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十五話:『塔』(十)


 果たしてどのようにすれば魔剣を打ち負かすことが出来るのか。

 折るのはまず無理だろう。

 ライオの長剣はここまでの酷使に堪えかねて刃毀れが目立つ有り様だ。この長剣であの如何にも名剣の類いでござい、という魔剣を叩き折れるものとは思えない。

 そもそも、この魔窟に死体とともに十年余り放置されて碌に手入れもされていないはずなのに、鏡のように滑らかな白刃を保っているのだ。壊そうとして壊せるものであるのかも定かではない。

 ライオは魔剣の破壊を早々に諦めた。


 次善の策として、狙いを騎士の死体に設定する。

 いくら魔剣とて、それを振るうものが居なければただの棒切れに変わりない。

 先ほどの魔剣の発言。担い手を求めるそれに、ライオは賭けることとした。


「まあ、分の悪いものじゃない」


 ライオは薄く笑う。

 魔剣の放つ精神作用によって高揚する気分は緊張を誤魔化してくれた。

 強張る身体がほぐされ、高鳴る鼓動に戦意が後押しされる。造り出された身体反応を精神反応と誤解させられることで没入する強制的な集中状態。


 恐れはない。

 怖れはない。

 畏れはない。


 ──なるほど、これは戦争の魔剣だ。暗黒だの恐怖だのの魔剣ではない。


 ライオの冷静な部分がそのように評する。

 戦争という、相手が居なくては成立しないものを司るために、魔剣の能力は公平であるのだ。皮肉なことに。

 戦意を駆り立て、闘争へと導く。

 その能力に敵も味方もない。場の全てを破滅へと誘う悪魔の旗手。


 ライオはそこで理解した。

 黙示録の四騎士は終末に降り立つそうだが、これは確かに無作為に撒き散らされれば破滅もする、と。

 さすがにゲームとして見た時に、それほどまでの効力を持っているとは思えないものだが、それでも封印されるのに納得が出来た。





 撃ち合わされる金属の音が響く。


 思考を巡らせながら、ライオはなにもしていなかったわけではない。

 既に十合を超える撃ち合いを経て、彼は未だ間合いから離れずにいた。足を止めて正面から剣を叩きつける。そしてそれは何度も弾かれた。

 その手にある長剣は無惨な姿となり、折れていないことが不思議に思えるほど。まるで鋸のような刃毀れで、魔剣と撃ち合うごとに傷は深まるばかりである。


 押されていた。

 騎士の経験に裏打ちされた技量と、年月を経た魔剣の吸い上げてきた術理が噛み合い、ライオを寄せ付けない。

 勝っていたはずの膂力も技術によって覆されてしまう。


 鮮血が舞う。

 関節の隙間を狙い、魔剣は確実な消耗を強いてくる。

 命ある者として、失血には抗えない。

 死体を操る優位性を活かした長期戦の構えであった。


 そのうち撃ち合いではなく、剣撃を躱す場面が増えてきた。攻守が逆転し、ライオは必死に太刀筋を見切ろうとする。

 それでも魔剣が掠めて、ライオの傷が増えていく。血が滲み、動きが鈍る。それによって彼は消耗し、さらに攻撃を受けてしまう悪循環が発生していた。



 このままではジリ貧だと、ライオは状況を打開するべく後ろへ跳んだ。

 間合いを開けて、体勢を整える。そう判断してのことだった。



 その判断は誤りで──。



 突如としてライオを襲った爆発的な衝撃は、彼の身体をまるで風に舞う木の葉のように吹き飛ばし壁へと叩きつけた。

 ぐしゃり、と磔になった彼は、ずるずると床へ落ちる。力なく壁に寄りかかり、ガクンと彼の首が垂れた。

 止めどなく流れる血が彼の下に溜まり行く。


『戦士が退くものではない。悲しいな。見込み違いか』


 魔剣は嘆く。倒れた戦士に用はない。後は朽ちるのを待つだけだ、と。




 強制的なダウンと失神状態。ゲーム的に言うならばスタンか。

 ライオの身体はまだ死していないが、それでもすぐに立ち上がれる訳ではなかった。視界は闇に呑まれ、感覚はなく、指先一つ動かせない。

 最早ライオに出来ることなどなく、死亡することで【Lily's nobody】を終了するのを待つだけなのだが、しかしその時は中々訪れなかった。


 魔剣にしてみればそれこそ据え物切りと変わらぬだろうに、止めを刺されないことにライオは疑問を覚える。

 動かぬ身体なれど思考だけは常と変わらぬものである。

 今感じたこと。先ほど感じたこと。それらを合わせて魔剣の謎を紐解いていく。




 魔剣が何故トドメを刺そうとしないのか。これはすぐに思い当たることがあった。

 魔剣には担い手が必要である。今は騎士の死体を操っているが、奴はライオの身体に乗り換えるつもりであるようだった。

 それはきっと、あのままでは支障があるからに違いない。

 ライオはそこであることに気付いた。

 先ほどの剣撃。そのやり取りの中でライオは足を止めていた。それはつまり、魔剣も同じと言うこと。これがもしや足を止めていたのではなく、足を動かせなかった(・・・・・・・・・)のだとしたら……。


