小説家になろう殺人事件
原作:
小説家になろう殺人事件
初回投稿日:
2017年12月27日
原作pt数:
1128pt
日本最大の小説投稿サイト「小説家になろう」にとある小説がアップされた。
投稿日は2017年12月3日。
作品名は「異世界転移で日本社会をよくします」。
ユーザー名は「世直し転移者」。
作品は連載小説で、「世直し転移者」というユーザーにとって初めての投稿だった。
内容は以下のとおりである。
…………
第1部目「腹黒政治家を粛清する」
2017年12月5日、永田町の議員会館内にある自らのオフィスの面談室において、大野喜三郎は、国内最大の電力会社の社員と面談していた。
「先生、いつもお世話になっております」
電力会社の社員が恭しく挨拶する様子を、大野は、顔に刻まれたしわを少しも動かすことなく、無表情のまま見ていた。
「用件は?」
大野が朴訥な声を出すと、電力会社の社員はカバンの中から紙の束を取り出した。
「先生、今日はこちらの件でご相談があります。まず、こちらの資料をご覧ください」
大野は渡された紙の束をパラパラめくると、それをすぐに机の上に置いた。
「つまり、どういうことだ? 会期外とはいえ、政治家は忙しいんだ。用事を端的に言ってくれ」
「先生、失礼いたしました。今日は、小型モジュール炉の新設についてお話に参りました」
「小型モジュール炉?」
「新世代の原発です。今、フランスのメーカーと日本のメーカーで共同で開発を進めているもので、設計をシンプルにすることによって事故への耐性を強くしております。先生、先ほどお渡しした資料の112ページをご覧下さい。そこに圧力制御室の簡単な図がありまして…」
「そんな話はどうでもいい。俺が生きているうちに、あんな大きな地震や津波がまた起きるわけないからな」
大野のあまりにも割り切った発言に、電力会社の社員は苦笑いをした。
「無論、安全対策をやってくれることは大いに結構だ。馬鹿な国民の気休めにはなるからな」
大野は足を組むと、ソファー地の椅子にふんぞり返った。
「で、その小型なんとかのために、俺に何を頼みたいんだ?」
「先生は、現役の経済産業大臣であられます。しかも、原子力規制委員会の委員の一部とも個人的な親交があり…」
「もっとハッキリと言え」
「分かりました。先生には、原発の設置基準を緩めて欲しいんです」
「……なるほどな」
今からおよそ6年半前、この国は大震災に襲われた。震災、それに続く津波による被害もさることながら、大震災は震源地付近の原発の炉心融解を招き、この国の国土に大量の放射能をまき散らした。
その反省から、現在この国の原発には、世界でもっとも厳しい設置基準が用いられ、これに適合しない原発の稼働や新設は許されていない。
「先生の所属する政党は、原発の再稼働を政策に掲げておられます。さらに今年出された原子力白書では新設についても言及があり…」
「党は党、俺は俺だ」
「そうですね。失礼いたしました」
電力会社の社員は、今度はカバンから封筒を取り出した。それを見て、大野の仏頂面がようやく崩れる。
「先生、年末は忘年会等々で色々とご入用だと思いますので」
大野は袖の下を受け取ると、封筒の感触で中身の金額を確かめた。
「君たちの誠意には勝てないねえ」
大野が豪快に笑う。
「先生のお力に期待いたします」
電力会社の社員は再び大きく頭を下げた。
「君たちにとって来年は飛躍の年になるよう、俺からもお祈りしておくよ」
面談を終えた電力会社の社員が部屋を出ると、大野は、封筒の中身を目視で確認した。お札が200枚程度入っている。言うまでもなく、全て福沢諭吉である。
ニヤリと笑う大野の背後に、突然人影が現れた。
「たしか年明けに党内のエネルギー部会での会合があったな。あれっていつだっけ?」
大野がそのように質問したのは、人影の正体が自らの秘書であると考えたからだった。
しかし、返事は来なかった。
不審に思った大野が振り返ると、そこには全身ローブ姿の見知らぬ男が立っていた。
「……き、君、一体誰かね!?」
「僕は異世界転移者です。この国を良くするためにやってきました」
「ど……どこから入ってきたんだ!?」
「どこって、ここですよ。ここに直接ワープしてきたんですから」
ローブ姿の男の言っていることが、大野には一切理解ができなかった。
身の危険を感じた大野は、隣の部屋にいる秘書に助けを求めるため、大声を出そうとした。しかし、声が出ない。
