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十四話:『塔』(九)


 まずライオが感じたのは冷たさだった。

 次いで固さ。それから湿気。やがて痛みを覚えて、そこでようやく目を開いた。

 くらくらする頭を押さえながら彼が辺りを見回すと、そこは苔むした石室であると分かる。

 わずかに青臭い命の香りがした。


 ゆっくりと身体を起こし、彼は自身の現状を確認する。頭から被っていた返り血はすっかり乾き、赤黒い塊がぼろぼろ落ちた。

 手にしていた長剣は傍らに投げ出されている。こちらは特に変わりなく、鈍く輝いていた。


「……どれくらい寝ていた?」


 問いに答える者は居ない。ただ、身体の節々に感じる痛みがそれなり以上の時間の経過を伝えてくる。

 そもそもこの石室は何なのか。一体どこなのか。

 ライオは吹き抜けに飛び込み、そこで意識を失った。つまり、ここは魔力の奔流の源であるはずなのに、やけに静かなのはどういう事であるのか。


 石室に出入り口は一つだけしかない。

 床は綺麗に石が敷かれていて一分の隙間もない。唯一の出入り口も重厚な扉で封じられ、閂まで掛けられている。

 さして広くない石室には彫刻も何もなく、長らく人の出入りがなかったように見えた。


「……閂?」


 ふと、ライオは違和感に気付く。

 閂があると言うことはこちら側から扉を閉めたことになる。今ライオが居る方が内側になるのだ。

 誰が閉めたのか。いや、何を閉め出したのか。


 彼の視線が扉に向いた。


 鉄扉は多少錆びているものの、閂を外せば開閉は出来そうである。

 長剣を拾い上げ、ライオは慎重に近付いた。


 至近で見てみれば分かるが、何やら文字のようなものが刻み込まれている。



『──忠勇なる騎士ケルゲン・ボストークの献身に捧ぐ』



 あまり古くないな。ライオはそう呟いた。


 まるで墓碑だ。

 生年も没年も無いが、鉄扉の重厚さがそう感じさせた。ライオは錆の浮いた鈍色の塊に触れてみる。

 特に何も起こらなかった。刻まれた文字をなぞれど、表面を撫でてみようと鉄扉に変化はない。

 やはり閂を外すしかないのだ。


 閂に手を掛けたところで、ライオは更なる彫刻に気付いた。埃によって分かりにくくなっているが、閂の上側にいくつか名前が彫られている。乱雑なそれは、後から強引に刻んだものと思われた。


