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逃走?

作者: 木下真三郎

『中学生になってもまだこんなこと続けるんだなww』



 丸いアイコンの吹き出しがそう言っていた。


 マコトは黙って画面をスワイプした。




『小学校卒業おめでとう!!!!!これからもガンバって!!!!!!!』


『何気にこれで5周年なのすごい』


『いつ見てもおもしろい』




 スワイプの速度を緩めて、それぞれのコメントを吟味するかのように読んでいく。



『小6がこんなことしてて勉強大丈夫か?』



 三秒くらいスワイプを止めて、そのアイコンをタップした。


 読み込みマークが出てきたと同時に、下の方からドアが開く音がした。


「マコトー!ごはんよー!」


「ちょっと待ってー」


 マコトはスマホの電源ボタンを強く押した。そして、


「……バカのくせに、」


 誰にも聞こえないように、小さく暴言を吐いてからスマホをベッドに投げつけ、駆け足で階段を下った。




「……マコト」


「ん」


「お前の動画、見たぞ」


 マコトはショートケーキを食べる手を止めなかった。


 ケーキを口に運ぶペースは、少し上がった。


「マコト」


「……なんで?」


「お父さんは、マコトが心配なんだ」


 マコトはフォークを置いた。コップに入ったオレンジジュースを飲み干して、再びフォークを持った。ショートケーキが甘かったのか、オレンジの酸っぱさだけが口に残る。


「マコト」


「何」


「誕生日の日にこんなこと言うのもなんだと思うが……。マコトのことを思って言うぞ」


 皿に残ったクリームを、残さずフォークで掻きとりながら、父親の次の言葉を聞いた。


「お前、」





********



「マコト―」


「……何だよ」


「今度さ、俺らと一緒にもう一回企画やろーぜ。ほら、去年みたいにさ、海に行ったりして」


「やだよ、寒いし。それにさ、……」


 マコトが言い淀んだ隙に、無遠慮な友達は無邪気に「お願いだよー、おごってやるからさー」とマコトの肩を揺らし始めた。



「やめろよ!」



 あっ。


 そうマコトが思った時には既に、マコトの声は、秒速340mで教室中を駆け巡っていた。


「ごっ、ご、ごめん」


 引っ叩かれたような顔をした友人は、固く口角を上げて謝った。その口角のまま、そそくさと背を向けた。


「あっ、あっ、ご、ごめ……」


 さっきまでの教室が嘘のように冷えて、嘘のように静かになった。


 きっと、気のせいだ。


 教室中から見られているような、そんな嫌な感覚を背中に覚えながら、少し早い5時間目の用意を始めた。


「おお、すごいな。最後の授業がこんなに綺麗に始まるなんて」


 そうか、みんなも中学生になるんだな、などと一人合点した担任の先生は、最高に空気が読めない奴だった。




***





「……マコトくん、」


 登校班の女子が、珍しく声をかけてきた。


 なんのこともない。マコトが登校班にきちんと入って帰ること自体が久々なだけだ。


「………今日、何かあったの?」


 マコトはわざと、かなり長い沈黙を作った。長いと言っても、信号が赤から青に変わるまでの間だ。


「大したことじゃないよ」


「……ならいいけど」


 うん。それでいい。



 今は、同情よりも一人の時間が欲しい。


「ま、マコトくん」


 家はすぐそこだ。無視もできる。


「……」


少し嫌な予感がした。


が、黙っていた。


「い、いつも動画みてるよ!」


 昨日だったら、いつもの笑顔でその言葉を受け取れたのだろうが。


「ありがとう」


 人工物の、粗悪な笑顔で取り繕った。



―――――――



「お前は、将来動画で食ってくのか?」


 マコトは、こういう問いが嫌いだった。


 父親に問題があるわけじゃない。マコトの中の、物分かりのいいマコトがそう諭すのだが、どこか感情的な奴はもうそっぽを向いている。そんなマコトたちを、ひとり、冷静なマコトが見つめている。


――でも、友達も視聴者も、みんなスゴイ、って言ってくれるんだぞ。


 マコトの喉奥で、そんな歪んだ発言が響いた。もちろん、音漏れはしていないはず。


「父さんはイジワルで聞いてるわけじゃないんだ。お前の事を真剣に心配して聞いてるんだよ」


 そっぽを向きながら、「ならそんなこと聞くなよ」と、小さく言ったマコトと、物分かりのいいマコトが、殴り合いのケンカを始めた。


 そっと、横から母親の手が伸びてきた。食べ終わったケーキの皿を、へっぴり腰のような体勢で回収していった。「ジュース、いる?」と聞いてくれたが、黙って首を振った。


 母親ののイヤホンからは、時代遅れのポップスが僅かに聞こえてくる。


「お前は頭も良いんだ。だから、動画で食ってくよりも遙かに、良い高校に入って、良い会社に行った方が将来性がある」


 マコトが何も言わないのに、父親は饒舌に語り始めた。もちろん、父親がこの種のことを語るときは、「もちろん、マコトが好きな道を選びたいっていうなら、父さんは応援するけどな」と言うことを忘れなかった。


