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七話:『塔』(三)


 広間の中央。そこで天井を見上げたライオは裂け目を見つける。それほど大きくはない。人が一人通るのがやっとだろう。


「まさか、あれか……?」


 先の見通せぬ暗闇と狭い入り口にライオは戸惑いを露にする。カンテラの明かりで照らしてみても、奥がどのようになっているのかはさっぱりだ。いっそ不自然なほどに、黒く塗り潰されたような裂け目を仰いでライオは途方に暮れる。

 肉を切った感触によって得ていた興奮も冷めてしまった。後に残ったのは冷静さを取り戻したことではっきりと自覚した気持ち悪さだけだ。



 ライオは先程の瞬間をありありと思い出せる。

 振り下ろした長剣は毛皮を割き肉を裂いて骨をも断った。あまりにも容易く、そして呆気なく為すことの出来たそれは、しかし命を奪うことには変わりなく。

 彼の手には感触が今でもはっきりと残されている。


 魔物と言えど、生き物を殺したのだ。


 背筋を這い回るような不快感と胃の腑の冷たくなる感覚が彼を苛む。これがアバターの覚えているものなのか、現実に感じていることなのか。

 ライオにはその区別が付かない。肉体感覚で精神の反応は誘発できるが、しかしこの感じているものが誰かに引き起こされているものだとは考えたくなかった。

 蟻を潰すのとは訳が違う。教え込まれた倫理観が彼を糾弾する。暴力を是としない道徳心が軋む音がした。

 そしてライオはそれに安心を覚える。


「……んー、これも織り込み済みか?」


 命のやり取りへの恐怖心、忌避感。それを見逃すような開発陣とは思えない。

 一般向けの調整云々の前に考えが至っていて然るべきだ。


 と言うことは、ライオの手に残るこの感触は想定の範囲内のものとなる。

 意図してのものか意図せざるものなのかは判断出来ないが、開発陣の認知するところなのだ。

 故にこそ、"試験"であるのかもしれない。


 レポートにまとめるのは被験者としての業務としてしかライオは捉えていなかったのだが、ケアを兼ねてのものであるかもしれないと考えを改める。

 言語化は客観視への大きな助けであり、精神的な安定は客観に支えられる。主観は己れの世界を構築するものの、整えるには客観が必要なのだ。

 レポート形式でもなんでも、自身の状態を見つめ直すのは精神的な余裕を生み出すのに有用なのだった。


 と、そうしたことを考えていたライオの震えは止まっていた。思考を巡らせることで落ち着きを取り戻した彼は、悴むように冷えていた指先を動かして己れの状態を検める。

 強ばりはほどけて、剣を振るうにも支障はないようだ。そう判断した彼は改めて裂け目の方に意識をやる。

 いつまでも暗い洞穴に佇んでいる訳にはいかない。


 広間は閉ざされている。出入口と言えば入ってきた一つだけで、他にどこかと行き来できるような所は天井に開いた裂け目だけだ。

 滑らかな石の間に刻まれたそれは、いかにも入ってくださいと言わんばかりである。

 ただ問題は天井にあるという点。

 どうしたものか。頭を悩ませながら裂け目の真下に立ったライオは、身体を襲う浮遊感、否、落下感(・・・)に驚きの声を上げた。


「なっ……!」


 ふわりどころではなく、吸い上げられるようにライオの身体は宙へと投げ出された。

 上方への落下という矛盾。しかしそうとしか言い表せない身体感覚はライオに大きな混乱をもたらした。

 突如として重力方向が変わるのだ。天地がひっくり返る恐ろしさを彼は初めて知った。


 天井に張り付くようにしてライオは裂け目に手を掛ける。

 慌てながらもどうにか体勢を整えられたのだ。天井までの高さが五メートルほどあったのも功を奏した。


「……ああ、そうだった。だから嫌われてるんだっけな此処」


 裂け目に被さるような姿勢でライオは呟く。まるで天井に引っ付いた虫のような不格好さだが、そうでもしなければ落ちてしまうのだ。

 この上下方向の変化を嫌う冒険者も少なくない。

 実入りが少ないことと並んで『塔』に人が寄り付かない理由であることを彼は思い出していた。


 躊躇いは覚えるものの、ひとまず懸念点は解消された。