「助けを呼ぼうったって無駄ですよ。今、魔法であなたの声を封じましたから。あなたみたいな口先だけの政治家にとって、言葉を発せられないことは何よりも辛いとは思いますが」
直接ドアを開けて秘書を呼ぶしかない、と考えた大野だったが、まるで金縛りにでもあったかのように身体を動かすことができなかった。
「魔法で身体の動きも封じさせてもらいました。ただし、痛覚だけはちゃんと残してあります。悲鳴をあげることものたうちまわることもできませんが、苦しみを味わうことだけはできます」
ローブ姿の男は右手を天井に向かって上げた。すると、どこからか棍棒が現れ、男の右手に収まった。
「世直しのためなんです。どうかご勘弁を」
ニヤリと笑うと、ローブ姿の男は棍棒を大野の頭に向かって振り下ろした。
…………
清水英二は、職業柄、死体を生で見ることがよくあった。
しかし、有名人の死体を見るのは生まれて初めてであったため、不謹慎ながら興奮を覚えた。
小野喜十郎は、この国の者ならば誰もが顔と名前を知っている大物政治家である。元総理大臣の娘婿で、当選回数は9回を誇る。
自分自身は総理大臣職に就かないながらも、影で日本の政治を操っているともっぱらの評判である。
「撲殺に間違いないな。争った形跡は見られないから、突然背後から襲われたんだろう」
淡々と死体の状況を分析したのは、清水の上司の刑事である蝦野則之である。
有名人の事件ということで浮き足立っている新米刑事の清水とは大違いである。その冷静さは百戦錬磨の経験から来るものなのか、それとも元来のサバサバした性格から来るものなのかは判じ難い。
「問題は凶器が何か、だな」
蝦野が面談室をぐるり一周見渡す。トロフィーや盾、虎の置物、ミニチュアの金剛力士像など、小野が自身の力を誇示するための物が所狭しと並んでいる。凶器として利用できるものには事欠かないといえるだろう。
「このどれかを使ったんですかね……」
清水の推測に、蝦野はすかさず異論を挟んだ。
「それは違うだろうな。犯人が、殺人の証拠となる凶器をわざわざ現場に置いて帰るとは思えんし、第一、この部屋の置物には何一つとして血液が付着したものがない」
「たしかにそうですね……」
清水は、カーペットの上で仰向けに倒れている小野に視線を遣った。
表情は死者とは思えないほどに安らかであるが、頭部からの出血はなかなかに激しい。凶器には必ず血が付着しているはずだ。
「誰なんですかね? 小野を殺したのは? 蝦野さん、犯人に心当たりはありますか?」
「心当たりはあり過ぎて困るな。小野は裏でかなり悪どいことをしてた政治家だ。小野を恨んでる奴らだけで政令指定都市が一つ二つ作れるだろうな」
蝦野は嘲笑したが、これが単なるジョークでないことは清水にも分かっていた。
小野の悪評はことあるごとに週刊誌を賑わせていた。一部メディアからは、小野は「政治腐敗の象徴」と呼ばれてこき下ろされてさえいた。
「ただ、蝦野さん、本件だと外部犯の可能性は考えにくいんじゃないですか?」
「なんでだ?」
「だって、ここは密室ですよ」
「密室? 違うだろ。この面談室のドアには鍵はかかってなかったし、オフィス自体にも鍵はかかってなかっただろ」
「そうですが、この面談室の入り口は秘書室から見える位置にあるんです。秘書に目撃されないでこの面談室に出入りすることはできないんです。そういう意味で、この部屋は密室なんです」
「なるほどな……」
秘書に出入り口が見張られた「密室」。
この事件には、被害者が有名人であるという他にも、刑事を興奮させる何かがある。
「ただし、この密室を崩す簡単な方法があります」
「なんだ?」
「仮に外部犯だとしたら、彼は秘書に見つからないでこの部屋に出入りすることができないので密室殺人が成立します。しかし、犯人が秘書だったとしたら…」
「清水、待てよ。当時、このオフィスに秘書は2人いたんだぞ。2人の秘書にはすでに事情聴取済みだが、2人とも口を揃えて犯人は見ていないし、犯行に気付かなかったと言ってるんだ」
「2人がグルの可能性があります」
「それは牽強付会だな。仮に2人がグルだとしたら、どうしてこんな疑われる状況で小野を殺したんだ? むしろ外部犯に見せかけられるような状況で小野を殺すべきじゃないのか」
「まあ、そうですけど……」
「刑事の勘」という言葉があるが、この言葉はあながち間違っていないというのが清水の実感である。
そして、刑事なりたての清水よりも、ベテラン刑事の蝦野の方がはるかに勘が鋭い。その蝦野が否定するのだから、おそらく清水の推理は間違っているのだろう。
