十六話:『塔』(十一)
半ばほどで折れてしまった長剣を握りしめ、ライオは間合いへと果敢に飛び込んだ。
いかな長剣と言えど折れてしまえば優位性たる間合いの長さも失われてしまう。
戦うのであれば踏み込む他ない。自分は挑む側こそ相応しいとライオは内心で笑った。
折れていても魔剣と同等程度の長さはあるが、それもすぐに短くなった。
たったの一合。
牽制の撃ち合いですら相手にならない。それでもどうにか凌いで懐に潜り込もうとするライオ。
根本から断たれて、彼の手には短剣ほどの刃しか残っていない。だが距離さえ詰めてしまえば長さなど飾りとなる。
逆手に握り変えて、致命の一撃を放つ用意を整える。
死体はそんなライオから逃れるように、右足を引いて半身となる。
しかし戦意は衰えず、退くのではなく逆に一歩踏み出した。
間合いの有利を投げ捨てる行いにライオは目を見開く。
その瞬間。
──ずぶり。
ライオの腹部。鳩尾の少し左を魔剣が貫き通していた。
胸鎧を掻い潜り、深々と突き刺さっている。じわりじわりと血染みが広がっていく。
動揺があった。
それはライオのものではなく、魔剣によって発せられたもの。
狙い通りではない。
魔剣の狙いは胸鎧を貫通して心臓を穿つものであったのだ。
死体を遮蔽として利用し、直前まで意図を悟らせなかったはずであるのに。
引き抜こうとする動きをライオが抑える。
彼の左手は魔剣を掴んでいた。その手に刃が食い込み血が溢れるも、万力のごとく握りしめて放さない。
膂力は死体よりも上だと分かっている。
逃がすことなど有りはしない。
ライオは死体の方が踏み込んできた瞬間、一つの賭けに出た。捕まえようと伸ばしていた左手で、魔剣を誘導するというものだ。
胸への突きであればライオの勝ち。心臓を守ると決めているから、反応が間に合う。
首を切りつけられたり、相手が転倒を狙っていたりしたらライオの負けである。哀れ、魔剣の目論み通りに新たな死体が生産される。
「分の悪い、賭けではなかったがな……」
結果はこの通り。
心臓目掛けての突きをライオが叩き落として捕まえた。
実は魔剣にはまだ勝ち筋が残されている。
ライオも魔剣もそれは承知だ。だが、絶対に使われることはない。
魔剣は身体が欲しいのだ。ライオの身体を、せめて操れる程度の損壊に留めておきたい。
なるほど、腹に突き立てた状態で先の衝撃波のような攻撃をすれば確実に殺せるだろう。ライオとて体内から破壊されれば為す術ない。まず間違いなく即死する。
しかしそれは、魔剣にとって魔窟から出ることを諦めるのと同義であった。
さすがに、腹の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜた死体が自在に操れるものとは魔剣も考えていない。構造的な話だ。魔剣を扱うという動作に耐えられない。
勝負に勝っても試合に負ければ世話ない。
魔剣が絶対に選べない勝ち筋であった。
ライオは折れた長剣を死体の肘へと振り下ろす。
乾いた死体は簡単に壊れ、前腕が千切れて取れた。踏ん張っていた死体はたたらを踏み、その場で尻もちをつく。
枯れ枝のように破砕されたことで外れた右腕は、塵のように崩れて消えた。
死体と魔剣の物理的な接触は絶たれたものの、それでもまだ動けるようで、死体はライオから魔剣を奪い返そうと立ち上がる。
完膚なきまでの破壊。それが求められた。
魔術的な繋がりとは接触に依るものではないのだ。空間的な隔たりがあろうとも、一度結び付けられたならばそう簡単には引き剥がせない。
とは言えやはり死体の動きは鈍り、怪我をしたライオでも捕まらないように躱すことが出来た。
握っていた長剣の残骸を放り捨てる。
ぼろぼろに壊れたあれでは、死体の動きを止める頃にはライオの息が止まってしまう。
故にライオは、一撃で破壊できるだろう武器に手を掛けた。
「ぐぅ……、がぁ……っ!」
異物感に呻くライオ。
ずるりと抜かれる魔剣。
栓が外れて、血が止めどなく溢れ出る。
すぅ、と視界が遠くなり、足に力が入らなくなるのを彼は感じた。倒れそうになる身体を踏ん張ることで支える。
不思議なことに魔剣は静かだった。
特に抵抗する素振りも見せず、震えることも騒ぐこともなく、まるでライオが何をするのか見守っているかのようである。
