ワンダー博士、目覚める。
生命維持装置の蓋が開く音で、ワンダーは目を覚ました。
「……ふー。やっと終わったか。長い夢を見ているようだったぞう」
ワンダーは体を起こす。
ぐぐ、と腕を上げて、背伸びをする。
ぎちぎち、とおよそ人の体から出てはいけない音が出た。
ワンダーはゆっくりと床に足をつけた。
ビリビリと足が痺れる感覚がする。
「さあて、結果はどうなったか……」
フラフラとした足取りで、ワンダーはシェルターに備え付けられていた鏡まで歩いた。
ワンダーは鏡の中を覗き込む。
そこに映ったのは若々しい少年。
水色と黄色のくりくりとした大きな瞳。
パーマがかかっているようなくるくると真っ白の髪。
「おお……!」
ワンダーは目を輝かせた。
「大成功だ!」
ワンダーは喜んでぴょんぴょんと飛び跳ねた。
しかし、直ぐに息が上がり、床に座り込んだ。
「はあはあ……。新しい体に慣れていないのに、はしゃぎ過ぎてしまったな……」
しかし、直ぐに立ち上がった。
「早くみんなの驚く顔が見たいぞう! バニバニ! 早速出かける準備を──」
鍵を開け、ワンダーはシェルターから飛び出した。
一番に目に入ったのは研究所の中ではなく、灰色の空であった。
「──……へ?」
ワンダーは呆然と立ち尽くした。
ワンダーの住んでいた研究所はなくなっていた。
それどころか、錬金術で発展していた街すらない。
「ど、ど、ど、どういうことだ!? 研究所が……否! 街が! 丸ごとない!」
混乱で、ワンダーの目に涙が溢れ出る。
「ワンダー、博士」
名前を呼ばれて、ハッと横を向く。
「ば、バニバニ!?」
シェルターの入り口の横で、バニバニが横たわっていた。
足は捥げ、肌色の塗装は剥がれ落ちている。
「どうしたんだ! こんなにボロボロになって……!」
「申し訳、ありませ。家を守る、という、言いつけ、守れませんでした」
「そんなことはどうでも良い! 一体、何があったんだ!?」
「ワンダー博士が、シェルターに篭ってから、戦争が、起こりました」
「戦……争……!? なんて、愚かな……」
ワンダーは苦虫を噛み潰したような顔をする。
──戦争は嫌いだ。一瞬で、人々から笑顔を奪う。
「街は、爆撃され、毒に、汚染されました。それ以来、人の姿、は、見えなく、なりました」
「人が住めなくなるほどの……汚染……」
こうしている間にも、ワンダーの体は毒に蝕まれているのだろう。
ワンダーは自分の口に手を当てた。
──確かに、少し息苦しいような……。
「ワンダー、博士。早く、街から、出て下さい。毒に、侵される前に」
「バニバニ……」
「貴方の、錬金術、ならば、きっと、生き、られ、ます。だから、早く」
ワンダーは項垂れるように頷いた。
「……わかった」
ワンダーはシェルターの扉に手を添えた。
「ワンダー、博士、一体、何を」
「錬金術には対価が必要だ。このシェルターを対価にキミを直す」
「バニバニの、ことは、良いの、です。シェルターを、他のことに、使って、下さい」
「ええい、うるさいうるさい! 黙っておれ! 助手のいない錬金術師など、羽をもがれたペガサスに同じ! 奇跡のカウントダウン! アン、ドゥ、トロワ!」
ワンダーは唾を飛ばしながら叫ぶ。
「──レッツ、錬金術発動!」
シェルターが消え、光となり、その光がバニバニに覆い被さる。
光が霧散すると、バニバニの故障は全てなかったことになっていた。
バニバニは手のひらを見つめる。
「バニバニ、ボクにはキミを置いて街を出ることなんて出来ない」
「ワンダー博士、貴方は大馬鹿です」
「大馬鹿だとう!?」
「バニバニなんて直さずに、酸素マスクを錬金すれば良かったのです」
そう言われて、ワンダーは目を伏せた。
「バニバニがいなくなったら、ボクは一人ぼっちになってしまう」
ワンダーはべそべそと泣いた。
「ボクを一人にしないでくれ……」
バニバニはワンダーの頭に手を伸ばした。
ワンダーの髪の毛を指で梳く。
「ワンダー博士は泣き虫ですね」
□
暫くの間、ワンダーは泣き叫んでいた。
泣く声が小さくなったのを確認して、バニバニが言った。
「早く、この毒地帯から脱出しましょう。博士の身体が持ちません」
「グスッ。そうだな……。車があれば早いんだけど」
「博士の愛車『タマ』は吹き飛びましたよ」
「うっ。『タマ』……大事にしてたのに……」
ワンダーの愛車『タマ』は魔力で動く、空を飛ぶ車のことだ。
錬金国家アルケミアでは一般的な代物であり、頻繁に空を飛び回っていた。
「何か、錬金術の対価になりそうなものを探す他ないな」
「その前にガスマスクを錬金しましょう。蔓延している毒が人体にどのような影響を与えるかわかりません。なるべく、吸い込まない方が良いでしょう」
「そうだな。……おっ?」
ワンダーの目についたのは、横転している小型のロボットだ。
「敵国の偵察機か? 動けなくなっているな」
ワンダーは偵察機に触れようとしゃがみ込む。
「見捨てられたんだな。可哀想に」
ここは毒が蔓延している。
毒地帯で横転した偵察機など、余程高価な部品を使っていなければ、回収されることはない。
「よし、決めた! キミはガスマスクに生まれ変わって、ボク達と一緒に、この街から出るのだ!」
ワンダーは偵察機に手を添える。
「レッツ、錬金術!」
偵察機は光に包まれ、ガスマスクに作り変わる。
ワンダーはガスマスクを顔に装着する。
「これで安心して歩けるな!」
「毒地帯を抜けたら、解毒剤を錬金して下さい。体にどんな影響が出るかわかりません」
「わかってるさ! ……それにしても、亡骸一つないとは」
ワンダーは周囲を見渡す。
一帯は倒壊した建物しかない。
爆撃によって、人は肉片一つ残さず殺されたのだろうか。
「皆が無事、逃げ仰せたと願いたいが……」
──しかし、それはあまりにも希望的観測だろう……。
ワンダーとバニバニは、毒地帯を抜けるために足を進める。
「ひえっ……」
地面に広がる、真っ黒い跡に、ワンダーは悲鳴を上げる。
「血液の跡だ……。なんて恐ろしい……。バニバニ、ボクは目を瞑ってるから、手を引いて導いてくれ……」
この様子だと、何処に亡骸が転がっていてもおかしくはない。
「死体が残ってるとは思えませんが。それに、死体は動き出したりしませんよ」
「死んでるから怖いんだッ! ……街を抜けたら合図してくれ」
ワンダーの言葉がどんどん小さくなる。
ぐ、とバニバニの手を強く握った。
「ビビリなのは転生しても変わりませんね」
「当たり前だ。死とは悲鳴と悲観の象徴。ボクが最も嫌いなものだ」
「そうでしたね」
バニバニはワンダーの手を引いた。
「足元に気をつけて下さい、ワンダー博士」
「……ああ」




