おちこぼれ天使の冒険
「聖夜の奇跡を〜♪ 神様が来てくれたこと〜♪」
ここは天界。
天使のハルは一生懸命、讃美歌の練習をしていた。もうすぐ十二月二十五日がやってきて、天界でもいつも以上にお祝いムードとなる。
「はあ。でも上手く歌えないなー」
ハルの真っ白な羽根もしょぼんとしていた。毎日一生懸命練習しているものの、歌のスキルは全く上がらない。
「ハル、音外していないか?」
運の悪い事に聖歌隊も隊長・ミルルもやってきた。いかにハルの歌声がみんなの足を引っ張っているか注意され、さらにスパルタ練習メニューを提案されてしまった。
「本当にハルは、頑張れよ。神様の為なんだから、上手に歌わないと」
「う、うん……」
そうは言っても、歌は相変わらず。音を外し、声が裏返る。ミルルみたいに綺麗な声が出ない。
「ああ、どうしよう! あ、楽譜が!」
パニック状態になったハルは、楽譜を落としてしまった。運の悪い事に、天界の雲をくぐり抜けてしまい、地上へ真っ直ぐに落ちて行く。どうやら地上の日本という国に落ちてしまった事はわかったけれど……。
「わぁん、神様。どうしましょう!」
結局、神様に泣きついた。全知全能で何でもできる神様だ。地上の楽譜も取り替えしてくれるだろうと思ったが、違う。
「自分で責任を取りなさい」
厳しい事も言われてしまった。
「しかし、天使の姿は目立つ。地上に行く為に人間の姿を用意してあげよう」
厳しいだけでなく、愛の神様は、全ての備えもくださり、地上に送りだしてくれた。
さっそきハルは天界から地上へ。人間の十五歳ぐらいの少女の姿となり、名前も日本人風に「門田葵」となった。
地上につくと、ハルは完全に人間の姿となっており、誰も天使とは気づいていない。
「わあ、意外と楽しいかも!」
羽根もないが、人間の服を着て、可愛い靴を履いて歩くのが新鮮だ。
それに地上でもクリスマスが近く、イルミネーションやツリー、リース、サンタクロースの格好をした人間達で賑やか。ついついサンタクロースの格好をしたり、ケーキやチキンも楽しんだ。地上にあるコンビニやファストフードは、天界には決して無いような罪深い料理が多く、ハルは何度も唾を飲み込んでいた。
特にコンビニのイートインスペースでチキンを齧っていると、当初の目的を忘れそうになった。
「チキン美味しい! ってダメじゃん。ちゃんと楽譜探さないと!」
すっかり地上の食事を気に入っていたが、ハルは両頬を叩き、地上の街を探し続けた。
賑やかで豊かな地上。美味しいものも多いが、人間達は表情も暗く、スマートフォンばかり見ている。楽しい事ばかりではなさそう。
「うーん、楽譜、見つからないね」
学校や公民館なども行ってみたが無い。プロテスタント教会にも行く事にした。牧師さん誰もハルの正体に気づいていなかったが、ドキドキする。ハルは手に汗握っていた。
「牧師さん、この讃美歌知りませんか?」
「うん?」
「聖夜の奇跡を〜♪ 神様が来てくれたこと〜♪っていうサビです。タイトルは『聖夜の奇跡』」
初老の牧師さんは、何か思い出したらしい。隣町の駅前で同じ曲を歌っている人がいたとか。
「本当ですか?」
「ええ。日本では讃美歌を歌う人が少ないので、印象に残っています」
「ありがとう、牧師さん!」
ハルは教会から一目散に隣町の駅前へ。ここも大きなツリーやイルミネーションが派手な所だったが、ロータリーの角の方でアコースティックギターを抱えている人がいた。
若い男の人だ。綺麗ではないコートを着こみ、前髪も長めで、ちょっと見た目は不健康そう。
「聖夜の奇跡を〜♪ 神様が来てくれたこと〜♪」
しかし、その歌声はのびやかで生命力が満ちていた。
天界では歌のスキルが高い天使が多い。正直、彼の歌声もスキル的には低いと気づいてしまったが、心を揺さぶるような何かが滲んでいる。
寒空で歌っているのに、そこだけがパッと春になったみたい。声質も元々良いのだろうが、今は歌うことを純粋の喜んでいる。彼の目は星のように光って見えた。
思わずハルは彼の歌声を聴き入ってしまう。他に聞いている人間はいなかったので、まるでハルだけのコンサートだ。
「あなたの歌声、素敵だね!」
歌い終えた彼にハルは拍手を送った。
「でも、ごめん。この楽譜、実は私のものなの」
「そうなのか? 少し前、家の前に落ちていたから、ついつい歌ってみたら、すごく良い曲で……」
ここで彼は涙を流し始めた。クリスマス前だというのに、彼女に振られ、バイト先も潰れ、レコード会社のオーディションも落ちた。ふんだり蹴ったりの中、この曲と出会い、救われたらしい。
「不思議だね。僕は神様なんて信じていないのに、この讃美歌を歌っていると、そんな気がするんだよ。大丈夫だって逆に励まされているみたいで。与えたつもりが逆だったのかな?」
ハルは深く頷く。讃美歌は神様を讃えるもの。その為に作られたものだが、なぜか逆に歌っている方が励まされる。
歌のスキルに拘っていたのは、無駄だったかも。本当は歌うこと、それ自体が幸せで、神様からの贈り物だったのかもしれない。
「ねえ、クリスマスも私と一緒にこの曲を歌わない?」
「え、いいのか?」
「ええ。たぶん、一人で歌うよりも、二人で歌った方がきっと楽しいよ」
もちろん、もう楽譜は返ってきた。今すぐ天界に帰っても良いはずなのに、今年のクリスマスは地上で歌うのも悪くはない。ハルは歌のスキルなど表面的な事は全部忘れ、ただただ歌いたかった。
そして二人で歌った讃美歌。天界にいる時よりも自由に、伸びやかに、そして心を込めて歌う。
確かのハルの歌のスキルは低い。楽譜まで無くす落ちこぼれ。
「聖夜の奇跡を〜♪ 神様が来てくれたこと〜♪」
それでも今は、今はただただ歌う事だけに集中していた。
こうしてあっという間に時間が過ぎ、気づけばクリスマスも終わってた。
「ありがとう。歌っていて楽しかった。今はどん底だけど、生きていけそう。救われた気分だよ」
最後に彼は笑顔だった。
「歌えるのも神様からの贈り物かもね」
「そうだね。与えているようで、与えられていたのかもね!」
最後にハルはそう言うと、彼と握手をして別れた。
そろそろ楽譜を抱え、天界へ帰ろう。短いクリスマスの冒険ももう終わりだ。
また天界でも色々と失敗するだろう。おちこぼれは相変わらず。歌もきっと上手には歌えない。
それでも地上では大事な事に気づけた。それで充分だ。こうしてハルは笑顔で天界に帰って行った。
「ぎゃー! また楽譜を地上に落としちゃった! どうしよう、神様!」
天界に帰って一週間間後。またハルは楽譜を落とししまい、神様に泣きついていた。
「さあ、ハル。また地上に探しに行きなさい」
厳しくもある神様は、再びハルに責任を取らせていた。
「わ、分かりました! また地上へ行きます!」
今度はどんな冒険になるのだろう。どんな人間に出会えるのだろう。
未来は一つも分からない。もしかしたら危険な事も、大変な事もあるかもしれない。
それでもハルは笑顔だ。二回目の冒険にハルの胸は踊り続けていた。