「というか、蝦野さん、2人の秘書は、『犯行に気付かなかった』と言っているんですか?」
「ああ、そうだ」
「それはおかしいと思います。だって、鈍器で殴られる前後、小野は悲鳴をあげてるに違いないじゃないですか。秘書が悲鳴を聞いていないというのはあまりにも不自然です」
「かもしれないな。ただ、不自然なことはそれにとどまらないぞ。秘書はおろか、当時議員会館内にいた誰からも、悲鳴を聞いたなんていう証言は出ていないんだ」
たしかにそれは信じ難い。
議員会館には、議員のオフィスが壁一枚を隔てて並んでいる。さらに受付さえ済ませれば、一般人も議員会館内に入ることができる。
事件は白昼に起きている。小野のオフィスの周りには絶対に人がいたはずである。
清水が頭を悩ませていると、ズボンのポケットが振動した。
清水はポケットからスマホを取り出すと、画面に表示された「通話」というボタンをタップした。
「もしもし、清水、今話せるか?」
声の主は、来田渉だった。清水の同期の刑事であり、今日は非番であるはずだ。
「ああ、話せるが」
「清水、お前、小野の事件を担当してるんだろ」
「なんで知ってるんだ?」
たしかに事件は小野の所轄内で起きている。
しかし、小野が殺害されたこと自体、未だ知られていないはずである。捜査は、刑事が臨場したばかりの初動段階だ。もちろん、マスメディアに対する報告も未了である。
出勤しているならともかく、非番の来田がなぜこの事件のことを知っているのか。
「お前、高度情報化社会をなめてるだろ。テレビで報道されなくても、ネットでは一瞬で広まるんだよ。もしかして、ネットは見ないのか?」
「あまり見ない」
「そうか。でも、今回だけは絶対に見た方がいいぜ。すごいことになってるからな」
「すごいこと?」
「そうだ。『小説家になろう』で検索してみてくれ」
「『小説家になろう』?」
聞き慣れない言葉であったが、清水は来田の指示に素直に従った。
通話状態のまま、検索エンジンを開くと、ボックスに「小説家になろう」と打ち込む。
トップに「小説家になろう」という大文字が表示されて初めて、清水はそれがサイトの名前であることを知った。
清水はその大文字をタップする。
「見つかったか?」
「ああ」
「じゃあ、日間ランキング1位になっている作品を見てみてくれ」
来田の指示はイマイチよく分からなかったが、画面上に「ランキング」の文字が見えたため、清水はそこをタップした。
「……異世界〔恋愛〕?」
「そこじゃない。『ジャンル別』となっているところを『総合』に切り替えてくれ」
来田の指示にしたがうと、また画面が切り替わった。
「清水、1位になってる作品のタイトルを読み上げてくれ」
「……『異世界転移で日本社会をよくします』」
「それだ! それをタップして読んでくれ」
それはまさしく今日、そして今清水がいる議員会館を舞台とした小説だった。
登場人物の大野喜三郎は、今清水の目の前で倒れている小野喜十郎と名前も境遇もよく似ている。
「来田、これって…」
小説を最後まで読み終わった清水の全身には鳥肌が立っていた。
「そうだ。この小説は、小野の殺人を予告してるんだ。この小説で予告された日、予告された場所で、予告通り小野が殺されてるだろ」
それだけではない。
現場に臨場している清水は、さらに奇妙な一致点に気が付いている。撲殺という殺害方法、さらに何者かが「密室」である面談室に突然現れ、悲鳴をあげさせないまま被害者を殺害しているという点まで一致しているのである。
「この小説がアップされたのは3日前だ。今、ネット掲示板はこの小説のことで話題が持ちきりだぜ」
「異世界転移で日本社会をよくします」の第2部目がアップされたのは、小野が殺害された翌々日である2017年12月7日の21時32分であった。
投稿者は「世直し転移者」。
内容は以下のとおりである。
…………
第2部目「腹黒経営者を粛清する」
2017年12月7日の夜遅く、六本木の高層ビルの最上階にある個室の料亭で、この国を支えていると自負している大企業の社長が集まる会議が開かれていた。
日本最大の圧力団体である営団連の臨時会議である。
緊急で会議が開かれなければならなかったのは、営団連の代表である伊坂美樹也が代表取締役を務める某大手製造メーカーで、不祥事が発覚したからである。
不祥事の内容は、下請けによる品質検査において、基準を満たす検査が行われていなかったというものだ。
「今回の件では、皆様にご心配をお掛けして申し訳ないね」
