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二十七話:『領都』(四)


「──知らない天井だ……」


 ライオが目覚めたのは消毒液の匂いに満ちた白く明るい部屋の中だった。

 陽光は眩しく生命の息吹に溢れていて、ライオの目が細められる。


「ん、ああ。あんた、ようやく目が覚めたの」


 傍らに付き添っていたシェズに気が付かなかったのは、まだ彼の感覚が十全に働いていないからだろう。

 彼女は彼女で眠たげな目をこすりながら、スツールから立ち上がり、サイドテーブルに置かれた鈴を鳴らした。


「それは?」


「いや、もっと他に聞くべきことあるでしょ」


 呆れた声に、ライオも確かにそうだと納得する。

 それから彼は質問を変えた。


「あれから何があった?」


「これから人が来るからそこでまとめて話すわ」


 なら何を聞いても同じではないか。

 賢いライオは苛立ちを口にはしない。こういう時は何を言おうと無駄であると知っているのだから。

 ふて寝するように寝返りを打とうとするが、ライオの身体は動かなかった。

 腹部の強烈な違和感が遅れて自己主張を始める。手を当てようとしても腕が持ち上がらない。左右どちらもだ。


「動けるわけないでしょ。あんた死にかけも死にかけ、半死半生どころか九死に一生を得るレベルだったんだから」


 目線で続きを促すライオに、シェズは説教するように話しかける。


「ここまで運ばれてもまだ死にそうで大変だったんだからね? 魔法薬を何本も使ってさあ」


「何本も?」


「そりゃそうでしょうよ。一本で足りる訳ないじゃない」


「……それは、困ったな」


「ようやく自覚が出てきた? 半死人さん」


「いや、それもそうだが……。お金がない」


 あ、と小さくシェズから呟きが漏れた。

 病室に妙な沈黙が降りる。

 二人はじっと互いを見つめ合った。そこには、先に口を開いた方が負けだという奇妙な共通認識があった。




 そうして黙り込んでしまったところに来客が。

 病室のドアを開けてやって来たのはギルドの職員たちか。二人組の男性だ。

 やけに上等な服と先に入ってきた方が気遣う素振りを見せることから、彼らには身分の差があるように見えた。


 聴取を行う。そのように言われて、ライオはある程度事態が把握されていることを悟った。

 恐らく、シェズから話を聞いているのだろう。

 それでわざわざ怪我人のところにまで顔を出している。それだけ事態を重く見たのか。あるいはライオが犯罪者だと気付いたのか。はたまたそのどちらでもないか。


 シェズはことのあらましを立て板に水のごとくスラスラと話した。その話し慣れた様子は一度や二度ではないことを物語っている。

 ライオが倒れた後、ギルドに派遣された調査隊が『隧道』の奥まで来たそうだ。二人は重要参考人として拘束され、ライオは病室に担ぎ込まれたわけである。

 シェズは自身の知るところを偽りなく話しているようだった。ただその内容にライオの情報は驚くほどに含まれていない。明らかに意図的に伏せられていた。魔剣のことなど欠片も話に出ないのだ。あれほど神父が語っていたというのに。


 ライオはシェズの気遣いに感謝し、そして目配せなどをしないように視線を固定して黙っていた。動揺が身体に出るような状態でないのは助かった。彼はただ黙って天井を見つめていればそれで良かったのだから。


