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八話:『塔』(四)


 地図によれば二階層の八割方を踏破したところで、ライオはふと脚を止めた。

 振り返れば無人の草原が広がり、進行方向にも草の海は変わらずに続いている。


 黙々と歩く彼は既に四度、ボレアティと遭遇を果たしており、そしてこれらを全て斬り捨ててきた。

 一階層と合わせて五匹も殺せば、流石にいくらかの慣れは出てくる。

 斬る度に落ち着くまでの時間は短くなっていた。


 一息ついたライオは視線を草むらへと戻し、注意深く杭の位置を探りながら再び歩き始める。




 まだ二階層という序盤も序盤ながら、この魔窟が冒険者に好かれていないことをライオは身に染みて理解し始めていた。


 天地がひっくり返る衝撃は確かにそうだが、恐らく主要な理由ではない。驚きこそあれど所詮は一過性のもの。冒険者になるような者たちが選り好みする理由としては少し弱い。

 結局は収入だ。ここは金にならないのだ。

 五匹の魔物を討てども何一つ収穫が無いのはライオ自身が経験している。ボレアティは殺すだけ手間でしかない。

 ここまで来て消耗品やら装備の手入れやらを考えると赤字が確定してしまうくれば、それは危険性云々を抜きにして避けられるのも当然だろう。

 ライオだってエイミーの件がなければ『塔』へは絶対に来なかった。


 このボレアティが、獲物として良いところが一つもない。肉は固い上に臭くて不味いと聞くし、そもそも猿よりも人に近い見た目をしたあれらを食うなどライオには御免だった。どこか遠方では食されているらしいが、飢えて死ぬ方がまだマシだとライオは思っている。

 素材としても旨味がない。毛皮は剥ぐのが手間だし面積も大したことがなく、どれだけ手を加えたとしても質自体が劣悪だ。骨はさして頑丈ではなく彫刻に向かず、牙は小さいから実用性もなければ見栄えもしない。特に薬になるようなこともなく、せいぜい腱が楽器の弦になるかどうかだった。その腱も鹿の方が遥かに優れているのだから救いがない。


 良い点は死体を解体する必要がないこと。それくらいしか挙げられないほどにボレアティは金にならなかった。

 お陰で見逃す冒険者すら居ると言う。

 剣や槍の手入れも無料(ただ)ではない。何であれ物を切れば刃は損耗するし、血脂を拭うのにも油を塗るのにも道具は必要だ。

 命を奪うだけ損な相手に関わりたくなどないものではある。そうは言っても、あちらから襲いかかってくるものだから結局殺さざるを得ないのであるが。


 あるいは、命を奪うのに呵責を感じない相手としてはとても良いのかもしれない。

 容赦なく襲いかかる魔物には反撃という大義名分が立つものだし、死体をバラす必要がないために精神的な負担も些かマシというものだ。

 醜悪な外見も下手な気遣いが働かなくて良い。

 どうしたって荒事に慣れていない人間は手心を加えてしまう。それが正しく社会に順応した者としては当然のことなのだが、命のやり取りの中では邪魔になる。


 良心の制動。倫理のブレーキ。常識の発露。

 教育によって律した獣性を働かせようと言うのだ。そうそう簡単には行かなくて当然である。


「……まあ、望んでここに来てるってのもあるが」


 ガサガサと草を踏みつけ歩くライオは、誰にともなく呟いた。そう、彼は望んでここに来ている。


 【Project:Dimensional Jump】は計画名であり、三つのゲームの総称だ。

 【Lily's nobody】。

 【Noway rose】。

 【Cattleya noticed】。

 これらはそれぞれがワールドシミュレータによって形作られた共通の演算世界であり、同時に各々が毛色の異なるゲームとしてデザインされている。

 【Lily's nobody】は魔力のある中近世西洋風世界観。

 【Noway rose】は和風の魔術学院。

 【Cattleya noticed】は北方開墾録。


 プロジェクトへの参加者であるプレイヤーは、その三つから己れに合うだろう物を選んでいる。

 プロジェクトの参加も希望抽選なら、振り分けも要望が重視されていた。望んだ上で勝ち取った権利なのだ。

 これで思っていたのと違うなどと文句を言えばバチが当たる。少なくともライオはそのように考えていた。




 さらにボレアティを二匹始末したライオが辿り着いたのは、ミステリーサークルとでも呼ぼうか。草原の一角にぽっかりと開いた円形のスペース。きれいに草が抜き去られ、そこだけ地面が見えている。

