四話:オープニングシーン(四)
"魔窟"。
それは大地を巡る魔力の歪みが形を為した場所である。
窪地に水が流れ込むように、魔力は歪みへと注ぎ込まれ、やがて己れを支えきれずに自壊して更なる歪みを生む。
魔窟は自然と増えていく。
大量の魔力が流入する集積点は、空間をねじ曲げて不可思議な『魔の窟』として各地に点在していた。
ユレンメンにも一つある。
『塔』と呼ばれているその魔窟は、町の成立とほぼ時を同じくして発生したものだと記録に残されている。あるいは町が生まれ人が増えたことによって歪みが生じたのではないか、という考察が為されたものだがそれはいいだろう。
上空に向けて下るという人の常識をかなぐり捨てた形状は、冒険者たちからもあまり好まれず、その実入りの乏しさも相まって常に閑散としていた。
誰だって己れの理解が及ぶ範疇の代物の方が良いだろう。
偶さか近隣の魔窟が、おおよそただの洞窟であったことも悪さを働いた。土地勘も実入りも心理的な安全性も、全てを上回るとくれば行かない手はない。
彼らは冒険者でありながら危険を冒さずに安全をとったのである。
冒険者も慈善事業ではない。いや、浮浪者や貧困への対策という一面も確かに兼ねてはいるのだが、国家が運営する組織母体の思惑とは別に所属人員にもそれぞれの生活や思いがある。出来る範囲で安全に稼ぎたいと考えるのは当然のこと。
つまり、命じられでもしない限り、『塔』を探索するのは変わり者の行いなのだった。
「ありゃ、結構キてるな」
その変わり者の一人、グリズは酒をかっくらってからそう呟いた。
グリズは己れが変わり者である自覚を持ち、なおかつ同類を率いている熟練の冒険者だ。
変人も奇人も常識人も貴人も一通り目にして来た。
その彼をしてキてるという評価を下させたのは、今しがた魔窟の入り口へと消えていった新入りのことだ。
追い詰められて頭の中の箍が外れた奴は、冒険者を生業にしていればそれなりの頻度で出会すものだ。グリズだって珍しいとは思わない。
ただ、さっきギルドを通り抜けていった若者はあまり良くない方向に外れてしまったようだった。
「早死にするだろうな、勿体ねえ」
「ああ、やっぱグリズもそう思うか?」
一党の盾役も同意見のようで、酒杯を傾けて暗い顔をしていた。
子どもを泣かせる顔つきに似合わず優しい男は生き急ぐ青年に心痛めているのだ。これ程までに感傷的で、どうして冒険者のようなヤクザな稼業に流れ着いたのか。
グリズは畑でも耕せば良いのになと普段と同じようなことを思いつつ、今回もそれとは別な言葉を返す。
「覚悟と言やあ決まりは良いが、頑なになるのは違えからな」
グリズの持論だが、冒険者になる覚悟なんてものは必要ない。ならないといけない奴はどうあってもなるし、縁遠い奴は一生近寄ることなどないものだ。
食うに困って、借金のカタに。依頼を受けて憧れて、それから必要なものがあって。
それぞれ理由は様々だが、冒険者は誰であっても己れなりの事情を抱えている。そこに貴賤はあっても優劣はない。
そんなものを覚悟だなんだと後生大事に抱えているようでは、グリズにとって見れば足を括って川に飛び込むようなものだ。
「何も殴るこたぁないっすよ」
おー痛て。頬をさすりながら戻ってきたゴランはもとの席へと着座した。全く堪えた様子はない。
それもそのはず、拳に合わせて吹き飛ばされて見せていたのだから。派手な絵面の割には大して当たってもいなかったのである。
ゴランのこういう芸当が、彼を熟練冒険者の中でも一目置かれる存在へとしているわけだ。
グリズは反省しない部下に舌打ちしながら酒杯を呷る。
しかしどうしたものか。面倒なことになったと考えを巡らせながら、グリズは麦酒を空にする。
いつもは気にならないと言うのに、どうしてもその温さが鬱陶しく感じられた。
しかめ面を浮かべた彼に一つの考えが舞い降りる。
「……おい」
「なんすか?」
酒に手を伸ばしたところを止められ、ゴランは怪訝そうな目をグリズに向ける。飲もうとしていた葡萄酒から目を離せない部下に溜め息を吐きつつ、グリズは顔を寄せて小声で指示を出す。