 なるほど、朽ちた骸が崩れてしまうことを魔剣は嫌がっているのだろう。新たな身体を得る前に騎士の死体が終わりを迎えれば、ライオの身体に乗り換えることも出来ずに魔窟の床を転がることになってしまう。


 魔剣の攻撃が消極的であったこともその考えを補強する。

 ライオの関節を狙う斬撃は鋭いものであったが苛烈さには欠けていた。あれは死体を綺麗な状態で得ようと欲張った振る舞いだったのだ。

 その強欲さはライオにとってプラスに働いた。もし仮に深傷を負った状態で衝撃波を受けていたとしたら、とてもじゃないがスタンでは済まなかっただろう。



 ──そのスタンもそろそろ解消されそうだ。



 先ほどの衝撃波は何だったのか。ライオは既に答えを知っていた。

 全身に浴びて理解したのだ。感じ取ったとも言える。


 あの衝撃波は戦争の魔剣としての能力だろう。

 そしてそれはずっと作用し続けていたものでもある。


 ライオは一つ不思議に思っていたことがあった。それは『塔』の中で気分が高揚する理由だ。

 最初はゲーム的なギミック。あるいは地形効果の類いとも考えた。しかしどうにもそれは違うようで、ライオは考えても仕方ないと棚上げしていた。

 ヒントは撃ち合った時の感触だった。

 剣を交えるとビリビリと震えるのだ。それが骨を伝って身体の芯にまで流れ込む。


 戦争と音楽は切っても切り離せないものだ。

 英雄は高らかに謳われ、軍勢はリズムに乗って行進する。戦意高揚、国威発揚。何もなく戦争は始まらない。歌はそれを後押ししてくれる。

 演説に使われて人々を虐殺に駆り立てた独裁者の基盤を支えたこともある。

 民衆へのプロパガンダに利用されることなどもあった。


 あの魔剣は歌っているのだ。

 戦争の喜びを。命奪う楽しさを。

 刃を震わせた音に、意思と魔力を乗せることで伝播させる。より広く、より沢山に。


 まさに破滅への導き手だ。

 ただ一振りの剣が戦争を引き起こそうとしている。



 ──ライオの視界が戻り、指先が動くようになる。



 ここまで考えて、ライオのすべきことは変わらなかった。

 騎士の死体を破壊する。

 それで魔剣は無力化出来る。


 可能性の話が確信へと変わったことで、彼の心に火が点る。


 既にライオが意識を取り戻していることは魔剣も気付いているだろうが、やはり攻撃してこない。推測は当たりだ。死体の損壊を気にして行動を抑えている。


 視界が戻った彼はようやく礼拝堂の壁を観察することが出来た。

 苔むした石の壁に蔦が這っている。

 照明らしいものが無いのに、どうして視界が確保できているのか。その答えがそこにあった。

 薔薇が光っている。

 一つ一つはぼんやりと、だが確かな光量を持って辺りを照らしている。


 "ウォレステスの灯薔薇"。

 ライオが探す薬の材料だ。

 求めていたものが此処にあった。


 それを得るためには、魔剣が邪魔だ。

 あれを放置して灯薔薇を集めることなど出来はしない。





 よろめきながらライオが立ち上がる。壁に手をついて、震える足に喝を入れて。

 ダメージは深刻だ。

 壁に叩きつけられたことで背中はじんじんと痛むし、腹の中はかき回されたかのように熱を持っていた。

 ゲーム的な処理として軽減されてなおコレであるのだから、フィルター抜きなどライオには考えられない代物だ。実験的に試している連中がいると聞かされていたが、正気の沙汰とは思えなかった。


「はは……っ」


 ライオの口の端から笑みが溢れる。

 正気の沙汰でないのはライオも変わらない。

 苦痛を覚えているはずなのに、どうしてか立ち上がるのだから。


 半分に折れてしまった長剣を拾い上げ、ライオは魔剣の方へ視線を投げた。

 表情の固定された死体が、何故か険しい顔をしているように見える。


 ライオの目には乗り越えられない強敵として映っていなかった。

 干からびた死体に憐れむような視線をやった彼は、失血からは考えられないほどに堂々と歩き始める。

 魔剣のもとへ。ゆっくりと歩み寄る。


『──良いな。やはり、そうこなくては……!』


 魔剣から強力な思念が放たれた。

 それは喜びに満ちていて。


 ライオは、魔剣がプレイヤーにどこか似ていると感じるのだった。








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