九十一話 もしもと幸福
「結局アイツはなんだったの?」
トボトボと歩いていくアイツの背中から目を外した冬夏が、腕を組んで繭奈に問いかける。繭奈は ハァと溜め息を吐いて答えた。
「幼馴染よ、小学生の時まで一緒だった人。中学からはあっちが引っ越して、それからずっと会っていなかったのだけれどね」
「だからあんなに馴れ馴れしかったのか。繭奈が楽しそうにしてたから、誰なのかと思ったら」
「楽しそう……?あっ、それは違うのよ。あの人との話が楽しかったって言うより、話の流れでその、龍彦くんのことを考えて、いたからで……」
繭奈が奴に向けていた笑顔を思い出して抱いた疑問を口にすると、僅かに逡巡した繭奈は段々と顔を赤くして、尻すぼみになりながら答える。聞いてみれば随分と可愛い話であった。
そんなことを言われてしまえば、先程までの嫉妬も相俟って一気に気分が良くなった。
「げふんげふん!あー、二人の世界に入るのは良いけど、とりあえずどっかいかない?デートって気分でもないっしょ」
「……そうね、いろいろ考えていたら龍彦くんが欲しくなっちゃった♪」
「そっちだったかぁ……」
二人して照れている俺たちを見て、冬夏が咳払いして言った。彼女としては、さっきの男のせいで嫌な気分だと言いたかったのだろうが、完全にスイッチの入ってしまった繭奈に苦笑いしている。
「デートはまた後日として、今日はたくさん可愛がって欲しいわ♪」
「もちろん。さっきのアイツを見ててすごいムカついたし、言われなくてもそのつもりだ」
強く感じた嫉妬、それを発散するためには繭奈を抱くしか収まらないだろう。その言葉を聞いた彼女は胸を押さえて、苦悶のような悲鳴を上げた。
「ぐぉッ!私はもうその言葉だけで、幸せの絶頂……これ以上なんて、どうなっちゃうのかしら……?」
「だっから、アタシを置いて二人の世界に入んな!ほらいくよ!」
震えながら恍惚の表情を浮かべる繭奈と合わせて、冬夏がツッコミを入れて手を掴んできた。二人して彼女に連れていかれる俺たちには、既にスイッチが入っていたのだった。
あれから何時間か行為に及び、時刻は昼である。下着姿のまま先んじて買っておいた昼飯を食べ終えて、ベッドの上でゴロゴロとしながら、繭奈にさっきの幼馴染とやらについて尋ねてみることにした。
「そういや、実際のところ繭奈って、アイツとはどうだったんだ?仲が悪いわけじゃなかったんだよな?」
「ん?あぁ、幼馴染ならそうね。結構仲良しだったわよ。兄妹みたいな感じでね」
「でもアイツはそんな感じに見えなかったねぇ。少なくとも、あっちは繭奈のこと、好きだったんじゃない?」
繭奈にとっては、本当の兄妹のように感じていたのだろう。しかし相手にとっては、冬夏の言う通り好きな人だった。
そうでなければ、あそこまで俺に対抗心を燃やしたり、彼氏だと知ってショックを受けることもないはずだ。
「そうかしら?あんまり気にしたことなかったわね。たしかに昔はずっと一緒にいたけれど、それだって好きだからというより、信頼していたからだもの。誰だって他人より家族の方が、信じられるものでしょう?」
繭奈にとっては、あの幼馴染に好かれていることが想像できないみたいだ。一方通行の想いという、なんとも悲しい話である。
しかし、あちらが引っ越してしまった以上運が悪かったと言わざるを得ない。
「だから、あの時は自然とあの人の傍にいただけよ。好きとかなんて意識したことないもの」
「まぁ小学生じゃな。少なくとも俺はそういうのなかったし」
小学生のうちに誰かを好きになるなんて、あってもなくても珍しくないことだ。繭奈にその意識が芽生える前に引っ越したというのなら、ただただドンマイとしか言えん。
もしあの男が引っ越さなかったのならば、俺と繭奈は互いに意識することもなかっただろうし、そうなれば冬夏だって好きにならなかった。
しかし、そうだとしたらきっと告美や麗凪との関係があったかもしれない。
全ては妄想に過ぎないが。
ただそう思うと、二人との関係が築けたことがとても幸福に思えてきた。本当に好きで好きで仕方ないんだな、俺も。
「繭奈、冬夏」
「どうしたの?龍彦くん」
「んー?」
そんなことを考えたからこそ、どうしても言いたいことがあった。堪えられないくらいに。
「……好きだよ」
「ひぅっ……!」
「こヒュッ!」
噛み締めるように想いを吐露すると、二人して発作でも起こしたのかというくらい身体を跳ね上げさせた。
「ちょっ、大丈夫かお前ら」
「……龍彦くんは暗殺に向いているのかしら」
「マジで一瞬呼吸止また……」
ぎゅっと俺の首に抱きついた繭奈が耳元で変なことを言い、冬夏は冬夏で完全に脱力していた。どうやら、思わぬダメージ(?)を二人に与えてしまったらしい。
正直な想いを口にしただけなのだが。
「……私も大好きよ、龍彦くん」
「アタシだって愛してるわ、このバカ」
「ぅっ……!」
俺の気持ちにきちんと応えてくれる、そんな二人の言葉に、ドクンと強く心臓が跳ねた、先ほどの二人の言葉の意味が分かった気がする。
まだまだ、時間はたっぷりあるんだ。楽しもうじゃないか。




