第4話「揺れる心と、冷たい視線」
王子の言葉に揺れる心。
けれどその手を引いてくれたのは、騎士のあたたかなぬくもりでした。
自分の気持ちと、向き合おうとするセイラ。
そして、気づかれぬ場所で、静かに燃え始めるもうひとつの想い──。
リオンに手を引かれ、セイラは王族の応接室を後にした。
沈黙のまま廊下を歩くふたり。豪奢な壁の装飾も、静けさをたたえる赤い絨毯も、今はただ無言で通り過ぎていく。
――あの時、ゼノ王子は確かに言っていた。
『僕は、第一王子としていずれ妃を迎えなければならない立場にある。けれど、血筋や格式より、君のような人間を選びたいと思ったら、それは波紋を呼ぶだろう』
その言葉が、耳の奥に残って離れない。
やがて、リオンが足を止める。そこは、セイラの部屋の前だった。
「お部屋までお送りいたしました。何か他にお手伝いできることは――」
「……リオン」
セイラは小さく彼の名を呼んだ。
その声に、リオンが少し驚いたように目を向ける。
「部屋の中で、少しだけ話してもいい?」
リオンは一瞬だけ目を伏せたのち、静かにうなずいた。
「……かしこまりました」
***
セイラはリオンを自室に招き入れた。
夜の帳がすっかり下りた窓の外には、深い群青の空と星々が広がっている。部屋の中は、ランプの淡い光が照らしていた。
ふたりは小さな丸テーブルを挟んで向かい合うように座った。紅茶も出さず、ただ静かに。
「さっき……ゼノ王子に言われたこと、正直、動揺した」
セイラの声はかすかに震えていた。
「妃候補なんて立場でもないのに。でも、彼は本気だったと思う。言葉のひとつひとつが、重くて……どこか、優しかった。でも、それだけじゃない」
「駆け引き、ですね」
リオンが低く、穏やかな声で口を開いた。
セイラはうなずく。
「うん。王子としての顔が、ちゃんとそこにあった。優しさと同時に……何か、試されているような気もした」
そう言ってセイラは、まっすぐにリオンの瞳を見つめる
「でもね、私が困っている時。あの場から連れ出してくれたのは、リオンだったの」
リオンは、その視線から逃げるように目を伏せた。
「……私の判断が、セイラ様にとって余計なことであったなら……」
「そんなこと、ない」
セイラはきっぱりと否定した。
「あなたの手は、昔から優しくて、力強くて。あの時……救われたと思ったよ……。(昔から?)王子の言葉に困っていた私を、外へ連れ出してくれた。……リオンがいてくれて、よかった……リオンに出会えて、本当に……」
その言葉に、リオンは小さく目を見開いた。
それは、ただの感謝ではない。昔……どこか、遠い記憶を手繰るような――懐かしさが、セイラの声ににじんでいた。
それが何なのか、まだ彼女自身も分かっていない。けれど、リオンの手の温もりに、セイラは確かに何かを感じ取っていた。
「……セイラ様が、困ることがないように、専属騎士として私にできることは、なんでもする。たとえそれが……どんな形でも」
その声は、まだ騎士としてのものだった。
けれど、その奥には、抑えきれない何かが確かにあった。
「ありがとう、リオン……」
セイラのささやく声で発する、リオンと言う名前を呼ばれた時の、安堵感が心に刺さる。
リオンは目を伏せたまま小さくうなずいた。
静寂が、ふたりを包む。
リオンが何かを言いかけた時、セイラはふと窓の外に視線を向けた。
夜風に揺れる木々の影。……でも、その奥に、気配を感じた。
「……どうしたの?誰か、いたの?」
セイラの不安げな声に、リオンも静かに立ち上がった。
窓辺に歩み寄り、外を見やる。
そして――目を細める。
気配の主に、彼はすでに気づいていた。
人の気配を隠すには、あまりに拙く、けれどその感情の揺らぎまでは──見える。
ルシア様――
そう心の中で名を呼ぶが、表情にそれを出すことはしない。
「……風の音のせいでしょう。ご安心を、セイラ様」
やわらかな声音でそう言うと、リオンは窓のカーテンを静かに閉じた。
***
実際に、その気配は存在していた。
少し離れた庭の陰に、第二王子・ルシアの姿があった。
窓辺に並ぶふたりの影を、闇の中からじっと見つめる。その目は、感情を失ったように冷たく、それでいて奥底には、燃えさしのような怒りが宿っていた。
「……よくもまぁ、二人をその気にさせたもんだな」
低くつぶやいた声は、夜の静けさにかき消される。
けれどその胸の奥で、確かに何かが、音を立てて崩れ始めていた。
読んでくださってありがとうございます。
今回は、ゼノ王子の言葉に戸惑うセイラと、そっと寄り添うリオンの姿を描きました。
心を引かれながらも、まだ自分の想いに気づかないセイラ。
そんな彼女を見つめるもう一人の存在──ルシアの影が、物語に新たな波紋を落とし始めます。
次回、第5話では、静かだった心の闇が動き出します。
どうぞお楽しみに…