月の国
私の記憶が、彼の脳みそと混ざり合い、全てを伝えられるならば、どれ程楽でしょうか。
湿った草花が、指先を濡らします。
今宵も、深海に浮かぶお月様が、ぼうと私を見下しております。
何時でも皆から見つめられ、煌々と黄金色に輝き続ける、お月様、貴方にはわからないでしょう。
そうでしょう、このような醜い、幾度と踏みつけられた小豆のような顔など、照らすのもお嫌でしょう。
お月様、貴方は恋をしたことがあるのでしょうか。それが叶わず目を腫らした暗い夜があるのでしょうか。私が寝室の隅で薄く血で汚れた布に包まり、うめき声をあげている中、勝ち誇ったかのような表情で、こちらを見下ろしていたのを良く知っております。
先日、鼻を摘んだ遣い人が私の家に手紙を残して行きました。綺麗に折り畳まれた紙には、確かに彼の筆跡で、もう関わることのないようにと、そう綴られておりました。
文と共に運ばれてきた彼の残り香が、蟲と埃の舞う私の部屋に溶けて消えました。
あれほど封筒を開けるのでは無かったと、後悔しなかった日はありませんでした。しかしながら、それと同時に中身を見てやらねば、気がおかしくなってしまいそうだったのです。
瞼を閉じると、彼の最期の顔が浮かびます。憤怒や畏れ、悲哀に満ちた形相はそれでも美しくありました。私の様な醜悪な面を持つ気持ちの悪い女が、鉈を振り回す姿はさぞ見苦く感じたことでしょう。
腐りゆく彼の面持ちは、今も変わらず険しいままです。私を恨み、呪いをかけている最中だったのでしょう。
私の存在に嫌気が差し、あのような書状を書き送ったのでしょうが、どうやら間に合わなかった様です。
私は日が暮れる度に、青く熟した彼の唇に口づけをし、この場所へやってくるのです。
お月様、貴方は私の罪を照らし出そうとしているのではないでしょうか。
どうか無駄なことはお辞め下さい。貴方は従犯なのです。
今更何を仰っているのでしょうか。毎晩、私の相談に乗って下さったではありませんか。
この計画は、お月様、貴方と練り、成し遂げたのです。
どうか、照らさず、雲に隠れて下されば良いのです。