二十四話:『隧道』(三)
「んー、遅かったじゃないですか。星の祈り手よ」
ライオとシェズを出迎える言葉。
友好的な口振りでありながら、しかし剣呑な視線。禿頭の神父がそこに居た。
『隧道』の最奥である墳墓に辿り着いた二人は、棺の安置されている石室へと到達した。
広い部屋だ。
体育館ほどもある。天井の高さも相応にあった。
その広い空間の中央に石棺がある。
誰も開けたことのない謎の棺だ。埋葬されている人物の伝承は絶えて久しく、墳墓という呼び名も推測でしかない。
神父は石棺の傍らに立っていた。
禿頭の、年のいった男だ。しかし老いてなお精悍で、アミュレットを持ち上げる大胸筋の隆々たるや。一目見て只者ではないと思い知らされる。
さらにはその周りに侍る十四の影。
顔を布で覆った男たちは皆跪き、微動だにしない。
暗いはずの石室は明かりの魔術で煌々と照らされ、まるで発掘現場のよう。しかし居合わせた人物たちはそうではない。
明らかに怪しげな宗教家と取り巻き、そしてライオたち冒険者。
互いに互いを観察し合う。
「待っていたのですよ、あなたたちを」
神父が言った。
「……待っていただと?」
「あたしらをか?」
二人が怪訝そうに問えば、禿げた頭をつるりと撫でて神父が答える。
「ええ、その通り。とは言え、誰でも良かったですし、あなたたちに限った話ではありませんが」
要領を得ない答えにライオは警戒を露にする。
この手の輩は、自己完結している上に自己進化までしてくれる。あれはもう答えが出てしまっている部類だ。
その時、神父のアミュレットが光を反射して煌めいた。身動ぎによるものだろう。
それに反応したシェズがぼそりと「指?」と呟きを漏らす。
ライオも目を凝らして見てみると、確かにそれは人の指だ。銀色の指。
「我らの悲願。王の復権。それを叶えるための一歩がこの地より始まります。んー、なんと素晴らしい。なんと喜ばしい」
どこか平坦な口調で神父が喜びを語る。
彼は石棺を擦った。早くお目覚め頂かねば、と囁くように話しかける。
「ここに何が眠るか。星の祈り手よ、知っていますか?」
突如、神父の視線がライオとシェズへと向く。
優しげに問いながら、虚偽は許さぬと強く睨む。先ほどからどうにも言動の一致しない男である。
ライオにはそれがなんとも薄気味悪く思えた。
「あたしたちはなにも知らないわ」
「んー、そうでしょうそうでしょう。知るはずがありません。星の祈り手は無垢なれば、世の真実を語るは我らの役目」
刺々しい視線を注ぎながら、神父の口元がゆっくりと弧を描く。
「"ここ"に眠る者など居りませんよ」
二人は揃って首を傾げた。
何を言っているのか。棺があるではないか。
内心の疑問を見透かしたように、神父は続ける。
「そもそも墓などではありませんから」
「何だと?」
「ここが『隧道』などと呼ばれているから勘違いを為されたのでしょう。んー、その名は後世の民が勝手に付けたもの。正しくは──」
言葉を切った神父が棺を叩いた。それまでの丁重な扱いから一変、荒々しく粗雑な扱いにライオは目を見開く。シェズも同様だ。
石棺からは虚しく甲高い音がした。
中に何かが入っているとはとても思えない音だ。
「──『産道』です」
生理的な気持ち悪さに背筋がぞくぞくするのをライオは感じた。
喉をひきつらせたシェズが一歩下がる。
彼女を庇うようにライオは前へと出た。
「んー、怯えさせてしまったのなら申し訳ない。大丈夫ですよ。孕み袋はここにあるのですから」
そう言いながら、神父は棺をさらに叩く。
そもそも星の祈り手は子を成しませんしね、と呟きながら。
まだシェズを庇いながら、ライオは神父の言葉の考察を始める。猶予はなさそうだ。手早く考えをまとめなければなるまい。
「さて、我らが王の腕となるか、足となるか。楽しみですね」
神父はライオたちから目を逸らさない。首から上が固定されているかのように、じっと視線を注ぎ続けている。
まるで見るのを止めたら消えてなくなってしまうと思っているようだ。
「……あんたらの王様って何者なのよ?」
その時、黙っていたシェズが口を開いた。
気味の悪そうなものを見る視線は変わりないが、その右手にダガーを握り戦意までは損なわれていない。
「んー、知りたいですか? ならばお教えしましょう」
ライオは神父が瞬きをしないことに気が付いた。まったくしないのだ。途端に彼の顔が作り物めいて見えてくる。
