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二十六話:『隧道』(五)


 繰り返す度にライオの刃は速さと精度を増していく。


 交える度に傷が付くのは己れだけであることが、餓鬼のあるかも分からぬプライドに罅を入れた。


 八度のやり取り、その全てでライオに軍配が上がり、餓鬼の身体には深々とした裂け目が無数に刻まれている。

 倒れぬのは亡者ゆえか。

 その戦意は旺盛なれど、消耗は甚大。死体の寄せ集めであるから動けるだけで、とうに限界は訪れている。

 また、死体の寄せ集めであるからこそ、その身体が再生をすることなどない。



 ──バチィンッ!!!



 この音も九度目になる。

 苦し紛れに出された爪を勢いよく弾いたライオは、しかし余裕のない顔をしていた。

 失血。それからそもそもの負傷。

 腹の中を無遠慮に掻き回されたのだ。無事なはずがない。

 目を閉じて魔剣の感覚に身を預けたのは、遠退く意識を繋ぎ止めるために外界の情報を遮断したかったこともある。


(HP制のゲームでなくて助かったよ)


 厳密な数値で管理されていれば、ライオは良くても瀕死と判断されていたことだろう。既に死亡扱いでもおかしくない。

 ファジーなシステム万歳と叫びたいところであった。死ぬ寸前まで動けるゲーム様々だ。

 それでも誤魔化しが効かない範囲に達しつつある。気力で立っているものの、その気力という曖昧なものではこの電子世界に在り続けることなど出来はしない。

 ライオの口の中には血の味が広がり、平衡感覚は不自然な揺れをもたらしてくる。


 彼は無心になっていた。

 今のライオは機械も同然。

 ヴァハールの入力した情報に反射で対応する出力装置だ。

 生体パーツもかくやたる己れの現状に思い馳せども表情は透徹としたまま、ライオは一歩踏み出した。


 餓鬼と戦い始めてから、ライオは防御に専念させられている。

 しかしいい加減それにも慣れた。

 餓鬼は似た動きを多用してくる。傷が増えたからか、それも露骨になってきた。


 どうあれ短期決着を図らなければ、帰り道でライオは死ぬだろう。

 ならばここが攻め時だった。


 基本に忠実な動きで餓鬼の腕を叩き落とし、ライオが目指すは必殺の間合い。命脈を絶つその瞬間まで、気取らせぬように淡々と動く。

 防御の基本はVの字の動きだ。切っ先を揺らさず手元の動きで弾くΛと、柄を中心として切っ先で叩くVの字とがある。ライオはVの字の動き方が得意で好んで使っていた。



 さて、心の臓を潰したところで所詮は死体、動きを止めることは叶わないだろう。だが、融合の基点である"指"を破壊すれば、餓鬼の身体は維持できなくなる。

 ライオが間合いに入り込みたいのはその"指"を狙うためだ。頸骨の下、鎖骨と鎖骨の間。人であれば食道のある位置に魔力の塊があるとヴァハールは感知していた。


 狙うべき場所は分かった。あとはタイミングだ。

 ライオは焦らなかった。冷静に、餓鬼の動きを見極めて、彼は仕留めにかかる時を待った。

 左手を突き出した後、餓鬼の隙がとりわけ大きくなる。それを誘い、一息に殺す。それが彼の描いた未来絵図。


 前へと進もうとするライオの姿勢が圧力となってか、餓鬼の攻撃は乱雑になっていく。まるで駄々をこねる子どものようだ。

 ぶんぶんと振り回される腕を弾いていなし、ついにその時が来た。


 大振りの突き。それも左腕での一撃だ。

 餓鬼のそれは苦し紛れで、ライオからすれば待ちに待った瞬間だった。

 渾身の力で弾き飛ばし、ライオは滑るようにして餓鬼の眼前へと踏み込んだ。


 それは無理が祟った故だろう。

 餓鬼の前へと滑り込んだ瞬間、ライオの身体から力が抜けた。

 血を噴いて、泡を吹いて、彼は膝から崩れ落ちる。



 【Lily's nobody】のみならず、Project:Dimensional Jump の三つ全てのゲームにはセーフティが組み込まれている。当然だ。いくら試験といえど人の領分を超えたドラッグマシンを渡すわけにはいかない。実用が見えるラインの代物が公開されたのだから。

