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十二話:『塔』(七)


 基部にあたる一階層から六階層までを駆け抜けたライオは、七階層の『塔』の目前で座り込んでいた。

 走り通しで二時間余り。さらには剣を振り魔物を倒すこともこなしたとくれば、多少の疲労は仕方ないことだろう。さすがの彼とて汗がにじんでいた。

 額の汗を拭い水筒の水を呷る彼は、準備もろくに調えずに飛び出してきたために物資の心もとなさを感じていた。


 例えば携帯食料。日付が変わって昨日の探索のままであるこれは、既に一日分を消費した後だ。三日分を目安に用意したことを思うと、あと二日、節制しようとも一日伸びるくらいだろうか。

 例えば水。こちらの方が深刻で、持ち込めた量は水筒二本分に満たない。さらに今、それを減らしてしまったところになる。怪我をした時に傷口を洗う分も含んでいることを考えるとまるで余裕はない。


 クエストの期限が変更されたと知った彼は、実家を出てからその足でギルドに向かい、ここまでやって来たのだ。

 思い返せば、宿から荷を持って出て行った判断は我ながら褒めてやりたいと、ライオは薄く笑う。


 使いに呼ばれて妹のもとを訪れ、そこで彼女の死期が間近に迫っていることを悟った彼は、極めて冷徹に計算をした。自身がクエストを達成できるか否かを。

 現実に生き死にする訳でないNPC相手だからこその思考である。ライオの妹だろうとそれはゲーム内の、キャラクターとしての彼の家族に過ぎない。プレイヤーとしてのライオは冷静に病状を判断し、魔窟の探索速度とを照らし合わせて答えを出した。

 結論は否。きっと間に合わないだろう。ライオはあの瞬間、弱る少女の命を見限ったのである。


「……でもなあ」


 体力の戻ってきたライオは水筒をしまい、背嚢を背負って立ち上がる。

 高く聳える不可思議の建造物を前にして、その胸の奥底から湧き上がる思いを口にした。


「面白くないよな、それじゃあ」


 白亜の塔は黙して語らず。ただ挑み来る者を待ち受けるのみ。

 ちっぽけな男は再び言った。ああ、面白くないよな、と。




 彼は嫌気が差してしまったのだ。

 呆れてしまったのだ。

 悲しくなってしまったのだ。

 己れの計算高さに。挑戦しない心に。ゲームをゲームと楽しめない姿勢に。

 安定を求めるのは日々の生活だけで沢山だ。

 出来ないからこそ果敢に挑戦する。それが非現実の面白さであると言うのに。

 その真逆に進もうという志の低さに腹が立ちさえした。


 だから彼は、困難を選ぶことにした。

 三日で踏破した上に帰還する? やってみせよう。

 単独で制覇する? やってみせよう。

 準備の時間も惜しい。説得の時間も惜しい。

 阻む者が居るならば押し通る。

 言い訳ならば後でいくらでも出来る。今しか出来ないことを優先するのだ。


 ライオが門番のドゥダンを斬らなかったのは怯えからではない。その点、ドゥダンは全く読み違えていた。ライオが剣を抜かなかったのは、その方が早いと思ったから。ただそれだけのことである。

 無手のまま相対した方がドゥダンは捕縛を考えて動きが鈍る。それを見抜いて、その隙を突く。何故なら殺すよりも早そうだから。本気を出される前に潰した方が効率的だから。



 ──ただそれだけだと誰に向けてでもなく独り言ちて、ライオは剣を携え『塔』へと踏み入った。





 石造りの塔の内部はイメージに反していやに明るかった。

 明かりの類いもないのに常にうっすらと光っている。壁が発光しているのだろうか、いや天井も床も全てがぼんやりと光を放っている。

 ライオとしてはあまり嬉しくない。目が疲れる上に集中力が削がれてしまう。


 ただ、それ以上に困る点があった。

 身体を襲う浮遊感。

 実際に浮いてしまう訳ではない。それが厄介だった。

 試しに彼がその場で跳び上がってみると、着地するタイミングと体感がずれている。思ったよりも跳べないと言うか、常に感覚がおかしいのだ。ふわふわとどこまでも行けてしまいそうに思えてしまう。

 そのくせ実際の動作は普段通りに出来るものであるから、感覚との乖離が著しい。


「……んで、来るよなあ」


 仮に魔窟に支配者が居るとして、あるいはゲームの運営的な目線を持つとして、不慣れな感覚に惑っている所にユニットをけしかけるのは常道だろう。ライオでもそうする。折角のギミックを存分に活用するのであれば、入り口すぐでの襲撃はもはや当然と言えた。


