釈し思わず小さく息を呑む。
だが、次の瞬間――
「ルシア……彼女に対する態度を、改めた方がいいんじゃないか?」
ゼノの声が激しく響く。
「彼女はただの異世界からの来訪者ではない。この王宮にとって、特別な存在だ。
……ルシア。お前は第二王子として、今のその振る舞いは、決してふさわしくない」
その言葉に、ルシアの眉がかすかに動いた。しばしの沈黙ののち、彼はゆっくりと頭を下げた。
「……申し訳ありません。兄上」
声は低く、どこか不器用ににじむ誠意があった。
「失礼を承知で話しますが、私はこの娘の価値がわかりません。兄上やリオンは騙されているのでは、、」
ゼノの目がかすかに揺れすぐに、ため息と共に、怒りと失望の声で返した。
「……ルシア!!お前は“第二王子”として、今のその言葉。許せないぞ一体どうしたんだ?」
しばしの沈黙のあと、ルシアは表情を伏せ、小さく一礼した。
「……申し訳ありません、兄上。ご忠言、感謝します」
その声には確かに、兄であるゼノに対する敬意が滲んでいた。
だがその奥に、押し殺した感情の影が見えたのは、ゼノも感じ取っていた。
「すまない。セイラ……ルシアはまだ王子として未熟な為に勉強中なんだ。少しの暴言許してやってくれ。」
ルシアはそれ以上何も言わず、視線をセイラにだけ一瞬向け、すぐにゼノに一礼をし踵を返して回廊の奥へと去っていった。
(……あの女には何かがある。リオンも、兄上も……惑わされて騙されている。なぜ、僕が怒られなければならないんだ、クソ。必ず見つけてやる。)
彼の中に渦巻く「嫉妬」と「疑念」は、まだ静かに、だが確実に膨らみ始めていた。
静けさが戻った中庭に、セイラとゼノだけが残った。少しだけ、気まずい空気が流れる。
「……少し歩きませんか?気を紛らわせるためにも」
「……はい」
ふたりはゆっくりと庭の奥へ向かって歩を進めた。季節の花が風に揺れる中――ふと、見知った人影が目に入る。
「……リオン?」
ゼノが立ち止まった。セイラもその視線を追って、少し離れた噴水のほとりを見る。
そこには、リオンが立っていた。そして彼の前には、セイラが見知らぬ女性――
ふわりと風に舞うような長い栗色の髪。繊細で優しい雰囲気をまとった彼女に、リオンは何かを手渡している。
白い封筒――王宮の紋章が押された、仮面舞踏会の招待状だった。
「……何を渡してるんだろう?」
思わず、セイラがゼノに尋ねる。
ゼノは一瞬、返事をためらったように口を閉ざし、それからぽつりと呟いた。
「……あの子はミアーナ。幼なじみです。王宮の外で暮らしている」
「……幼なじみ?ゼノ様の?」
「ええ。リオンに、頼んで渡してもらっています。招待状を……」
ゼノの声がわずかに揺れていた。ミアーナを見つめている横顔は幼なじみに向けた顔ではなかった。
セイラはその横顔に、どこか触れてはいけない静けさを感じた。
「私は……第一王子ですから。直接、会うことは許されないんです。君みたいに何か、”特別”……がないと」
そう言った彼の背筋は、どこか痛々しいほどに凛としていた。
ミアーナがリオンに礼を言い、封筒を大切そうに胸に抱えるが、顔は喜んではいないのが見えた。
彼女の視線はどこか遠く、ゼノに気づいていないようだった。
リオンがふとこちらに気づき、軽く頭を下げると、再びミアーナに何か静かに言葉を添えた。
「……リオンは、私の信頼する騎士です。リオンは昔から……小さい頃からの私の専属騎士なので……彼にだけは何でも頼むことができるんです。」
その言葉には、王子としての孤独がにじんでいた。
セイラはその姿を見つめながら、心の奥で何かが静かに揺れるのを感じていた。
(ゼノ王子は……ミアーナさんを想ってるんだ。
ゼノ王子のこと……私は何も知らない……。)
なぜか胸の奥が、少しだけ痛かった。
その気づきは、言葉にならない感情をセイラに残したまま、仮面舞踏会の夜へとつながっていく――
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回はゼノ、リオン、そしてルシア――
それぞれの視線と感情がセイラに向けられた、緊張感ある回となりました。
次回はいよいよ「仮面舞踏会」。
王宮の華やかな夜に、どんな想いが交差するのでしょうか?
引き続き、見守っていただけると嬉しいです。