解体
毎年十月が近づくと、思い出す出来事がある。河川敷での鳥の解体である。
あれは、わたしが最初の高校を辞めるか辞めないかと逡巡しているころのことだったと記憶している。
当時わたしは、県内では有名な私立の特進コースに所属する特待生で、毎日終わらないほどの課題の山に忙殺され、毎日ある小テストに疲弊し、毎月ある学力テストに精神をすり減らす日々を送っていた。すべては自分の夢を叶えるため、北海道の某単科大学に現役合格するための鍛錬の場だった。
だが、一年の二学期、母がメニエール病で倒れた。母子家庭の大黒柱が倒れたのは痛手だった。まだ末妹が一歳で、他の妹たちは小学生、親戚もみな忙しく、誰にも頼れなかった。運転ができない、働けない、ということで金銭面での心配もあったが、起き上がれないとくれば、一歳の妹の世話、家事、母の介助に誰かついてやらねばならぬ。……わたししかいないだろう、と判断し、学校を休み、家の仕事に打ち込んだ。
前述したとおり、特進コースの学習はハードで、一日七時間目まである授業のノートを写させてもらうのも、課題を教えてもらってこなすのも、現実的には困難で、ましてや家がそんな状態ではとてもじゃないが勉強に時間が割けない。頼りきっていた母が倒れたショックと、10代半ばのキャパシティでは、シングルタスクでしか動けないのも、いまでは仕方ないと思える。しかし当時のわたしは、自分へ過剰に期待していたために、全部やれると思い込み、できない自分を責めに責め、自ら精神のバランスを崩した。
結果、家のことが少し落ち着いて、学校に行けることになっても、教室に入る寸前で大号泣して先生と級友たちにドン引きされ、図書室学習、硫黄の香り漂う理科室でのぼっち飯を余儀なくされた。
クラス落ちか、退学か、わたしの中で悲壮な覚悟を決めなければならなかった。無論、母のせいではなく、自分で自分の首を虎ロープで絞めた自分のせいなのだが……笑
その頃は、同じ中学から同じ高校の同じクラスにあがり、大人になったいまでもポツポツと文通し続けている友人が心の支えだった。彼女はTさんといって、わたしが文フリに出たときに遊んでくれて、本も買ってくれたくらい優しい人だ。趣味も合うし、お互い無言でいても苦にならない。かけがえのない人だと確信している。
そのTさんから、放課後にメールが来た。
「家の前で鳥が死んでいるんですが、長尾さんどうしますか?」
という旨のメールだった。……どうするとは。と思ったが、なかなか住宅街に鳥の死体は落ちていないので、純度100%の好奇心に駆られて彼女と落ち合った。
はたしてそれはアカゲラのオスの個体であった。よく覚えていないが外傷があったので、なにかでかい鳥にやられたのだろうと結論づけて、まだ初秋の涼しくなりはじめた頃であったし、鳥インフルエンザの可能性は低かろうと判断し、一応手袋をつけてアカゲラの死体を拾った。
「どうします?」
……どうしますとは。だが口が勝手に動いた。
「これは……解体したいねえ。めちゃくちゃいい学術的経験できるんじゃないすかね」
わたしは畜産獣医になりたかったので、いつかは鶏をさばくと信じて疑わず、これはその予行練習だと判断した。
Tさんもツイッターで鳥の骨格標本を作っている人を最近目撃し、しっかりふぁぼってあるし(まだふぁぼが生きていた時代のこと……)、YouTubeなんかでも何本か見た、と言って、拾って三分でそのアカゲラは素人によって解体される運命が決定した。
その日のうちに利根川の河川敷で解体が決行された。もちろんメスなどの筋肉をたち切れるような鋭い刃物を、一般の高校生が所持しているわけもないので、Tさんの私物のデザインナイフと、各自のカッターナイフで解体することにした。
まず羽根をむしり鳥の素肌が露出した時点で、二人しておお〜となった。インコとにわとりを室内飼いしている今となっては、鳥の素肌になんの感動もわかないのだが、そのときはなにも飼っていなかったので、そんなことだけでテンションが上がった。
そして刃を入れたのだが、いくら切れ味がいいとはいえ、紙や木と、生物の筋肉はまるで質感が違うため、遅々として進まない。しかしそれでもテンションの上がった高校生は止まらない。カッターやナイフをガシガシ動かして、執念で切り開き、血を川の水で洗いながら、なんとか気管を触れるくらいまで開けた。
中学の理科で生物の身体の構造は勉強したが、気管をこの手で触るのは、無論はじめてのことである。そのうや筋胃も見て、テンションは爆上がりだった。
そうしてすべての肉を切除すると、骨組を壊さないように、河原の砂っぽいところ、かつ人があまり通らないところに静かに埋めた。Tさん情報では、これで1ヶ月くらい放置すれば綺麗に骨だけになるんではないか、ということだった。
切った肉や羽毛は、河原のすぐ側に住んでいたわたしが袋に入れて、しっかり口を縛り、生ゴミとして持ち帰った。母がギョッとしてわたしを問い詰めたのは言うまでもない。
そしてその鳥の骨格はどうなったかというと、埋めた地点をしっかり覚えていなかった上に、目印もなにもないところに埋めたので、掘り返せずにいまもそのままである。いや、Tさんが探したんだったか……? とにかくあやふやなのだ。あの河原は結構広くて、似たような風景の地点が多々ある。あの広さを闇雲に掘り返して探すなど、正直無理ゲーだ。
いまでも九月十月あたりの印象深い思い出として、記憶に刻まれている。Tさんも覚えているのだろうか。まあまだ十年ほどしか経っていないので、覚えているのだろう。わざわざ確認することでもないので、話題には上らないとおもうが。
河川敷で素人がアカゲラを解体したのが悪いことなのかいまいち判然としなかったので、あまり話してはこなかったが、もう時効なのだろうと思って、今回書き留めた。なにかに違反していないと信じたい。




