一話:オープニングシーン(一)
「おいおいおい、ミュエルの若がこんなところに何の用だよ!」
木製のスイングドアが開かれ、大柄な男が入ってきた。その姿を認めて、部屋の奥から声がかかる。
そりゃお前あれだろ、依頼に来たに決まってんだろ!
仲間の言葉にガハハと笑い声が辺りに響く。
陽気そうに酒を呑む一党は、このユレンメンの町を拠点に活動する冒険者だ。それなりに長く活動する彼らは、酒場めいた冒険者ギルドに入ってきた男とも顔見知りであった。
ゴツゴツと木板の床を踏む足音に、一党はおやと思い注目する。市井で使われている革を編んだサンダルとは音が違う。
見やれば格好もいつもと異なる。
常ならば簡素なシャツとズボンを適当に纏っているはずなのに、初めて見るような重装備だ。
「おい、あんた、どうしたんだ……?」
革鎧に具足、鉢金まで巻いて。まるで討ち入りでもするかのようだ。腰には剣まで提げている。商会の跡継ぎと言うより、これでは冒険者ではないか。
冒険者一党も戸惑いを隠せない。
ミュエルの若と呼ばれた男は、ユレンメンでは知らぬ者の居ない商会の次代であるのだ。こんな場所に武装して来るような立場ではない。
身分こそ平民であるが、ミュエルは遡れば騎士の家系。元は立派なお貴族様である。
今となっては言葉遣いで咎められるようなことはなく、また若の人柄も知ってはいるが、その張り詰めた雰囲気に冒険者たちもどこか緊張してしまう。
「ああ、お前たちか」
そこで今気付いたかのような口振りで、ミュエルの若が口を開いた。
真実、今気が付いたのだろう。
余裕のない様子は周囲に気が行っているようでそうではない。視野狭窄、と言えば良いか。緊張しているのだろう。
赤銅色の短い髪を王冠のように逆立てた大柄な男は、冒険者一党の呑んでいたテーブルへと近寄っていく。
その姿勢の良さに冒険者の一人、最初に声をかけたグリズは感嘆した。
背中に心棒の入ったかのような立ち姿は、鎧などという普段着けない代物を身に付けながらも若が体勢を崩していない確かな証左だ。彫像のような美しさすら覚えてグリズは二度三度と頷いた。
革鎧そのものは大したものではない。──いや、身体に合わせた一点ものとして見れば大層な代物ではあるのだが、使われている革の質はグリズたちの物に劣る。
あれでは全身に重石を纏っているようなものだろう。
だと言うのに、シャンとした若の姿は熟練の冒険者もかくやというもの。武の修練が匂い立つほどであった。
「あんた、まさか冒険者になるつもりか?」
グリズの問いに同じテーブルで呑んでいた面々は目を見開いた。そんなまさか。その驚きは更に他のテーブルにまで伝播する。
ざわめくギルド。ホールはそれほど広くない。酒飲み場として冒険者たちに利用されていたそこではすぐに話が伝わってしまう。
今やギルドに居る誰もがミュエルの若に注目をしていた。
「いやいや早まっちゃダメっすよ!」
グリズの一党、その斥候であるゴランが慌てて制止をする。
グリズの一党のみならず、ギルド内に居た他の冒険者もその言葉を止めることはない。彼らは皆、身をもって知っているのだから。
わざわざ冒険者などになることはない、と。
ゴランの言葉は正しいものとして受け入れられる。ともすれば冒険者たる者への侮辱と取られかねない内容なれども、若者に向けての心優しき忠告であると皆が頷いた。
冒険者、などと格好のいい名前をしているが、その実態は日雇い労働者と大差ない。ふらふらと定職に就かない者の行き先は大抵貧民街になることを考えると、ほとんどチンピラも同然である。
もちろん、武勇をもって称賛される冒険者だって居る。英雄の武勲詩は宴会や祭りの定番だ。
『果てなき夢路のベルブルト』、『風断ちノートンの剣歌』に『ゼルフラントゥスの勲詩』など、ここユレンメンでもよく謡われている。広場に行けばすぐにでも聞けるだろう。
だがそれは幻想なのだ。
夢に過ぎない。
若者は栄達を求めて、時に無謀な挑戦をするものだが冒険者はその類いだった。
町では肉体労働で日銭を稼ぎ、魔窟に飛び込んでは命懸けで血と泥にまみれ。怪我をすれば治療で蓄えは底をつき、倹約を強いられる日々は自由と縁遠いものだ。
そしてあまりにも呆気なく死ぬ。
未帰還で処理される新人は、毎年両手の指で収まらないほどに出る。
『身体を壊して死ぬなら冒険者に、心を壊して死ぬなら癇癪貴族の執事になれ』などという言葉があるのだ。他に道があるのならそちらを進むべきである。
それこそ、酒を呑めるだけで冒険者としては成功している部類に入るのだから、安定した立場を捨ててまでなるようなものではない。
ミュエルの次代ともなればその安定はそう揺らがない。まだまだ当代が元気に仕切っているし、代官とも付き合いがある。
博打をする必要性など微塵もないのだ。
若者にありがちな暴走か。グリズたちはそう思った。
しかし──。
「必要なものがあるんだ」
その切実な言葉に、グリズたちの目の色が変わった。
ミュエルの若、ライオは夢に酔った瞳をしていなかった。
他の新人とは様子が違う。
それに気付いた冒険者たちはこの若者の話を少し聞いてやろうとする。彼らは手にしていたジョッキをテーブルに置いた。
「グリズ、オレーグ、ドートン、ケイン」
挙げられた名前は、ユレンメンを拠点とする冒険者の中でも特に有力とされる者たち。一党を率いて魔窟に潜る命知らずどもだ。