言葉とは裏腹に伊坂はにやけ顏だった。
伊坂が酒を煽ると、待ってました、とばかりに、隣に座っていた別の製造メーカーの重役がおちょこに酒を注いだ。
「社長、気にしないでください。どこでもやってますから」
「まあな、ただ、バレたのはマズかった」
「誰がリークしたんですか?」
「通信社の記者だよ。可愛がってたつもりだったんだが、可愛がりが足りなかったのかもな。単にあいつが無能で、出世をとうに諦めてた、という可能性もあるが」
個室が下卑た笑いで包まれた。
「それは不運だったな」
伊坂の正面に座ったさらに別の製造メーカーの社長が、刺身を箸で突きながら言った。
「まあな。確かに不運だ。ただ、ピンチをチャンスに変えろ、というのがうちの先代の教えでね」
「さすが社長、奇策があるんですか」
「おどけてもらっては困るな。君ら全員、今日ここに呼ばれた理由は分かってるんだろ」
伊坂は出席者全員の顔色を窺う。
にやける者、無表情な者、料理に夢中な者。少なくとも、伊坂の発言に唖然とした表情を見せる者は一人もいない。
「仕方ないから、弊社では値上げを行おうと思う。真面目に検査をやるためにはコストがかかるから値上げが必要だ、といえば誰も文句は言えないだろ」
先ほど伊坂に酒を注いだ重役が、パチンと手を叩く。
「それは素晴らしいアイデアですね。もちろん、値上げした分のお金は品質検査をする下請け企業に還元されるんですよね?」
「最初の数年だけな」
個室は再び汚い笑い声で包まれた。
「ただ、心配なのは、弊社には優秀なライバル企業がたくさんいるということだ。値上げをしたら、弊社は競争に敗れてしまうだろうな…」
「社長、我々ももちろん値上げに追従しますよ。大手製造メーカーが一斉に値上げをしたら、国民も目が覚めるでしょう」
「内部留保を吐き出せと声高に叫んでる奴らも、大企業は目の敵にするのではなく、大事にしなきゃいけないんだ、ということに気付くでしょうね」
個室の笑い声は止むことがない。
日本の経済を動かしているのは、アダム・スミスが発見した「見えざる手」ではなく、国民からは見えざる悪魔たちの酒宴なのである。
運転手にチケットを渡し、タクシーから降りた伊坂は千鳥足だった。とはいえ、タクシーは伊坂の家の前で停車したため、前後不覚であっても帰宅には支障がないはずだった。
伊坂が何者かに突然腕を掴まれたのは、まさに伊坂が自宅の石門をくぐろうとしたところだった。
「ら……誰ら!?」
呂律が回らないながらも声を出した伊坂が振り返ると、そこにはローブを羽織った見知らぬ男がいた。
伊坂はその男に威嚇をするように目を剥いた。
「僕はしがない異世界転移者です。日本社会をよくしにきました」
「日本社会をよくしにきたらって? ふ……ふざけるな! 日本を背負ってるのは俺ら経営者なんらよ!?」
「背負っている? 腐らせている、の間違いではないですか?」
再び、「ふざけるな」と叫ぼうとした伊坂だったが、なぜか声が出なかった。
「怪訝そうな顔をしていますね。魔法で声を封じさせてもらいました。閑静な住宅街であまり騒がしくするのはよくないですからね。さらに動きも封じさせてもらいます」
ローブ姿の男が話し終わるやいなや、伊坂の身体は言うことを聞かなくなった。
「よく肥えたお腹ですね。毎晩さぞかし美味しいものばかり食べてるんでしょう。こんなに脂肪が多いと、ちゃんと心臓にまで剣が刺さるか不安ですね。少し刃体を長めにしましょうか」
ローブ姿の男は、伊坂の腕から手を離すと、その手を夜空に向けた。
すると、まるで星屑が落ちるようにキラキラと輝く物が手の中に集まり、やがて細長い剣を構成した。
「恨まないでくださいね。世直しのためですから」
ローブの男は剣を伊坂の胸に突き刺し、引き抜いた。
おびただしい量の出血とともに、伊坂の巨体がアスファルトに倒れる。
「なかなかよい表情をしていますね。まるであなたの欲望によって苦しめられてきた人々のような表情だ」
ローブ姿の男は、剣を地面に向かって振り下ろした。
伊坂の首がゆるやかな下り坂をコロコロと転がる。
ローブ姿の男は、それを魔法によって自らの手中に引き寄せる。
「これは記念として持ち帰らせてもらいます」
男がローブを翻すと、男の姿は夜の闇の中に溶け込んだ。
…………
「うげえ…」
死体に首がないことについては事前に聞いていたものの、いざ実物を前にすると酸っぱいものが清水の喉を込み上げてくる。ティム・バートンの「スリーピー・ホロウ」の演出がどれだけ生ぬるいものだったのかを思い知る。
