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十七話:牢の中


「──うまく行かないもんだよな、まったく……」


 衛兵詰め所併設の独房で、ライオは一人天井を仰ぐ。

 冷たく固い床に寝そべり、わずかな月明かりに照らされた牢でじっとしている。彼は捕まったのだ。ユレンメンの衛兵に。

 罪状は建物への侵入とギルド職員への暴行、それから立ち入り制限の強行突破。どれもライオには思い当たる節があると言うか、全て承知で犯した罪である。捕まることに否やはない。

 なので大人しく牢に入れられているわけである。


 一晩を牢で過ごすこと。それがライオへの罰だった。

 随分と甘いものだ、と彼自身そう思うが、これには理由がある。



 まず、被害が軽微であったこと。

 盗まれた品はなく、ギルド職員の怪我も打ち身程度だ。ゲームとしてそこまで厳密な法秩序の運営をするつもりがない、という点も減刑に繋がった。

 それから、情状酌量の余地があったこと。

 ライオの動機は分かりやすく、妹の薬を用意するためと聞かされた時点で代官はさして厳しく裁くつもりがなくなっていた。また、町中に噂としていくらか広まっていて、あまり強く罰するのは憚られる土壌が生まれつつあったことも影響している。

 そして、ミュエル商会への貸しを作れること。

 裁判官を兼任している代官からすると、これが一番大きいかもしれない。魔窟への侵入が明らかになってすぐに、会頭である父親が代官のところへ頭を下げに来た。さらには今後も町のために尽くすと言質も取れて、軽く罰するに留める方が利益は大きい。



 そうして、ライオはたったの一晩で自由の身となれる訳だが、抵抗することなく牢に収まっているのはまた別な理由だ。

 燃え尽き症候群に近いか。それとはまた別か。


 天井を見つめて、ライオは大きくため息を吐く。

 その姿は気だるげで、覇気の失せたものであった。ゴール寸前で転んでしまったような雰囲気を漂わせている。







『──兄貴』



 ライオが魔窟から出てきた時、待ち受けていたのは衛兵とギルドの職員、それから弟のワイゼルだった。

 ワイゼルの泣きそうな顔を見て、ライオは全てを察したが、それでもその言葉を聞き届けようとする。

 周囲も二人を尊重してか、黙って囲むだけに済ませていた。



『兄貴は間に合わなかったよ』



 そうか。ライオはそう答えた。

 彼の体感では三日という約束は守ったはずだ。それでも足りなかったらしい。

 妹の命はそれほどまでに限界ギリギリであったのだ。



『すまない、約束を守れなくて──』



 別に謝ることはない、と言葉にしようとしたはずだった。しかしライオはそう思いながらも発することが出来なかった。

 割り切って考えていたはずなのに。ろくに言葉を交わしたことのないライオの設定上の妹。それくらいの認識だったのは間違いない。

 だがしかし、いざ亡くしたとなると無力感に襲われた。


 ライオは抵抗する気など欠片も起こさなかった。

 それどころか、彼は家畜のようによく従った。

 促されるままに聴取を受け、流されるように牢へ送られた。


 衛兵の一人はこう溢した。何かの間違いなんじゃないのか、と。

 そう疑いたくなるくらい、ライオは投げやりになっていた。







「分かっていたさ」


 月明かりの差し込む薄暗がりは、仄かに青い。

 ぼんやりと染まった青の天井を眺めながら、ライオの呟きは止まらない。

 特に咎められることもない。看守は離れたところに居る。

 静かに寝転がるだけの彼を見張り続けることなど誰がするものか。


「分かってたんだけどなあ……」


 タイムリミットが縮まった時も、礼拝堂の前の石室で目覚めた時も、うっすらとした予感が常に彼を揺さぶっていた。

 所詮はゲーム。試験として楽しんでいるだけ。

 そう自分に言い聞かせてきたが、それも無駄だったか。

 たったの一日。それだけで彼はこれほどまでに心奪われている。


「いや、完璧主義なだけさ」


 のそり、とライオが身を起こす。

 暗がりに一人、静かなものだ。


 装備は全て没収されている。しかしそれも、夜が明ければ返却されるだろう。

 今の彼は平服で、無手で、無力のちっぽけな人間だ。

 それもあってか警戒などされていない。

 従順で反省の色が濃い模範囚に近い。


「これで満足できるか?」


 エイミーは死んだ。助けられなかった。

 仕方のないことだ。ライオにはどうしようもなかった。

 理解は出来ている。なるべくしてなった出来事だ。


「納得できるのか?」


 ライオは己れに問いかけた。

 答えは分かりきっている。




 だから、彼は名前を呼んだ。




「──"ヴァハール"」




 ぬるり、と手元に魔剣が現れる。

 空間を裂いたり、飛び越えてくるような派手な演出はなく、ずっとそこにあったかのように魔剣は自然に事実をねじ曲げた。空間跳躍でも次元潜行でもなく、事象改編という魔法の領域。ないものをあることにしてしまう、人には届かない理外の業。