よたよたと迫る騎士の死体。
逃げ続けようにもライオの足取りは覚束ない。
だから彼は右手に掴んだ魔剣を向けた。
切っ先を突きつけて、その名を叫ぶ。
「──"ヴァハール"!!!」
直後、礼拝堂が揺れた。
間近で雷が落ちたような轟音が鳴り響き、衝撃波が撒き散らされた。
石材が共振し、埃が舞い上がる。
床には亀裂が走り、講壇台は粉砕された。
もうもうと土煙が立ちこめて、礼拝堂はいっそう無惨な様相を呈していた。これでは元が礼拝堂だと知らなければ分からないだろうに。
それほどまでに破壊の痕は大きい。
さて、ライオは反動で吹き飛んでベンチの残骸に埋もれることになったのだが、騎士の死体はと言うと木っ端微塵に砕けて消えてしまった。
真正面から衝撃波を受けてしまい、脆くなっていた身体は耐えられなかったのである。残された灰も埃に混ざって分からなくなってしまった。
その身を犠牲に魔剣を封印した騎士ケルゲンは、墓はおろか死体すら残らなかったのである。
身悶えしながら起き上がったライオは人影が見当たらないことを確認すると、力なく笑った。
あれこそは乾坤一擲にして、起死回生の一撃である。通じていなければ潔く死ぬ他ない。そう考えてのものであったが、天は彼に味方したようである。
「……彼を解放してあげたのかもしれないか」
そう呟いてライオは右手で握った魔剣を見る。
吹き飛び、転がり、それでもなお手放さなかった。いや、手放せなかった。
石にでもなってしまったように右手は柄を握った形で固まり、魔剣はライオから離れようとしない。
ライオは既に理解していた。これは強制装備の類いだ、と。
装備を固定化する呪い。これもまたゲームによくあるものだ。驚きはない。元よりこれは魔剣なれば。
むしろ"らしい"と言えるだろう。
「分かってるよ」
魔剣に向けて語りかけることで、ようやく彼の右手が自由になった。
やはり持ち帰らなければならなかったようである。
しかし捨てて帰る訳にもいかない理由があった。
ライオは現在、魔剣の賦活によって生き永らえている。流れ出た血、折れた骨、傷付いた内臓。そのどれもが彼を死へと導く。
そこから遠ざけているのは魔剣なのだ。死人でさえも戦場へと駆り立てる魔剣の力にライオは支えられていた。
手放してしまえば魔窟の中で一人朽ちることとなるだけだ。
また、責任感というものもある。
いくらゲームと言えど危険物を掘り起こすだけ掘り起こして、はいおしまいではライオの気が引ける。そこまで無責任な男ではないと自認する彼は、何らかの処置が施されるまでは預かっていようと決めたのだ。
講壇の残骸に埋もれていた魔剣の鞘を回収したライオは、魔剣を自らの腰に差した。
一蓮托生、とはならないだろうが短い間よろしく、と軽く叩くとカタカタと魔剣が揺れる。
それから、腹の傷に魔法薬を振りかけた。お高い薬だ。用意してあったのは二つだけで、その内の片方は瓶が割れてしまっていた。むしろ片方残っていただけ僥倖だろう。
それを傷口に振りかけ、ライオは一つ発見をする。しみる感覚は軽減されないようなのだ。つまり、尋常でなく痛む。
呻き、悶え、苦しみ、歯を食いしばる。
彼は必ず報告することを心に誓った。
どれくらい苦しんだか。
ライオが動けるようになった頃には、埃はすっかり落ち着いて、礼拝堂は元の静けさを取り戻していた。荒れ果てた様は変わりないが、砂煙がなくなるだけで大分マシに見える。
立ち上がったライオは傷口のひきつりに顔をしかめる。低級の魔法薬を一瓶程度では仕方のないことだが、傷が治りきってはいないのだ。貫通創を治癒するには効力が足りなかったのだろう。もっとも、どれだけの代物ならば治しきれるのかライオの知識にはないため、何とも言えない部分もあるが。
目的の品である"ウォレステスの灯薔薇"をいくつか回収したライオは、重たい足取りで講壇台の裏に回った。
そこには跳ね揚げ戸があった。その存在を隠していた台が破壊されたことで分かりやすくなっている。
残骸を払いのけ、ライオはその戸を開ける。
それから一瞬の躊躇の後、扉の先の暗闇へと飛び込んだ──。
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