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五話:『塔』(一)


「──よし、やっとスタートラインか!」


 暗がりに響く声。無人の空間。応えるものはなく、また返答を期待してのものではない。

 洞穴には光源が一つしかなく、カンテラに照らされて一人の男が立っている。

 赤銅色の髪に鷹のように鋭い眼、しかしそこに険しさはなく明かりを反射して爛々と輝いていた。

 声の調子に緊張など微塵もなく、あるのはただただ喜びのみ。


 じゃりり。砂地を踏み締めてライオは眼前の大扉を仰ぎ見る。

 "魔窟"への入り口を封鎖する大扉は、許可を受けた者のみが僅かに押し開くことが出来る。中へ入るには生じた隙間から身を滑り込ませる必要があった。全開にならないのは警備上の問題故のこと。

 緊急時には容赦なく閂が掛けられる大扉は、『帰らずの門』という別称があった。


 その『帰らずの門』を眺めてライオは感慨に耽る。長いようで短い時の中で、彼にとっての一つの目的地がここであった。

 終端であり始点。

 "魔窟"へ来たのは観光のためではない。踏破という目標があって、妹のために"ウォレステスの灯薔薇"を採ってくるという目的もある。


「やるべきことが明確なのは良いことだな!」


 しかしどうしたことか。

 一人呟きにこやかなライオからは、悲壮感が失われていた。父や弟との会話、冒険者たちとの邂逅。それらで見せていた緊張感は消え去り、今の彼は解放感に満ちている。


 別人のような彼を見た時に家族はどう思うことだろうか。

 ──まあ、真実別人となっている訳なのだが。





 【Project:Dimensional Jump】。

 仮想現実演算空間完全没入試験。

 要はゲームの中に入ってみるとどうなるか、というそれはいくつかのワールドシミュレータを利用して、心身への影響を一般レベルで調査する段階へと入っていた。

 【Lily's nobody】もその一つである。

 ライオはその被験者、プレイヤーなのだった。


 プレイヤーはランダムに演算世界内の人物として配置され、一定の期間自由に活動を行い、仮想現実と現実での差異や反応を観測される。

 年単位で拘束されて行われるそれは、治験にも似ているがより大がかりだ。

 投入された人員もプレイヤーだけで優に千を超えていて、観測分析用の研究人員や施設はさすが国家の威信を懸けた一大プロジェクトと言うべきもの。電脳空間の軍事的、経済的、学術的な価値は計り知れず、それ故に様々な研究が為されていた。【Project:Dimensional Jump】関連の計画はその一環で、軍部へのフィードバックも兼ねてのものではと噂されている。


 ライオは一般向けの調査用人員として、そこに運良く採用された訳である。

 第一陣として、一般向けに仮調整された【Lily's nobody】のレポートをまとめるのが彼の仕事となっていた。





 『帰らずの門』の前に立ってようやく己れの身体を自由に動かせるようになったライオは、まず屈伸や跳躍などをして運動性能を確かめる。


 先程までのは言うなればオープニングイベント。

 操作不可のイベントシーンでおおよその流れを掴んだ彼は、エイミーという妹を救うのが一種のクエストであるという理解をしていた。


 返答不可で流れるシーンをぼうっと眺める形になっていたのはかなり窮屈で、改善の要請をしようと彼は心に決めていた。そんな決意とは別に、身体は滑らかに動く。

 関節の可動域は現実以上に自由自在で、柔軟性は比べ物にならない。夢のよう、と呼んで良かった。

 これが仮想現実でなければと惜しく思えてならない。古傷が痛まないのがこれ程に心地よいとは。


「多少の制限を持たせた方が良いかもしれん」


 プレイヤーは多少の優遇措置としてキャラクターのパラメータを高水準にデザインされている。勿論、それを操るのはプレイヤー本人のセンスになるのだが、基礎基盤がかなり出来上がった状態なのだ。