 これで裂け目の中へと入ることが出来る。


 ライオはまず裂け目に跨がって立ち、──もちろん上下逆さまである、裂け目にナッツを落としてみた。ちなみに、食料として持ち込んでいたものである。

 ナッツは裂け目に吸い込まれると、あっという間に見えなくなった。音も何もない。消えてしまったようにしか見えなかった。


「おいおい、ここに入るのか……?」


 ただの亀裂でないことは明らかだ。

 裂け目の先が何らかの空間であることも予想できる。どの程度かは分からないが、恐らくは広いだろう。


 慎重なライオは剣を抜き、裂け目へと差し込んでみた。スカスカと手応えはまるでなく、長剣は空を切るだけだ。触れるものなど何もない。

 剣を鞘に収めた彼は覚悟を決めた。

 道はここにしかない。

 裂け目へと入る他ないのだ。


 ええいままよ、と飛び込むと、ライオはそのまま裂け目の中へと落ちていった。

 真っ暗な虚空をすうっと通り抜け、パッと足元が明るくなったと思ったら空中へと投げ出されていた。


「うおぁ!?」


 明るいどこかへ出た瞬間、またもや落ちる向きが変わる。咄嗟にライオは受け身をとる。どさりと落ちた地面の感触は柔らかかった。


 ふかふかの耕したての畑のような地面から身体を起こすと、そこは開けた草原だった。

 ライオは頬を撫でる風に唖然とする。

 辺りは草の香りで満ちていて、微かに揺れる葉の擦れる音がさわさわと流れている。

 先ほどまでの押し潰されそうな暗闇の洞穴とは大違いだからだ。ギャップに戸惑った訳である。


 草を踏みながらライオは立ち上がる。どこまでも続くと思えるほどにだだっ広い原っぱだ。地平線が見える。山や丘のようなものはまるで見当たらない。

 ぐるりと首を巡らせると、ライオは草原の中にキラリと光る何かを見た。ただ、揺れる草に隠れてすぐにきらめきは失せてしまったために、それが何かは判別がつかない。気にはなるが、それは思考の棚に上げて、ライオは自身の状況を把握することに努める。


 空は白く霞がかり、ライオの頭上には空間の亀裂があった。


「ここから落ちたのか」


 勢いをつけて跳び上がれば届くくらいの高さにある裂け目は、入ってきた時のように見通せない暗闇で満たされている。

 見かけの上では、先ほどの天井にあったものと変わりない。同じように利用できるとライオは判断した。


「一方通行じゃないことを祈るしかないな」


 念のために裂け目に触れてみると感触が全くない。この不自然に宙に浮かんだ裂け目は、やはり広間の天井にあったものと同様のものだ。


 帰りの算段がついたことで、ライオは少し安心した。

 ただ、手間ではあるため仮に重傷を負えば裂け目に手が届かなくなることは容易に予想ができる。油断は許されない。

 彼はがしがしと頭をかいた。


「しっかし……、どうするよ」


 草原はやたらと広く、そして平坦だ。

 地の果てまで緑が続いている。

 ここから進むべき道を見つけ出すのはさぞ骨だろう。

 ライオも知らなければここが魔窟の終点だと信じたに違いない。


「……ああ、そうか。なるほど、なんとも気の利く先輩だことで」


 しばらく呆けていた彼が懐から取り出したのは折り畳まれた羊皮紙である。ゴランから渡された魔窟の地図だ。

 魔物を切ったショックで忘れていたが、こういう時にこそ頼りになる物を受け取っていたのだと思い出したのである。


「裂け目が見えない位置に打たれた杭を辿る……」


 角度によって見えなくなる裂け目を中心にして、円を描くようにぐるりと歩く。

 草に埋もれていたが杭はすぐに見つかった。

 裂け目から離れるように点々と打ち込まれている。

 金属で出来たそれは多少錆びているが、まだまだ輝きを保っていた。どうやら鉄ではないようだ。ライオの知らないなんらかの合金か、あるいはゲーム独自の金属か。

 裂け目から落ちてすぐに見た草むらの中のきらめきは、おそらくこの杭だろう。

 見つけやすいようにいくらか草が踏み固められていることもあって、光の加減で輝いて見えたのだと考えられた。



 ──それを辿ってライオは草原の探索を開始する。







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