「なるほどな。内容に変わりはないな」


 偉そうな方が頷いた。

 もう片方は記録を書き留めている。


「お前の知っていることを話せ」


 偉そうな方はライオに目を向けてぞんざいに言った。

 ライオは付け足すようなことはないと答えた。

 シラを切るのは簡単だ。ライオは今、顔まで包帯に覆われている。表情など分かりっこない。


 それでも偉そうな方は何か引っ掛かるようで、繰り返しライオに質問をする。いや、命令か。全部話せと何度も迫った。

 ライオは知らぬ振りをする。







 しばらく問答をしたものの、聞き出すことを諦めたのか。今日はここまでだと言い、記録係を伴って偉そうな職員は帰っていった。

 病室を出ていく二人を見送り、ライオとシェズはほっと安堵のため息を吐く。


 経験の積み重ねである勘がNPCたちではどのように再現されているか分からないが、偉そうな方の職員は正しくその勘が冴えるタイプなのだろう。

 しつこく食い下がる様子にライオは警戒を強いられたし、横で見ているだけだったはずのシェズも拳を強く握り込むくらいに緊張していた。



 足音が聞こえなくなり職員たちが病室の近くからいなくなってしばらくして。


「ヴァハール」


 ライオは魔剣を呼び出し、音を遮断するように頼んだ。


『便利遣いをしてくれるな。そんな真似は無理だ』


 しかし断られてしまった。

 魔剣は所詮、戦道具。万能には程遠い。


『お前たちとて音を出すが、それで他者の言葉を打ち消したり出来ないだろうに』


 そのように言われてしまえばライオとしても納得せざるを得ない。

 賦活だけでもありがたい効果なのだ。

 魔剣のお陰でライオの右手が上がるようになっていた。驚異的な回復力である。


「それ……」


 ヴァハールを見て、シェズはどこか渋い顔をしていた。


「普通の剣じゃないのね」


 はてさてどこまで話したものか。

 ライオに隠すつもりは残っていない。シェズなら悪いようにしないという確信すらあった。それは先ほどギルド職員にライオのことを明かさなかったことで証明もされている。

 だが、あれこれ全て詳らかにするだけの時間はない。


「ああ、まあそうだね……」


 歯切れ悪く返すライオに、シェズはため息を吐く。


「まだ隠せるつもりなの?」


 そんなことはないとライオは否定した。

 だがここに長居するつもりもないのだと続ける。


 ライオの扱いが丁寧であるのは色々あるだろうが瀕死の重傷であることも関係していると、あの偉そうな男は仄めかしていた。

 それはつまり、回復すれば多少手荒な真似に出てもおかしくないことを指し示していて、ライオはそうなる前に逃げ出そうと決めていたのだ。

 ヴァハールを呼び出したのも逃亡のためであった。じわじわと湧き上がる活力でもって、ライオは強引にその身体を起こす。


(身体がやけに軽いな……?)


 それも不健全な減り方である。まるで病で窶れたような……。いや、それよりも格段に悪い。

 身体を起こしたことで彼は気付いたのだ。

 腹の中身が失くなったことに。


 ペタペタと自身の腹部を触るライオ。

 包帯越しでも分かる大きな傷口に、弾力が失われてぺこぺこと凹む腹筋。


 黙り込むライオにシェズが言う。


「……隠し事を止めろと言うつもりはないけど、少しは頼ったら?」


 ──あたしをさ。


 シェズにそう言われてライオは視線を上げる。

 視線が交錯した瞬間、彼女はにこりと太陽のように笑った。


「王都まで付いてってあげる約束したでしょ?」


「……そんなの、口だけだと思っていたよ」


「はははっ! ひどい奴ね、あんた」


 それからライオは話し始めた。


 妹を治すクエストのこと。

 魔窟で魔剣を得たこと。

 妹が死んだこと。

 星の冠のこと。


 彼のこれまでの旅路をシェズは黙って聞いていた。質問することもなく、ただ優しく相槌を打った。


 やがて話し終わり、ライオは心地よい沈黙に包まれる。

 暖かい満足感がそこにあった。

 多分、彼は誰かに聞いて欲しかったのだ。共感されたい訳ではない。同情されたい訳でもない。

 ただ聞いて、頷いてくれれば彼は満たされた。


 しばらく黙っていたシェズが一つ納得したように呟く。


「──なるほどね。あたしに遠慮してたんだ」


「それは、そうだろう。会っていきなり身の上話をする奴は居ないよ」


「そう? そうでもないわ。割と居るよ、そういう奴」


 話の途中からスツールに腰掛けていた彼女は、今度は私のターンねと言った。


「待ってくれ。のんびりしている暇は……」


「逃げ出すつもりなら夜も更けてからの方が良いわ。まだもうしばらく待った方が確実よ」


 窓の外はオレンジに染まっている。夕暮れだ。

 確かにシェズの言う通り、今少し待った方が良さそうである。


 そこでライオは自身の目論見を看破されていると、ようやく気が付いた。

 逃げるつもりなのがシェズにバレている。

 しかしシェズはそれを止めるつもりは無いようで。

 じゃあ次はあたしの番ね、と楽しげに話し始めた──。









ご覧いただきありがとうございます。

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