「営団連の会長の伊佐美幹雄。憎たらしい面構えはテレビでもおなじみだが、さすがにこうなっちまうと誰だか分からないな」
懐中電灯で、本来顔があったはずの切断面を照らしながら、蝦野が言う。
首なし死体を前にしてここまで冷静でいられる上司に、清水は頭が上がらない思いである。
「とはいえ、所持してた免許証や保険証からして、被害者が伊佐美であることは間違いないわけだ。アルコールの匂いからして、飲んだ帰りだろう。帰宅にはおそらくタクシーを使ってるから、タクシー運転手の証言がとれれば、裏がとれるな」
「それにしても、家の目の前で殺されるだなんて不憫ですね。あと数歩で、安心できる我が家に到着できたのに」
「清水、家庭が安心できる場所とは限らないぞ。世の中には家がもっともおっかないと考えている殿方がたくさんいるからな」
蝦野は自分で言って、自分で笑った。
こんな場面でも冗談を飛ばせる蝦野を、清水は羨ましく思う。
「ただ、少なくとも、伊佐美の妻は貞淑でした。深夜まで寝ないで夫の帰りを待ってたらしいですからね」
「どうせ伊佐美に強要されてたんだろ。さだまさしの歌にあるだろ。『俺より先に寝てはいけない』って。伊佐美は営団連のトップとして、労働時間規制の立法に反対の論陣を張ってたんだ。妻にも同様に『深夜労働』を強いてたとしてもおかしくない」
「そうかもしれませんが…」
今日の蝦野はいつにも増して毒舌である。もしかしたら、生前の伊佐美のことが好きではなかったのかもしれない。
「とにかく、大事なのは、伊佐美が殺されたとき、妻が起きていた、ということです。それにもかかわらず、妻は外の異変に気が付きませんでした。あまりに不自然です」
清水の指摘を受け、蝦野は、今度は懐中電灯を死体の胸部あたりに当てる。
「正面から背面に向かっての刺し傷だが、だいぶ大きく、深い。凶器は日本刀か何かだろう。包丁じゃこんな刺し傷にはならないからな。誰かが突然日本刀で襲いかかってきて、胸を一突きしようものなら、伊佐美はサイレントではないはずだ。刺される直前には悲鳴をあげるだろうし、刺された後にはうめき声をあげるだろう」
現場は閑静な高級住宅街である。
その時間に起きて伊佐美の帰りを待っていた妻が、伊佐美の声を聞いていないということはありえない。また、今のところ、周辺住民からも伊佐美の声を聞いたという情報は集まっていない。
「あとは、なぜ犯人は伊佐美の頭を持ち帰ったのか。これも謎です。仮に伊佐美の身元を明かさないためだとしたらあまりにもお粗末すぎます。伊佐美の身分証明書の入った財布等は置き去りですし、第一、殺害現場が伊佐美の家の目の前なんですから、顔がなくたって、死体が伊佐美のものであることはすぐに判明してしまいます」
「たしかにな。それに、美少女だったらともかく、汚いおっさんの顔なんか持ち帰っても何もいいことがないしな」
死体の一部を持ち帰るということは、それを別途処理しなければならないということである。いいことがないどころか、犯行が露見するリスクが高まってしまう。
清水はズボンのポケットに入れたスマホを億劫そうに取り出す。
「蝦野さん、しかも、今回の事件は小野喜十郎のときと同様に例のアレがあるんです」
臨場中、常に余裕の表情を見せていた蝦野の顔が固まる。
「……例のアレ、というと、ネット小説か?」
「そうです」
途端に蝦野が怒鳴り声をあげる。
「おい! どういうことだ! まさか、犯行予告がありながら、みすみす伊佐美を殺しちまったということか!? なぜ伊佐美を護衛しなかったんだ!? 『警察は無能だ』とまた叩かれるぞ!」
「『世直し転移者』もそのあたりはかなり警戒したようです。『小説家になろう』に小説がアップされたのは日付変わって昨日の21時30分頃、つまり、犯行のわずか3時間前です。夜分遅いこともあり、わずか3時間では警察が護衛体制を作ることはできません。小説が単なるイタズラの可能性も排除できなかったわけですし」
「貸せ!」
清水が了承する前に、蝦野は清水の手からスマホをふんだくった。
定年間近の年齢にしては素早い指さばきで、蝦野がスマホの画面を切り替えていく。
「伊坂美樹也か……なめやがって。おい! 清水! 今回もまたネットカフェからの投稿なのか」
「まだ特定できてませんが、おそらくそうでしょうね」
「くそ…なかなか尻尾は出さないってか。ただ、単なる偶然が2回も続くはずはない。この『世直し転移者』とやらが犯人で間違いないだろう」