「グリズ……、オレーグ……、ドートン……、ケイン……」


 全て見覚えのある名前だ。

 ユレンメンの冒険者である。しかも、四人とも領主と繋がりのあるような上位のそれだ。

 この先に、何か碌でもない事実が隠されている予感がした。ライオはわずかに躊躇いを見せる。


 それでも彼は鉄扉を開けると決めた。

 錆び付いて固まってしまった閂に手を掛け、ガリガリと音を立てながら持ち上げて外す。

 閂は長剣よりも余程重く、ライオでも一人で外すのは難儀するほどだった。


 ゴトン……。


 床に置く時には鈍い音がした。ただの鉄ではないようだが、そうなると扉の奥にはそうした特殊な材質で封印する必要のある代物が眠っていることになる。

 さすがのライオとて緊張を感じた。

 一体何が封印されているのか。彼は大きく息を吐き、閉ざされている扉に両手を当てた。


 ぐっ、と渾身の力で押し開こうとする。

 腰を落として、両足で踏ん張る。腕だけでなく全身の筋肉を活用して、食い縛った歯が軋むほどの力を生み出す。ライオの全身が唸る。

 パラパラと埃が落ちた。

 それに手応えを感じた彼はさらに力を込める。


 やがて、枠と扉とを繋ぐ蝶番が耳障りな音を立て始める。

 金属の擦れる耳に痛い音だ。

 錆が削れて剥がれ落ちる。

 鉄扉がわずかに動き始めた。ギシリギシリと力に負けるように押し開かれていく。


 閉ざされていた扉に隙間が開き、空気が流れるようになった瞬間のことだ。

 ぱつん、と何かの弾ける音がした。それを聞いたライオは糸か何かが切れたのかと思った。そんな小さく軽い音だ。


 ──直後。

 扉の抵抗が軽くなった。

 ぐんと動くようになり、一気に開け放たれる。



 生温い風がライオに吹き付けた。

 それまで感じていなかった魔力が勢い良く浴びせられる。

 くらくらとした酩酊感が彼を襲い、呻きながら一歩下がることとなった。

 ふらついたものの、膝をつくことはどうにか堪えたライオは、封印されていた先を見る。




 石室の向こうは礼拝堂のようだった。

 傷んだ絨毯が中央に敷かれ、その両脇にベンチの残骸が並んでいる。

 奥は一段高くなっていて、講壇らしき机と祈りを捧げるシンボルだろうか。朽ちた幕が垂れ下がっている。描かれているのは──。


「手、か? ……指が七本あるな」


 七本指の手。

 ライオの記憶にそんなものはない。これはプレイヤーとしてもそうだし、キャラクターとしての知識としてもそうだ。きっと外聞の悪いものなのだろう。

 そんな思考を抜きにして、ライオは生理的な嫌悪感を覚えていた。あれは倒すべき何かであるのだと直感が叫んでいる。



 ライオはシンボルに目が行っていてすぐには気付かなかったが、講壇の前にも何かがあった。

 そちらに目を凝らすと、暗がりの中に何やら人のようなものが。

 講話台に腰掛けて講壇に凭れているそれは、遠目には人の死体に見えた。


 気を抜きすぎたと己れを叱責しながら、ライオは剣を握り直す。

 こんな場所にある死体が、ただの物言わぬ骸であるはずがない。きっと鉄扉に刻まれていたケルゲンなる騎士だろう。

 それがどんな動きを見せるか。

 まず間違いなく敵対的なものだ。でなければ封印の必要がない。


『……わ、我が』


 掠れるような声。

 静寂の中でよく響いたそれに、ライオは眉を寄せる。聞こえてきたのは講壇の方から。

 死体の様子を注視する。


『わ、わ、我がナ、はkeルゲん。ほ、ホ誉、れたかきィ、王、国のキ、キキ、き、騎士なり』


 たどたどしい口調と掠れた声で聞き取りにくい。それでも聞こえてくる情報を鑑みるに、死体の身元について話しているように思えた。

 己れの素性を明かしているのだ。これから殺す相手への手向けとして。

 もぞもぞと起き上がろうとする死体を見て、ライオはそう確信する。


 封印の先。怪しげな礼拝堂。動き出す死体。素性の開示。


 どれだけ察しが悪かろうと、ここまで揃えばこの先の予想は容易だろう。

 ライオはここが正念場と剣を構える。


『わガ王の、め、メいを受け、魔剣とtもにィ……』


 途切れた声にライオの危機感が高まっていく。

 背筋に冷たいものが走り、礼拝堂の気温が数度下がったように感じられた。


 立ち上がった死体は不自然に仰け反り、ガタガタと震え出す。まるで何かに乗っ取られていくようだ。


『わ、我、我が、わが、わわわわわ、我が』


 ガクン、と死体の首が真後ろに折れる。

 震えが止まった。

 ライオにはそれが良いものとは思えなかった。


 背中の方へ落ちるように折れた首が、勢い良く元の位置に跳ね戻る。

 それから、死体は落ちていた剣を拾い上げた。

 身幅の細い、突いたり刺したりするための剣だ。長さは腕一本分くらいか。装飾の少ない実用性を重視したものに見受けられる。


『この剣は"戦争の魔剣ヴァハール"。星の冠に手を伸ばす戦士の証にして、全ての争いを尊ぶ(モノ)だ』


 流暢な語り口にライオは渋い顔をするだけだった。予想出来た流れの中でも、最悪の展開をなぞっている。


『この剣を手にしたならば振るうべきだ。この剣はその為にある。その為だけにある。この剣は剣であり、そうであれば戦うためにこそ扱われるべきだった』


「なら、どうしてこんなところにある?」


 ライオは問いを投げてみた。

 おそらく今はイベントシーン。強引に戦闘を始めることでスキップ出来るだろうが、魔剣の様子からそれはあまり良いものと思えない。

 故に、会話に乗ってみたのである。


『許しがたきことに、この剣を魔窟などに隠さんとしたのだ。振るうことなく、戦うことなく。ただ朽ち果てさせんが為に、騎士を一人捧げすらして』


「それだけ恐れられていたのでは」


『この剣は魔剣なれば、それは確かに誇るべきことだ。恐怖なくして争いはなく、争いなくしてこの剣はない。しかしそれも名を馳せてこそ。穴蔵に封じられては叶わない』


 すう、と魔剣の鋒がライオの方へ差し向けられる。

 挑発するように。問いかけるように。


 お前はどうする? 言葉にせずとも魔剣の意志が伝わってきた。

 選択肢など無いことは彼も分かっている。

 提案の形をとっただけの脅迫なのだ、これは。

 勝って持ち帰るか、負けて操られるか。道は二つに一つしかない。


「いや、もう一つあるか」


 勝って操られるなど御免であるが。


「──まあ、なんとかするさ!」


 なるようになる。

 間違いなく特別な武器なのだ。

 魔剣なんて格好いいものを、直に目にしておきながら手に入れないとは勿体ない。


 どうせ二択であるならば。

 勝って持ち帰り、自慢するのみ。


『良いな、気に入った。安心して死ね。この剣が丁重に扱ってやる──』








ご覧いただきありがとうございます。

評価、いいねをいただけると大変励みになりますので、どうぞよろしくお願いします。




──吹き抜けはショートカットですね。最上階まで直通です。代わりに体力と気力でチェックが入ります。クリア出来なければ二度と目覚めません。




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