 もっと平均的なプレイヤー層に合わせないと身体感覚の齟齬がそこら中で発生しかねない──。と、そこまで考えたライオはすぐに思考を取り止めた。


「でもそれじゃあ面白くないか」


 多少の外連味というか、幻想は大切にするべきだ。面白さは何にも勝る。

 頷きながらステップを踏み、シャドーまで始めたライオ。

 楽しげな笑みは少年のようで、彼がかつての青春を思い返しているのは明らかだった。


 記憶を上回る機敏な反応と思い出を超える身体能力は万能感すら与えてくれる。身体に染み付いた動きを反復し、ライオとしての基礎性能を味わい尽くす。

 振り上げた(かかと)は頭の高さをも越え、打ち出す拳は弾丸の如く。速さも鋭さも馴染めば馴染むほどに向上していく。それがライオには面白くてしょうがない。



 動き続けて軽く息の上がってきた彼の耳に、誰かの足音が届いた。

 珍しいことに『塔』へと登る者がいるのだろうか。

 一つしか聞こえない足音に首を傾げながらライオは慣らしを止めると、なんとはなしに足音の主を待つ。


「あ? なんでお前まだこんなところにいんだよ」


 そこに姿を現したのはゴランであった。


「こんな入り口で何してやがんだ……?」


 と言ってもライオは名を聞いていないために誰だか分からず、さっき絡んできた冒険者の一人としか認識していない。

 首を傾げるゴランにライオは誰何する。


「あんたは……」


「グリズさんがお前に地図を渡せってよ」


 低い声で唸るようにゴランは言った。ライオの言葉を遮る様子に、納得していないのがありありと表れ出ていた。拗ねた子どものような表情に、ライオは思わず苦笑しそうになる。

 それを必死に取り繕ってごまかした。


 グリズが誰かは分かる。分かるのだが、ライオはその動機を訝しみつつも差し出された地図を受け取った。

 ほらよと押し付け、ゴランはすぐさま(きびす)を返す。


「確かに渡したかんな!」


 叫びながら彼は入り口からギルドの内部へ駆け戻っていった。

 捨て台詞のようなそれを聞くライオの意識は既に地図へと捕らわれている。


 五階層までが記された地図はしっかりした作りで、入り組んだ迷路が細かく書き込まれていた。

 決して軽々と渡せるような代物ではない。

 魔窟に潜るようなグリズたち冒険者にとってのまさに飯の種。五階までならダメージは少ないのだろうが、競合する相手が増えるのは望むことではないはずなのに。


 ライオの目が細められる。

 これは何かを狙ってのことだとすぐに勘づいた。問題はライオに不利益をもたらすかだが……。


「まあ、分からんよな」


 ピラピラと羊皮紙を振ったところで答えが出てくる訳でもなし。

 どれだけ考えようとネタが揃わなければ推察のしようがない。

 地図から目を離すと、ライオは丁寧に折り畳んでそれを懐へとしまった。


 多分、恩を売りたいのだろう。

 それくらいしかライオには思い付かなかったが、咎めるわけにいかない内容だ。有り難がるくらいしか対処出来ない。そもそもこれがグリズの利益とどう結び付いているのかも、ライオには想像できない話なのだ。

 自分にはどうにもならないのなら悩むだけ損だと切り替えた彼は、改めて大扉に向かい合う。



 身体の具合は確かめた。

 期せずして道案内も手に入れた。

 準備は万端に整えて、いざ行かんは死出の道。



 ぎしり。大扉が僅かずつ押し開かれていく。

 軋む蝶番と扉の重さにライオは少し顔をしかめる。嫌に冷たい感触は、死への恐れを感じているためのものか。冥府への入り口とは斯様な代物であるやもしれない、とライオは頭の片隅で考える。

 ぎぎぎ、と緩やかに隙間が開いていき、埃臭い空気が漏れ出てきた。


 大扉の重さは尋常でなかった。大の大人が渾身の力で、人一人分の隙間を作るのがやっと。全開にしようなど何人がかりで押すことになるのやら。

 それも大して間を置かずに閉まり始めるのを見て、ライオは慌てて中へと飛び込んだ。






ご覧いただきありがとうございます。

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