 そんなものを軽々と行使して、"担い手の手元にある"というごく当たり前の事態を作り上げた魔剣に、ライオは薄く笑む。

 良いじゃないか。そう褒めた彼は鞘に納まった魔剣を取り上げる。


 魔窟の中で、ライオは魔剣の担い手となった。

 前任者から奪い取り、名前を呼んだことで所有権を書き換えたのである。彼が狙って引き起こしたことではないが、奇しくもその手順は代々行われるものと合致していた。


 戦争の魔剣はいやに静かで、まるでこれから先の展開を知っているかのようにワクワクしているように見えた。嵐の前の静けさ、という言葉がライオの脳裏に浮かぶ。


 魔剣を手にした彼は、質問を投げる。


「星の冠、というのを手にすれば願いが叶うんだな?」


『もちろんだ。この剣は嘘を吐かない』


「死者の蘇生も?」


『この剣が何をしたか忘れたのか? 冠であればより正しく、より完璧にこなすだろうよ』


「どうすれば良い?」


『魔窟を出る前に語った通りだ。"大迷宮"。そう呼ばれている魔窟を踏破しろ。そうすれば手が届く』


 答えた魔剣を見つめるライオ。

 知恵ある魔剣は危険な代物だ。どのような思惑があるのか読めず、しかしその思惑が世のため人のためとならないだろうことだけは理解できる。


 それでも彼は魔剣を呼んだ。

 問答を繰り広げるためでなく、剣として振るうために。



 月明かりの差し込む角度が徐々に低くなってきていた。

 わずかに見える空は東の方が白み始め、夜明けが近づいていることが分かる。

 点呼まではまだ時間があるだろうが、魔剣を持っているところを見られては宜しくない。もっとも、これからライオがしようとしていることの方が余程宜しくないのであるが。


「"ヴァハール"」


 ライオが再び名前を呼ぶと、魔剣はそれに応じるように魔力を吸い上げる。土地から、そしてライオ自身から。

 くらりと意識が遠のく感覚は覚えのあるものだ。『塔』の吹き抜け、あそこに飛び込んだ感覚とよく似ている。

 あの時のように失神するほどではなく、ライオは床に手をつき立ち上がる。


 煤けていた鞘が、埃まみれの柄が、錆びていた護拳が、魔力の充填によって鮮やかな色彩を取り戻していく。鞘の木材は深紅に染まり、握りの紐は朱色に、金属は鉄色の輝きが蘇る。

 するりと鞘から抜き放てば、未だ暗い牢の中で目映く煌めく一条の光。

 ライオは思わず惚れ惚れと、掲げた剣身に見とれてしまう。

 命奪う品ではなく芸術品のように思えた。だが真実これは魔剣であって、人の血を啜る悪鬼の類いである。

 ライオはそれを理解していても、そんなことがどうでもよく思えてしまい……。



 頭を振るって正気を取り戻す。

 ライオは魔剣に魂を売り渡してしまうつもりなどないのだ。


 ──こんな危険物を近くに置いておけるかよ。


 彼は覚悟を新たにする。

 目標が出来たのだ。

 星の冠、それを手にする。


「何せ、完璧主義なもんでな」


 魔剣が震える。

 やってみろ、と笑っているようだ。

 きっと多くの担い手が同じことを考え、同じように失敗したのだろう。

 ライオも二の轍を踏むだけかもしれない。

 それでも、と彼は思った。

 やるだけの価値はあるはずだ、と。




 ライオは壁に向く。

 まだ人々が起き出した気配はない。ただ、この牢が貧民街に近いことを考えると、それほど余裕はないだろう。彼らの朝は早い。



 だから、ライオは手早く出ていくことにした。



 三度、瞬く光が走り、牢の壁はたちまちに崩れた。

 詰め所の方からは轟音に慌てる声がする。

 少し可笑しくなって、ライオの口角が持ち上がる。



 家族には迷惑をかけるだろう。それは重々承知の上だ。

 それでもライオは振り返らない。

 壁に開いた穴から飛び出し、未明の町を駆けていく。






「脱獄だぁ!!!──」


 どこかでそんな声が響いた。










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