「……だと思います」
蝦野が啖呵を切る。
「清水! アクセス元の特定を急げ! それから、『小説家になろう』を運営している会社に連絡をしろ! 今回の件は遊びじゃ済まされないからな!」
…………
聖川愛伍が、いつも通り「小説家になろう」のサイトにアクセスしようとしたところ、いつもとは違う画面に飛ばされた。
真っ白なディスプレイの中心には、赤い文字で次のように書かれていた。
「『小説家になろう』サイト利用者の皆様へ。誠に勝手ながら、本日をもちまして、『小説家になろう』のサービスを終了させていただきます。長い間ご愛顧いただきありがとうございました。『小説家になろう』は、これからも小説家を夢見る皆様を応援し続けます」
聖川はガッツポーズをする。
「よっしゃっ! 『なろう』を殺してやったぜ!」
聖川は「小説家になろう」が大嫌いだった。
聖川の趣味は、推理小説を書くことだった。
とはいえ、ネットに疎かった聖川は「小説家になろう」の存在を知らなかった。書いた推理小説は、誰にも見せず、自分だけが読んで楽しむものとして用いた。
しかし、ある日、ふとしたきっかけで「小説家になろう」を知った聖川は、今まで自分の書いた推理小説を試しに「小説家になろう」にアップしてみることとした。
結果は散々たるものだった。
ptはいつまで経っても0から動かず、PV数も、小説をアップした直後に10〜20くらいにはなるものの、それ以上を超えることはない。
聖川は、自分の創作の能力が不足しているのだと思い、推敲に推敲を重ね、より面白く、より捻った作品をアップするように心掛けた。
しかし、結果は変わらなかった。
自分に産みの才能がないことを痛感し、涙を流しながらタイピングをすることもあった。
ある日、聖川は、自分の作品とは対照的に、じゃんじゃんpt数を稼ぎ、ランキング上位に位置する他の作品はどれだけ素晴らしいものなのだろうかと気になり、総合ランキング上位の作品を読んでみた。
唖然とした。
総合ランキング上位の作品は、聖川が今までアップした作品と比べ、文章が稚拙であり、文法の誤りが目に余る。
ストーリーは単純であり、現実世界で不遇を味わった主人公が異世界に転生してチート能力を手に入れてハーレムを満喫するという一辺倒。
どう考えたって、聖川の書く推理小説の方が面白いではないか。
このときから、聖川は「小説家になろう」というサイトが大嫌いになった。
pt数やPV数を1つでも多く得るために試行錯誤を繰り返した時間を返して欲しい。自己嫌悪に陥って砕いてしまった心を返して欲しい。
聖川を弄び、侮辱した「小説家になろう」が許せない。
そこで、聖川は「小説家になろう」に復讐するため、「小説家になろう」を「殺す」ことを決意したのである。
「小説家になろう」を「殺す」ため、まず、聖川は、「世直し転移者」という名前の別アカウントを作成した。
そして、そのアカウントで、「異世界転移で日本社会をよくします」というタイトルの小説をアップした。
第1部目「腹黒政治家を粛清する」は、異世界から転移してきた全身ローブ姿の男が、実在の政治家である小野喜十郎をもじった、大野喜三郎という男を殺害する話である。
そして、聖川は、この話に沿って、この話の舞台となった日、実際に永田町の議員会館に行き、小野喜十郎を殺害した。
無論、聖川は異世界転移者などではないため、ワープの魔法も、小野の口を封じる魔法も使うことができない。
とはいえ、小説の殺人と実際の殺人を矛盾させるわけにはいかない。そのため、聖川は細工を用いた。
議員会館に赴いた聖川は、小野のオフィスの空調の配管がどこと接続されているのかを調べた。
そして、小野のオフィスへと向かう配管の中に、強力な睡眠ガスを混入した。これは、実際に海外で強盗犯が用いた手段を参考にしたものである。
睡眠ガスによって小野のオフィス内の人間が眠りに落ちた頃合いを見計らって、聖川は小野のオフィスに侵入した。
オフィスには、女性の秘書2人と小野本人がいたが、秘書2人は机に突っ伏して熟睡しており、小野本人は床で倒れこむように寝ていた。
聖川は、小野を面談室まで運ぶと、持参したハンマーで小野の頭部を殴打し、殺害した。
睡眠ガスによってすでに昏睡状態だった小野は、ハンマーで殴打した瞬間に「うっ」と一言うめいただけで、静かに天に召されていった。
聖川は、覚醒し、小野が何者かに殺害されたことを知った秘書が、警察に対して、事件のあった時刻に「寝ていた」と正直に告白することはないと確信していた。