「全員に断られたのなら私が行くしかないだろ」
そこでグリズはとある依頼を思い出した。
既に断った依頼だ。提示された報酬と想定される難易度、要求される成果が釣り合わないから、と。
それの依頼主は、ミュエル商会だった。
「……おい、おいおいおい」
グリズの顔色が変わる。
酒に酔って赤らんでいた頬からは血の気が引き、素面に戻ってしまっていた。
周りの冒険者たちは何も知らない。依頼のことも、グリズの様子が変わった理由も。ただ、大きな依頼が動いていたことだけは察していた。
グリズの掠れるような呟きを聞き取った者は、どうしたものかと視線を向ける。
「あんた、本気か……?」
死んじまうぞ。
怒鳴り付けるのではなく、信じられないと言いたげに放たれたそれは、とりわけ大きな声でもないのにギルド中に届いた。
「死んでたまるか。エイミーを助けるのだから」
ライオはそれに答える。
強く強く決意を滲ませた言葉は、冒険者たちから心配と侮りを取り払った。
夢に酔った訳でもなく、死にたがりな訳でもない。であるならば、それは敬意を払うべき同胞に他ならないからである。
「もしかして噂はホントっすか!?」
ゴランの不躾な問いに冒険者たちから非難する視線が飛ぶ。
ミュエル商会のエイミーが病に伏せたというのは、この一月ほどで噂されるようになっていた。実際、これまで店に出ていた彼女が姿を見せなくなったこともあり、それなりに信じられている話だ。
冒険者たちもエイミーを目にしたことはある。
まだ十を越えたばかりの少女は釣り銭の計算をわけなくこなす才児であった。荒くれ者たちにも物怖じしないで笑顔で対応するため、密かなファンまで居る。
そのエイミーのことだ。興味本位で質問をするなど、その場に居合わせた大半の冒険者は気が咎めたのである。
ライオは無言であった。気分を害した、ほどではないようだが面白くなさそうな空気を漂わせている。だがそれでも頷いた。
まさか認めると思わなかった皆が驚いた。
「え! ダイジョブなんすか!?」
大丈夫な訳がなく。ライオの目が不愉快そうに細められた。
そこでグリズから制裁の拳が飛んだ。彼は依頼を聞かされた都合、エイミーの病名や容態まで知っていたのである。殴り倒されるゴラン。
「うちのアホが悪いな」
「……いや、構わない」
周囲の冒険者たちは流れるように、殴り倒された阿呆をどこかへ運んでいってしまった。
少々面食らいながらライオは気にするなとグリズに示す。強面の冒険者は無精髭をさすりながら、助かるよと謝意を表した。
グリズは知っている。
それから、勘の良い奴ならば気付いたかもしれない。
エイミーは到底助からない状態にあることを。
"ベンゼール病"という病がある。
心臓脇にある魔力器官が肥大を起こすというものだ。十から十五の頃合いに発症しやすく、数ヵ月で死に至る凶悪さを誇る。自然に治癒することはまずない。
胸の痛みと閉塞感を訴え、やがて食べ物が喉を通らなくなり、呼吸すらままならなくなり、最期には心臓が圧迫されて停止する。
痩せ衰えて鶏ガラのようになって苦しみ抜いた上で死ぬというのは、一体どれ程の恐怖であろうか。
救いとなるのは薬が存在していること。
どうにもならないのは、貴族でもなければ手が出せないこと。
ベンゼール病の治療薬はいくつかあるが、どれも主原料が共通していた。
"ウォレステスの灯薔薇"。
暗闇の中で仄かに光るその薔薇は、高濃度の魔力を糧に成長する。そんな場所は大陸広しと言えども地上には存在しない。そう、地上には。
魔窟の最奥。溜め込まれた魔力の塊の中に薔薇は自生しているのだ。
熟練の冒険者であっても手軽には向かえない場所だ。薔薇の入手量は限られ、流通となればさらに限定的だ。
薬は高値で取引されるだけでなく、購入にはコネが重要になる。ミュエル商会の規模ではとてもじゃないが無理だった。それこそ王都の大商会に伝手が必要となる代物だ。
地方の、都市とも呼べない街の商会では話にならない。
なればこそ、ライオは冒険者となる決意を固めたのである。
単純な話だ。
買えないのなら、取ってくれば良い。彼はそう考えた。
「にしても、本気か?」
グリズは慮るような視線を向けた。
髭面のこの男はその見た目に似合わず気遣いが出来ると評判で、今回もライオの決意を見抜いていた。
だからこそ、問いを投げる。
グリズは魔窟の踏破が容易でないことを、その身をもってよく理解しているのだから。
何を言ったとしても引き下がらないことは承知の上で、ライオの覚悟を問う。
それは孤独な戦いになるだろう。
街の冒険者が戦列に加わることはない。有力な冒険者は既に軒並み降りた話なのだ。
それでも肩を並べようとするのは、損得の勘定が出来ない愚か者か己の力量を見定められない愚か者だ。居ない方がマシの部類である。
「聞かれるまでもない」
しかしライオは一も二もなく言い切った。
魔窟に挑むと。命を賭けると。
冒険者たちはその覚悟を否定しない。
何故なら彼らはそれを追い求めてここに来たのだから。
多かれ少なかれ危険のある魔窟へ潜っている同類なのだ。称えることはすれども貶すことはない。
──新たな同胞の安全を祈って、彼らは杯を乾した。
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