「あいつ追いかけて地図渡してこい。五階までな」
「はあ!? 何もそこまで……」
「うるせえ! 口答えしてねえで行ってこい!」
渋るゴランを蹴り出して、これで良しとグリズは内心で頷く。ただその様子を表には出さない。
代わりに彼はこれ見よがしに嘆いて見せた。ああ、面倒なことになったもんだと。まるで舞台役者のように。
盾役のボルツは、自身の属する一党の頭目がまたぞろ悪巧みを始めたことに感づいていた。それを口にすることはないが、果たしてそう上手く行くものなのかと疑問に思う。
熟練の冒険者であり、ユレンメンで長年活動を続けてきたグリズはそれなりに後輩から慕われている。あまり尊敬できない面もあるためにそれなりなのだが、逆に言えばグリズをよく知らない者は彼の強さを評価する。
人格面は二の次になりがちなのだ。彼はそれを利用した。
今回の一件を冒険者全体の面子の話に置き換える。
グリズの狙いはそんなものだった。
憧れは理解から遠い感情とはよく言ったもので、グリズを理解せず力に憧れるだけの木っ端どもは往々にして同一化を意図せずに行っている。共通する一部分だけを切り抜いて、自身と重ね合わせて自尊心を慰めるのだ。これが健全な方向へと働くのであれば高みを目指すための原動力にもなり得るのだが、そのように扱えないのが木っ端の木っ端たる要因。
彼らはグリズのような有名冒険者と冒険者全体を同一視し、さらに冒険者全体の名誉を己れのものと重ね合わせて生きている。俺も強い冒険者なのだと、誰に聞かせるわけでもないのに常に言い訳がましく反芻している。
グリズはそこを後ろから押してやったのだ。
わざとらしく嘆いて見せる前に、ゴランをギルドから出て行かせたのはそのための仕込みである。
ゴランが余計な口を挟んでグリズが謝ることになったのはギルドにいる誰もが目にしていた。そのゴランが新入りの後を追うように出ていったとあれば、要らぬ勘繰りをする者だって出てくるだろう。
小声で指示を出したのも勘違いを助長させるためだ。
誰かを排除するのに手駒は使いたくない。だが、舐めた真似をした奴には消えてもらいたい。そんな時にグリズがとる手法だ。
直接触れないために経歴的には真っ白なままを維持できるこれは、後輩たちへの引き締めとしても重宝していた。
明日は我が身と振り返れる奴はより忠実に、面子を汚されたと怒る凡愚はけしかける犬として使い、そも何も理解できぬ阿呆は爪弾き。
篩にかけて厳選した後輩たちで周囲を固めておけば、グリズの発言力は自然と増していく。
彼の一党が有力な冒険者として名を挙げているのも、そうした影響力が評価されての面も多々あった。
ボルツはグリズが以前に話していたあることを思い出す。
『冒険者たる者、心に敏くあれ』。
誰の受け売りだったか、グリズはそれを気に入っていた。気に入っていてなおこれと言おうか、気に入ったからこそと言うべきかは悩むところであるのだが。
冒険者はヤクザな稼業であり、どうしても世間様からは受け入れがたい。
必要であっても大切にしてもらえるとは限らないものだ。職業への差別や偏見はどれだけ経ってもなくならない。
故に相手の、──あるいは周りの、心の変化に気付く能力が重要であった。少なくともグリズはそう教えられてきて、それが的外れなものではないと信じている。
ボルツはがしがしと頭を掻く。
この頭目の褒めることの出来ない行いを、しかし咎めることは出来なかった。それもこれも一党の利益のためだと知っているからだ。
仲間を大切にするグリズの姿勢はよく分かっている。今回もそうした一環だと思うと、ボルツは考えることを投げ出したくなる。
勢いよく酒杯を傾け、一息に空とする。
ボルツは大きなげっぷとともに、考え事を吐き出して捨てた。まあいいか。ほろ酔いの頭から小難しいことは揮発していく。
絡まれるのは大変だろうが、それも新入りとしての試練なのだ。
精々頑張ってもらおうじゃないか。
そんなボルツと目を合わせ、グリズはにやりと歯を見せて笑った。
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