 明らかに何かがあると、ライオの警戒心が騒ぐ。

 地図によれば目指して歩いてきたのは此処になる。この円が次の階層への入り口らしい。


「また上に落ちるのか……?」


 ライオは上空へと視線を向ける。

 何もない。白い空だ。薄曇りにも似た色は、裂け目から出てきた時となんら変わりない。


 不思議そうに見上げていると、彼の背後で物音がした。

 がさり。がさがさ。

 気付けば腰ほどの背丈にもなっていた草を踏みつける音にかき分ける音。

 そして漏れ出ている害意。


 明らかな敵の接近に、ライオは物思いを取り止める。腰を落として襲撃に備えた。

 彼から仕掛けるのではなく、待ちの姿勢だ。迎え撃たんとした。

 数度にわたる魔物との戦闘で己れに合ったスタイルを模索した結果である。まだこれで確定でも、完成でもないが。


 得物の都合もあって動き回るのはしっくり来なかったのだ。長剣の刃渡り、取り回し、重量、それらを勘案して、足での撹乱よりも刺し違えても確実な損害を求めたのである。相討ちは本来望ましいものではないのだが、ライオはそれを許容した。運任せとも言える。本当に死ぬわけではないと分かっているからこその振る舞いだったわけだ。

 それから、ライオの好みとして一撃で仕留めたいというところがある。細かく傷を付けて弱らせるのも出来なくはないだろうが、あまり好んでやりたいものではなかった。

 惨いではないか、失血を強いるなど。ライオはそのように考え、それ以上に派手に散ることに夢を見さえした。



 長剣での抜剣は居合に不向きだ。その長さ、また真っ直ぐな形状は人体の構造上どうしても円弧を描いてしまう動きにそぐわない。

 故に、ライオは接近を悟ったことが相手にバレると承知の上で鞘から剣を抜き放つ。

 事ここに至っては化かし合いではなく単純な反応速度の、早さの戦いになる。


 迫る気配はそれまでに遭遇していた魔物どもとは少し違っていた。

 一回りほど大きく、それでいて動きが機敏だ。

 直線ではなく切り返しを織り交ぜて接近しているところから多少は頭も回るらしい。


 勝負は一瞬だ。ライオはそう思った。

 長引くことはまずないだろう、と。

 最初の接触。そこで雌雄が決するはずだ。

 本来、命のやり取りとはそういうもの。ゲームでそんなことを論じるつもりはないが、ライオは一瞬に賭ける有り様を気に入っていた。


 いよいよ草をかき分ける音が至近に迫り、魔物の気配が濃密になる。

 殺気がライオにまで届く。

 ぞわりと背筋に冷たいものと、何やら心地よい悪寒が走り、彼は自然と身体を震わせた。


 一瞬。

 ほんの一瞬、草の動きが止まる。

 魔物の気配が薄れて弱まり、ライオは跳び上がってくるのだろうと予感した。


 膨れ上がる殺気に、ライオの身体は自然と反応した。背面での動きを気取る早さは凄まじく、その反射は正しく雷光のごとしと言ったもの。

 魔物が跳び上がった瞬間に、ジャンプの頂点まで至るよりも先に。ライオの長剣が閃いた。

 振り返り様に踏み込んでの一撃は魔物の無防備な腹を捉え、何の抵抗も許さずに走り抜ける。


 一拍遅れて。

 そう、魔物が絶命するのは一拍遅れたのだ。

 それほどまでの剣の冴え。

 いくら多少勘が働いていたとは言え、本人ですら驚かざるを得ない一撃は、完全な致命傷であった。

 走り抜けた銀光に気付かなかったかのように空中に跳び上がった魔物は、そこでようやく斬られたことを思い出して腰から二つに分かれたのであった。臓物をブチ撒けながら地に落ちる魔物は、まったく呆けた表情をしていた。


「──我ながらちょっと驚くわ」


 返り血を浴びて臓物に塗れて、ライオは目を丸くしていた。

 まさかこのような真似が。ここまでの業が。

 出来るとは思っていなかっただけに、それを可能とするライオというアバターを羨ましくすら感じられた。


「これが出来れば苦労しないがよ……」


 顔にかかった血液を拭い、剣身の血を拭い、ライオはぽつりと呟いた。

 これが現実ではなくゲームの中であるのだと、何よりも厳しく彼に突きつけるものだったからだ。




 気が抜ける、とは少し異なるが、興奮が冷めた彼はやや乱雑に納剣すると、転がる魔物の死体を検分し始めた。

 やはりボレアティではない。

 大体のシルエットは変わらないのだが、額の角が少し太く長く、そして体格が大きく筋肉量が増している。


「群れの頭か?」


 そこで最大の特徴に気付いた。

 指輪をしているのだ。

 魔物でありながら装飾品で身を飾るとは、いやそれよりもどこで手に入れたのか。犠牲になった冒険者から剥いだのだろうか。

 ライオは死体から無理矢理に指輪を奪う。

 台座に傷が付いているが、はめ込まれた石は無事だ。ただ、それほど高価な物には見えなかった。


 この探索行で初めての戦利品である。

 ライオは指輪を腰に提げた巾着に放り込むと、満足げに頷いた。大したものではないかもしれないが、それでもようやく目に見える報酬が得られて喜ばしく思えたのだ。



 それから彼は円へと近寄った。

 地図はここを示していたのだから、もう先へと進む他ない。罠を疑う思いはあれど、ゲームであることを実感したライオは躊躇うことなく中に踏み入った。

 そうして彼の姿は二階層から消失する。








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