 入り口近くの分岐点。二つの道のどちらからも魔物が迫っていた。

 (ボレアティ)どもは、目を血走らせて駆け寄ってくる。そのどれもが傷だらけで、中には血を流しているものもいた。

 狂暴そのものと言った様子だが、何やらおかしな感じもする。

 下の連中はここまで理性を失っているようには見えなかったが。そうライオは不審に思いつつ、入り口の方へと少し戻り、魔物どもの進路を制限する。


 二方向から攻められるよりも、一本道に誘い込んだ方が楽であるからだ。注意を分散させるのは下策も下策。

 強引に抜けてしまいたくもあるが、肉体を蝕む浮遊感の影響を確かめるために、ここは敢えて迎え撃つと彼は決めた。


 互いに互いを押し退けながら七匹の魔物が分岐点に現れた。もみくちゃな一塊になりつつ、ライオの方へと転がるように迫ってくる。


 理性が飛んでいるように見えていたが想像以上の光景にライオの頬がひきつる。

 戦術も何もない。

 これでは単純な暴力に押し潰されかねない。


 この状況をひっくり返す必要がある。瞬時にライオは構えを変えて、大胆に斬り込むこととした。

 ロングソードを大上段に振りかぶる。

 そして、裂帛の気合いを乗せて鬼どもへと斬りかかった。


 唸りを上げて振り下ろされた一刀は集団中央の魔物の頭をかち割り、燕のごとく跳ね上がった返しがさらにもう一匹の腕を斬り飛ばす。

 ライオは集団を突き抜けて勢い余ってつんのめり、そのまま二歩三歩と魔物どもから距離を取った。

 すれ違う形になった魔物らは混乱に叫び、何やらその場で跳び跳ねている。まるで猿だ。

 その振る舞いはライオに疑念を抱かせる。何故これほどに獣性を露にしているのか、と。


 ライオの脳裏に蘇る、統率個体らしき大柄なボレアティの姿。奴は指輪をしていた。身を飾るという文化的な行いをしていたわけだ。

 示威行為への理解があった。

 そうして群れをまとめていたのだろう。

 それと比べてこいつらはどうだ。


「……何か悪さしている奴がいるのか。はたまたそういう物があるのか」


 どちらにしてもそれはこの先で出会うことになるだろう。

 ライオにはそんな予感があった。


 騒ぎ立てる魔物だが、考えなしに突撃を繰り返すことはせずライオを囲むように動き始めた。

 さすがにいくらか冷静さが戻ったのか。

 叫ぶことは止めないが、じりじりと展開していく。


 先ほどライオが転びかけたのは感覚のズレによるものだ。絶え間ない浮遊感は踏み込みや踏ん張りのタイミングを乱してくる。階段を踏み外した時の感覚が一歩ごとに発生すると言えば、その厄介さが伝わるだろう。返しの一撃で仕留め損ねたのも踏み込みの不足によるものだった。


 さて、残る六匹の魔物を前に、ライオは再び剣を掲げる。狙うべきは仕留め損ねた一匹。腕を斬り落としたなら、次は頚を刎ねる。


 魔物が襲いかかろうとした瞬間、機先を制してライオが踏み込む。加減は覚えた。その身体の制御を失わずに、彼は魔窟の外と変わらぬ鋭さでもって魔物の懐へと潜り込む。


「ギィッ……!?」


 頸の骨と骨の隙間に刃を通し、膂力と技術で分厚い筋肉を断ち切る。バツン、と太いゴムの引き千切れたような音を立てて鬼の首が飛んだ。ほぼ同時に血が噴き出した。まるで噴水のようだった。

 魔物たちの目が血柱へと向く。奴らの動きが止まった。


 振り抜かれたライオの剣は止まることなく肩に担ぐ形で構え直され、刹那のタメの後に雷光のごとき軌跡を描いた。

 振り下ろされた相手は首の飛んだ右隣。袈裟に断たれたその身体は数瞬遅れて地面へと落ちた。背骨までをも両断し、さらに鈍ることなく返しの一刀をライオは放つ。

 床から撃ち上がるように跳ねた剣撃が反転し、ライオを挟むように立っていた魔物へと襲いかかり、その顎から頭頂へと走り抜ける。顔面を二つに割かれた魔物は当然ながら即死し、膝から力なく崩れ落ちた。


 この間、わずかに四秒あまり。

 三匹のボレアティを瞬く間に葬り去ったライオは、するりと包囲から抜け出した。残りの魔物を見据えて構えを正す。正面に向けられた刃の圧力に、残る鬼たちは怯えを隠さない。

 果たして、あの狂奔は何だったのか。

 半数をあっという間に減らされてしまった魔物どもは、戦意を失い震えながら後退りするのみだ。


 そこからは逃げ出そうとする魔物を刈る作業であった。背を向けて走り出そうとするところを追撃し、その全てを切り捨ててからライオは『塔』の奥へと進んだのであった──。







ご覧いただきありがとうございます。

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