 今回を除いて。


「お前の動画、面白かったぞ」


……お前に言ってほしいわけじゃないんだよ。


 お前のために動画投稿を始めたわけじゃない。


「……俺は」


 こういう時、父さんは口を閉じる。


――どうせお前、自分が良い父親だとでも思ってるんだろ。


 もう一人のマコトが必死に制止した。


 なんとか組み伏せて、彼は精一杯咆哮した。実際に口から出てきたのは、ひどく落ち着いた声音だったが。


「……正直、もう止めてもいいかなって思ってるよ」



 組み伏せられたマコトの血相が変わった。だが、どうにもならない。勢いづいた“冷静な”マコトは、慣れた手つきで理屈をこね始めた。



「……将来、勉強しておけばよかったのにな、とか思ったり……。後悔するのは嫌だし」


 秒針の時を刻む音が、鳴り響く。



「まあ正直、動画を作るのも最近飽きてきたっていうのも……なくは、無いし」


「でも父さんは、マコトの動画は面白いと思うし、続けるのも選択肢としてはアリだと思ってるぞ」


 目の前に座る男がここぞとばかりに取り出した、安易な優しい言葉を上書きするために。マコトの口が滑るように開いた。「てゆーか」


「ていうか、まあ、そもそも、俺の動画見てるやつなんてそんなに多くないし。将来性無いっていうか、望みが無いっていうか、そんな気してたし、」


 だめだ。


 今まで、この言葉を脳裏に浮かべることさえ禁じてきたというのに、こんなにも簡単に口から出てきてしまうのだ。


「…………ここら辺がやめ時かなって……」


優しい父親は重々しく、


「そうか」


と言っただけだった。




――――――



 塾に行った。


 お前が素地が良いから、まだまだ伸びるぞと、初対面の先生に言われた。まるで言い慣れているかのような、流暢な言葉だった。悪い気分ではなかった。


 今まで動画を撮ったり、編集したりしていた時間を、ぜんぶ勉強に使った。


「今までも嫌いなわけじゃなかったんだけど、やっぱ、勉強って楽しいわ」


 春の足音が聞こえてきた教室で、マコトはそう言い放った。


「マコト、やっぱり動画やめちゃうのか……」


「まあね。勉強もこれから大変になるし。ショーライのこと、考えて、やっぱり勉強はした方がいいなって思って」



 その日だけは、マコトの周りは記者(・・)で溢れた。実際には、知りたがりの同級生たちだ。



「なんでやめちゃうの?」


「動画やめるってホント?」



「えー、やっぱり動画って大変だし?チュー学生になったら、その分勉強してやんよ」



 自分を惜しむ声が、やはり心地よかった。




家に帰ってから、最後に投稿した動画のコメント欄を見た。最終のコメントは2時間前だ。



『最近見てないなあ』



「……ま、いっか」


 今日、仰々しい引退会見を撮る気でいたのだが、やっぱりやめた。


 スマホの電源を切って、鉛筆を握る。


 台所から、カレーのいい匂いが漂ってくるのに胸が高鳴った。




**********





「マコト君、すごーい(・・・・)!」


登録者(・・・)すげー多いじゃん!」


「いやー、別にそんなに多くないし(・・・・・・・・・)。っていうか、もうやめちゃった(・・・・・・)しね」


 目的もなく伸ばした髪を弄りながら、マコトはそう言った。


「えー、もったいないよ!再開しよ(・・・・)、再開」


「そしたら俺も(・・)出してくれよ(・・・)!あ、今日遊ぼうぜ!」


「マコトって、ずっと謙虚(・・)だよな~」


「さすがユーメージン(・・・・・・)!」


「マコトってやっぱ(・・・)、いい意味でクールだよな」


 心臓がむず痒く感じたが、これがなんとも心地よい。やめてくれよ、と言いそうになるが、必死にこらえる。自然と持ち上がってくる口角を、舌の痛みで宥めた。


 向こうの方で自分と自分の取り巻きを指差している男子の中心には、同じ小学校のアイツだった。でも、今この場だったら、



――俺の方が、強い。



 マコトはいかにも不機嫌そうな表情を作って、「ほら、授業始まるから座れよ」と、いかにも乱雑に追い払った。


 残念そうに自分の席を離れていく彼らを見遣って、マコトは、自分の内側が何かに満ちていくのを感じていた。それはきっと、心臓をむず痒くしている正体と同じに違いない。


「ほら、早く座れー」


 中学校の新しい担任は、最高に空気が読める奴で、マコトの取り巻きがバラバラになってから、そう言ったのであった。




******




 身に覚えのないマコト宛の郵便物が送られてくることは、稀にあった。