「我らが王は最強最古。勇猛無比にして天下に覇を唱えた最初の王。世の全てを手中に収めるまであと一歩に迫った魔なる王」
「ですがその名を知る者は今の世に居りません。そう、我ら臣下を除いては」
「我らが王。"七指王"■■■■■■■の御名を覚えて逝きなさい」
神父の口はその名前を確かに紡いだはずだった。間違いなく唇は動いていた。
だと言うのにライオの耳には雑音ばかりが届き、聞き取ることは叶わない。
明らかな異常だった。
それはシェズも同じだったようで、彼女も困惑している。
「んー、まだ聞き取れませんか。星の祈り手は皆そうなのでしょうね」
神父はそれほど気にしていない。そういうこともあると、慣れたような気配すら漂わせている。
雑音に気を取られていたが、ライオの耳に引っかかったのはもう一つあった。
"七指王"。そのフレーズは、彼が見たあるものを連想させた。
礼拝堂の七本指。朽ちた幕に、それでもはっきりと描かれていた異形の手。
魔剣ヴァハールとともに眠っていたもの。
自然とライオは魔剣の柄を強く握りしめていた。
繋がりがないとは思えなかったのだ。
「──さて。んー、問答もこの辺りにしておきましょう」
神父がアミュレットを摘まむ。
そして銀の指に口づけた。
変化は劇的だった。
輝かしい銀色は目に見えて褪せて、石棺の蓋がひとりでに動く。
「あなたたちが来てくれたお陰で封印が破れました。星の祈り手がこの石室に居なければ、棺は開かないのですよ」
石棺の蓋がごとりと床に落ちた。
「……その中に"七指王"の身体があるんだな。ただそれも一部だろ?」
ライオの言葉を神父は肯定する。
ここには左足がありました、と。
それから萎びた人の足を棺から取り上げた。恭しく、それが何にも勝る宝物であるかのように。
ライオはその足を奪うなり破壊するなりすれば神父の目論見が叶わないことを悟りながら、しかし手を出すことなど考えもしなかった。
呼吸を止めて、ただやり過ごす。
それだけを考えて、石のように待った。
神父がそれを丁寧に布で覆ってから、ようやく止めていた呼吸を再開させる。
ライオの背後で荒い息づかいが聞こえた。この時までシェズが居たこともすっぱり頭から抜け落ちていた。
「賢い判断ですね」
あれは。
"七指王"はまだ生きているのだ。
あんなミイラのようになっていながら、パーツごとに分割されていながら、強大な力を誇る王は未だに死ぬことなく在り続けている。
その気になれば、知覚さえすれば、ライオたちを殺すことなど造作もなかっただろう。
仮にあの時、ライオが破壊を選んだとしてもそれは成し得なかったに違いない。
踏み込んだ時点で死んでいた。それが分かるだけの力の差があった。
「私の用事はこれで終わりですね。あなたたちが来てくれて助かりました」
ライオは額の汗を拭う。
荒い息を吐きながら神父を見やれば、彼は鬼のような形相をしていた。
「これは一つのお礼です。あなたたちの身に覚えがないことでしょうが、私が納得できないのでね」
そう言うと、神父は側に控えていた男へ何かを渡した。
先ほどの指だ。もう色褪せてしまった銀の指を手渡したのである。
「私の指を用いて、この魔窟の正しい名を刻みつけてやりましょう」
「……指にしては多くないかい?」
「んー、強がりが言えるとは思った以上ですね。しかしその問いは宜しくない。"七指王"を崇める我らがその名に準えない訳がないでしょうに」
片手で七本。合わせて十四本。控えていた取り巻きの人数と同じである。
そんな気はしていたけどね。ライオは小さく呟いた。
指を預けられた男はそれを捧げ持つと、顔の布をめくって口へと放り込む。
シェズが小さな悲鳴を上げた。
「封印を破るために用意した特別な触媒です。効力が切れたとしても、宿した呪詛は失われませんよ」
男の身体が風船のように膨らみ、弾けた。
肉片が飛び散る。
それらは他の取り巻きに張り付いてから、勢いよく石棺の中へと吸い込まれていく。取り巻きたちもろともに。
石棺に引きずり込まれ、絶叫をあげながら呑まれていく男たち。
ぐしゃぐしゃ、ばきばき。骨の砕ける音。肉のひしゃげる音。泣き声。血の滴る音。筋の切れる音。泣き声。めきめき、ぶちぶち。
十四人分の大の大人が、石棺一つに収納された。
蓋が勝手に閉じられていく。
神父は満足げに頷いた。
「さあ、高らかに産声を響かせなさい──」
ガタン。
石棺が大きく震えた。
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