なぜなら、議員秘書の主な再就職先は、別の議員の秘書だからである。
主を失ってしまった彼女らは、別の議員の秘書として雇われることによって糊口をしのぐしかないのだが、彼女らが業務中に居眠りをしていて、しかもそれによって主を死なせてしまったということが議員会館内に広まれば、彼女らが再就職することは不可能となる。
彼女らは自らの食い扶持のために、「殺害時刻には起きて業務をしていた。しかし、殺害には気付かなかった」と証言せざるをえないのである。
こうして、聖川は、議員会館内に「密室」を作り上げた。
小野喜十郎を殺害した翌々日、聖川は「異世界転移で日本社会をよくします」の第2部目として「腹黒経営者を粛清する」をアップした。
言うまでもなく、登場人物の伊坂美樹也は、実在の営団連会長の伊佐美幹雄をもじったものである。
小説の事件と現実の事件を矛盾させないため、聖川が用意したのは、切れ味の良い日本刀と、高校時代の部活で使っていた剣道着だった。
犯行時に剣道着を着る必要があったのは、日本刀を背負っていても怪しまれないためである。聖川を目撃した人物は、まさか袋の中に竹刀ではなく真剣が入っているとは思いもしないだろう。
至上命題は、閑静な住宅街において、どのようにして声を出させないまま伊佐美を殺害するか、である。
伊佐美の家の前で伊佐美の帰りを待ち伏せしていた聖川は、タクシーから降りた伊佐美に、そっと背後から忍び寄ると、声を掛けることなく、いきなり日本刀で首を切断した。
いきなり首を切断したのは、伊佐美に声を出させないためだ。
当たり前のことだが、人間の声は、肺から送られた空気が声帯を震わせることによって出るため、首が切断され、肺と声帯が分離してしまえば、声を出すことはできない。
その後、聖川は、あたかも伊佐美が胸を一突きされたのちに首を切られたように見せかけるため、すでに首が無くなっている伊佐美の胸部に日本刀を突き刺した。
小説において、異世界転移者が胸を一突きした後に首を切断したのは、現実もそのような順序であったと捜査機関を誤導させるためである。
欲しくもない頭をわざわざ犯行現場から持ち帰ったのも、声を出させないためだけに首を切ったという真の目的から、捜査機関の思考を遠ざけるために過ぎない。
ちなみに、殺す人間は、有名人であれば誰でも良かった。
どうせ殺すなら社会のゴミがよいと思い、小野と伊佐美という醜いおっさんどもを殺すことにしたのだが、こいつらを殺すこと自体は聖川の目的ではない。
「小説家になろう」にアップされた小説のとおりの殺人事件が2件も立て続けに起こったこと、しかも、その小説は、「小説家になろう」の象徴ともいえる「異世界転移」が主題に用いられたものであったことから、「小説家になろう」は、殺人に利用された、危険なサイトとして世間に認知されるようになった。
さらに、「小説家になろう」運営は、第1部目がアップされてから第2部目がアップされるまでの間、「世直し転移者」のアカウントを凍結する等の措置をとることが可能であったにもかかわらず、何ら対策をとらなかったため、このこともまた世間の批判の的となった。
そして、伊佐美を殺してからわずか半日後、聖川の思惑通り、「小説家になろう」はサービスを終了した。
ついに「小説家になろう」を「殺す」ことができたのである。
聖川の真の目的は達成された。
「ふう。これでようやくぐっすり眠れるよ」
聖川はパソコンの電源を落とすと、そのままネットカフェのソファに倒れ込んだ。
(了)
…………
菱川あいずは、「小説家になろう」のマイページにアクセスし、落胆した。
新作をアップしたばかりだというのに、菱川の心を躍らせてくれる、「感想が書かれました」ないし「レビューが書かれました」という赤文字はない。
いや、待てよ、ブックマークや評価をもらえているかもしれない、と思い、吐きかかった溜め息を呑み込んだ菱川は、新作「小説家になろう殺人事件」のページにアクセスした。
この作品は、菱川あいずをもじった聖川愛伍を主人公とした短編ミステリーであり、聖川の動機の意外性をメインの謎としつつ、菱川作品には珍しく、物理トリックにも頭を捻った作品であった。
一度呑み込んだ溜め息は、何倍にも増幅し、暖房のない部屋で、ノートパソコンのディスプレイを白く曇らせた。
「悪くないタイトルだと思うんだけどなあ…」
2年以上にもわたる「小説家になろう」生活の中で、菱川は、「小説家になろう」でウケるためのコツを掴んでいるつもりだった。