 痛覚の軽減と遮断。セーフティとして組み込まれた諸要素の一つである。

 完全再現そのものは技術的に可能であった。だが、人間には堪えられない。人は"痛み"だけで死んでしまうのだから。


 そうしてかけられたセーフティがライオに牙を向いた。

 彼の身体は限界を越えていて、しかしそれを認識することが叶わなかったのだ。どれだけ身体が悲鳴を上げようとも痛覚は遮断されているために。

 遮断された痛覚と魔剣によって高揚した戦意が麻酔となって、彼のパフォーマンスを大幅に引き上げる。

 餓鬼を相手にするにはそれが必要だった。十四人分もの肉を重ねたあれはそんじょそこらの魔物とは格が違う。騎士ケルゲンの亡霊とは比べ物にならない。一人で相手取るような想定ではないのだから当然だ。


 そんな餓鬼を相手に、腹部を負傷した状態で全開の戦闘を行えばどのような結果になるかは想像するに容易いだろう。

 渡り合えたとしてもほんの少しの間だ。



 踏み込んだはずがその先に地面が無かったかのような感覚にライオは面食らい、瞬時に理解した。終わりが訪れたことを。

 HPのような分かりやすい指標が見えない分、彼はアクセルを踏みすぎてしまったのだ。

 魔剣からは動揺と、餓鬼の動きが伝えられてくる。

 餓鬼は右手を振り上げていた。


 餓鬼とて考えなしに戦っていた訳ではない。

 "指"を狙っているのは察していたし、隙を伺っているのにも気付いていた。

 左腕での大振りは敢えてやったのだ。

 相手が賭けにくるだろう予測の元、ライオを捨て札で誘い出した。

 勝利を確信し、右腕を振り上げる。







 ──その瞬間、誰もが彼女を忘れていた。

 餓鬼も、神父も、ライオでさえも。


「光よ!!!」




 餓鬼とライオの間に閃光が生まれる。

 刹那の時、石室内が白く染め上げられた。


「ギィィ!!!?」


 絶叫が響く。

 餓鬼の眼球は閃光に焼かれて、完全に潰されていた。身悶えして、振り上げていた右腕で目を押さえている。


 "指"のある場所は膝を着いたライオのすぐ前。

 彼は残った力を総動員して魔剣を動かす。


「──ヴァハール、力を貸せ!」


 ずぶり、と魔剣が突き立てられた。

 餓鬼の動きが止まる。


 それから、一声小さく鳴いた餓鬼は肉の山へと姿を変えた。死体の山だ。それもすぐに腐って溶けてしまった。

 後には何も残らなかった。






 パチパチと空虚な拍手が響く。

 神父によるものだ。

 床に倒れたライオの、傍らに付き添うシェズは恐々とそちらを見た。

 これで今から神父の相手をするなど考えたくもなかった。どうやっても勝ち目があるように思えない。


 しかし神父に戦うつもりはないようで、数度手を叩くと、何やら懐から小瓶を取り出した。


「それを飲めば死ぬことはないでしょう」


 放って寄越された小瓶を咄嗟にキャッチするシェズ。

 いったいどのようなつもりなのか。彼女が真意を問えば、神父はすまし顔で答えた。


「死闘には報酬を。我らが王の意向ですよ。んーまあ、いささか拡大解釈なきらいはありますがねえ。私は殺すに限ると思いますが、"七指王"は会いたいと仰せでね」


 仕方ないので生かしてあげます。

 神父はそう言うと再び懐から何かを取り出した。


「餓鬼は余興です。んー、倒されるとは思いませんでしたが。これはこれで収穫でしょう。まさかたった二人で倒すとは。……星の祈り手とは凄まじいものですね」


 神父の手には拳大の水晶玉が。


「目的は達したので良いとしましょう。それではこれにて、私は退散させていただきます」


 ──ではまたいずれ。『大迷宮』でお会いしましょう。








ご覧いただきありがとうございます。

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