 それも最近はご無沙汰だったのだが、中学に入って二回目の夏休みに、その手紙は来た。


「あちーーーーっ」


 何か頼んだっけか、と呟きながら、マコトは冷房の利いた部屋に駆けこんだ。ゲーム実況の動画を開き、棒アイスを口に咥えた。そして、雑に茶封筒を掴む。


……見知らぬ差出人。


……動画投稿サイトの赤いロゴ。


……蝉。



『――――――』



 ふと、マコトは動画を止め、マイページに飛んだ。一年半ぶりに開くアカウントに、無言でログインする。


「マコトちゃんねる」


 心臓がキュウっと締め付けられるような感覚。多分これは、一年前までマコトを満たしていたものとは、違う。


『―――――!――――!!―――……―――!』



「…………。」



「マコトーー!下に来なさーい!」


 父親の声が、灼熱の廊下の空気を震わせた。


 苛立っているのか、その声は少し低かった。


 理由は分からない。分からないがマコトは、目の前の動画から目を離さなかった。


 まるで、何かの使命に駆られているかのように。




――なんで、動画なんか撮ってたんだっけ?




「マコト!」


 父親が声を荒げている理由は、予め分かっている。わざわざ部屋に来た父親の顔は直視しない。


「お前、」


 それでもなお、画面の中のマコトは生き生きと、堂々と何かを喋り続ける。はきはきと、流暢に。




――確か、”世界の人を笑わせたい”とか思ってたんだっけ?




「……お前、そういうことか」


「え?」


「お前、俺を恨んでたのか」


「……は?」


「……分かった。動画、再開しても別にいいぞ。父さんが、悪かった」



――イタいな。見苦しい嘘をつくなよ。




「……待てよ」


 マコトの手が、父親の背中を掴んでいた。良き父親は、立ち去ろうとする足を止めた。


「……マコト、正直に言ってくれ」


「……は?」


 マコトが疑問文を口に出した瞬間、父親が何を考えているのかを悟った。




――自分でも、気付いてたくせに。




「お前、」


……いや、違う。違う。断じて、違う。


「わざと、試験で赤点なんか取ったんだろ?」




――ホントは、みんなに見てもらいたかっただけだろ。





 父親は、突き放すようにこう続けた。「これもお前の自由だけどな」


「こんな成績取って、困るのはお前だからな」





――全部、自分のため。





 静かに扉は閉められ、部屋に残ったのは、西日と蝉の声だけだった。




******




 封筒の中身は、なんてことのない、塾の勧誘の手紙だった。



「勧誘なら勧誘らしく茶封筒なんか使うなよ」



 そんなマコトの小さな呟きは、二年前までは世界に発信されていた。



「こんなセールス文句に釣られて、今更入塾する奴なんかいるかよ」



 こういう発言は、二年前までは、絶対に声にはしないように心がけていた。


 それでもなぜか、コメント欄の中にはマコトを睨んでくる奴が一定数いた。


 無論、そういう声を塗りつぶせるような大きな歓声が、マコトに向けられていた。


 ふと、卒業アルバムに手をかけた。一枚の写真が、アルバムのすき間から落ちた。卒業前、マコトと数人で海に撮影しに行ったときの写真だ。


「こいつら」



――こいつらは、俺の動画に何か意味を見出してたのかな?



 ふと思い出したのは、この写真を撮った後のことだった。


 カメラを止めて、ひたすらバカをやったのを覚えている。砂で立体的なとぐろ(・・・)を巻いたり、海を背にした手押し相撲をしたり。タンポポがようやく咲き始めた時期だったから、負けた奴はひたすらクシャミをしていた。



 下の階ではテレビがついているらしく、時々母親の笑い声が聞こえてくる。父親の声も聞こえるようだ。


 長かった昼間の終わりを、烏の汚い声が告げる。



――いいのか。



 別に意味なんか無くても。


 マコトはカーテンを閉めて、外の景色が見えないようにした。長らく開けていなかったタンスを明けて、集音マイクをパソコンに接続した。


 始めた動機と、続けるモチベーションが違って何が悪い。


 少し時代遅れに感じるBGM集を吟味して、選んだ。


 動画投稿サイトを開く。


 あとは、流されるだけだ。



 「マコトちゃんねる」は、一年と五か月ぶりに活動を再開した。



 もちろんこれは、小さなネットニュースにもならない物語。

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