その一つが、読者の関心を引くセンセーショナルなタイトルを付けることである。
菱川の過去の最大のヒット作である「殺人遺伝子」のときには、「タイトルに釣られて読み始めました」という読者の方がそれなりにいたが、今作「小説家になろう殺人事件」のタイトルのインパクトはそれを上回るはずである。
それにもかかわらず、「小説家になろう殺人事件」は、ランキングを賑わせることは一切なく、アップ後2日目にしてPV数は早くも虫の息だった。
菱川は、せっかくいただいたものの、返信の「宿題」を溜め込んでしまっている感想を読み返す。
「検死すれば、小野の体内から睡眠ガスの成分が発見されるから、警察には1発で見破られるはず」
「大手企業の社長級の人物の家の前には、必ず監視カメラが設置してあるはずだし、いくら切れ味がよい日本刀であるとはいえ、首を一瞬で切り落とせるはずがない。非現実的」
全くもって耳の痛い指摘である。
とはいえ、科学捜査が発達し、監視社会が発展してしまった現代において、それらをかいくぐった上で、なおかつ読者にインパクトを与える犯罪を考え出すことは至難の業である。今作程度のリアリティの欠如が許容されないのだとしたら、時代ミステリや特殊設定ミステリに逃げざるをえない。
「本当に『なろう』に復讐したくなってきた」
菱川はボソリと冗談を言う。
今作の主人公である聖川は、名前だけでなく、「小説家になろう」における経歴も、菱川本人のものを反映している。菱川も、「小説家になろう」ライフの大半を鳴かず飛ばずの中で過ごした。さらに、多少作品を読んでいただけるようになった現在だって、「埋もれている」というほどではないが、底辺付近で浮沈を繰り返している。
正直な話、「小説家になろう」において、推理小説が正当に評価されているとは思わない。精緻にストーリーを組み立てる労力に比して、推理小説がもらえる評価はあまりにも少ない。
実を言うと、心が折れ、「小説家になろう」でミステリを書くことを諦めた時期もあった。菱川の投稿作品一覧を見ると、タイムループを扱ったファンタジーや巫女萌えを扱ったコメディーなどが散乱している。「小説家になろう」の読者層にアプローチしようとした結果、華麗に散っていった作品群である。
しかし、聖川とは違い、菱川は決して「小説家になろう」を見限ってはいない。
感想もptも残さないサイレント層が大半であることは事実だが、作品を閲覧してもらえる回数は他のサイトの追随を許さない。
また、玉石混交とはいえ、投稿される様々なバリエーションの他者作品からは刺激を受けることも多い。
そして何より、菱川は2年以上にもわたる「小説家になろう」ライフの中でたくさんの素敵な出会いを果たした。創作について語り合える執筆仲間。そして、作品に反応をくださる読者の方々。「小説家になろう」が存在しなければこの人達に会えていなかったのだと思うと、「小説家になろう」への感謝の念はやまない。
今作「小説家なろう殺人事件」は、菱川にとって、悪い膿を出すための、禊のようなものである。
菱川から見て、「小説家になろう」には、好きな部分もあれば嫌いな部分もある。菱川が今後も「小説家になろう」と向き合っていくためには、通過儀礼として、菱川の嫌いな「小説家になろう」を「殺す」ことが必要だった。
無論、サイバーテロを起こすことはできない。菱川が「小説家になろう」を「殺した」のは小説の中でのことだった。実に創作クラスタらしい、素敵な殺害方法ではないか。
こうして、無事「小説家になろう」への「復讐」が果たせた菱川は、ようやく「小説家になろう」の嫌いな部分を許す気になれた。
「よし。次こそは読者がぐうの音も出ないような、とびっきりのミステリをお見舞いしてやる」
菱川は、「小説家になろう」のWEBページを閉じると、大きく伸びをした後、白紙のワードファイルを開いた。
(了)
執筆秘話:
作中にもありますが、「殺人遺伝子」が注目された際に、タイトルの重要性を身に沁みました。
そこで、インパクトのあるタイトルから考え、そこから構想を練ったのがこの作品です。
2017年の作品であり、賛否両論いただいた作品なのですが、初めてHOW DONE ITを扱った作品であり、探偵小説(もしくは警察小説)の萌芽が少し見えますね。
聖川愛伍の言っていることは、当時の僕のなろうに対する考え方で、我ながら尖っていたなと思います笑
今では、ランキング上位の作品には心から敬意を払っていますし、自分の実力不足も理解できていますので。。