あるホームレスの遺言
原作:
ブクマ100超えるまで短編ミステリーを投稿し続けます
初回投稿日:
2023年3月4日
原作pt数:
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沖縄に来るのは生まれて初めてのことだった。
幼少時代には家族旅行など行った記憶はない。小学校4年生の頃に両親が離婚した後はなおさらである。
商業高校を卒業し、独り立ちをし、地元の企業に就職してからも、旅行に行く余裕など生まれなかった。経済的にも時間的にもだ。
機械に使う刃を工場向けに販売する営業職だったが、薄給にもかかわらず、過重労働を強いられた。その上、無理なノルマを押しつけられ、それを達成できないことを日々責められる、今でいう「パワハラ」被害を受け、完全に心を壊してしまった。
休職期間中に職場復帰ができず、会社を自然退職となった。
25歳の頃である。
その後は、旅行はおろか、当たり前に築けると思っていた家庭すら築けないまま、日雇いの仕事を転々とする日々だった。
歳をとるにつれて、唯一の武器であった体力も低下し、その日暮らしもままならなくなった。
61歳の頃、家賃の未払いでアパートを追い出された時、生活保護を受給するという発想はなかった。
役所の手続は苦手だったし、自由が奪われるのも嫌だった。
第一、国のお世話になってまで長らえるべきほど大した命ではない。
ゆえに、北野は、ホームレスとして生きる道を選択した。
元々は渋谷の宮下公園を根城にしていたのだが、東京オリンピックの招致が決まったことをきっかけに、海外観光客に誇れるTOKYOを「作る」ということで、他のホームレス仲間とともに一斉排除された。
自分は社会の「恥部」であるという自覚はあったのだが、この時は言葉にならぬほどショックだった。
転居先の神奈川県の公園で知り合ったのが、島尻だった。
「まるで外国だなあ」
フェリーを降り、沖縄に上陸した北野の第一印象は、そのようなものだった。
これまでの70年弱の人生では、関東圏から出たことすらほとんどない。そんな北野にとって、ここまで湿った、生ぬるい風を浴びたのは生まれて初めてのことだった。
街路樹のヤシを見ても、北野にはここが同じ日本とは思えなかったのである。
死ぬ前に沖縄に来れたのも、島尻のおかげである。
ここに来るまでの旅費も、今後かかる滞在費も、すべて島尻の「遺産」なのだ。
島尻も、北野と同じホームレスだった。
年齢は同じくらいだったが、ホームレスとしては10年以上、神奈川の公園での生活歴も8年以上先輩だった。
「北野、お前は俺と同じ臭いがするんだ。もちろん、臭えってわけじゃねえよ。もっと内面的なもんさ」
そういう理由なのか、はたまた生来の世話好きなのか、島尻は、北野の面倒をよく見てくれた。
近所の炊き出しのスケジュールを漏れなく教えてくれ、一緒に連れて行ってくれたし、雨の日には、濡れないためのビニール袋を工面してくれた。
島尻が病気で死ぬまで、北野は一方的にお世話になりっぱなしだった。
ゆえに、沖縄に来た北野がこれからしようとしていることは、島尻への「恩返し」なのである。
ガタンーー
縁石にぶつかり、黒い安物のスーツケースの中身が揺れる。
北野はその場で立ち止まり、「ふぅ」とため息をつく。
スーツケースの中身が無事なのか気が気でない。
とはいえ、道端でスーツケースを開けるわけにもいかない。
スーツケースの中に入っているのは、島尻の死体なのである。
それはすでに、北野によって、バラバラに分解してある。
決して気分の良い作業ではなかった。何度も吐いたし、生前の島尻を思い出して涙も流した。
それでも北野は、島尻の死体を切断するほかなかった。
なぜなら、島尻のバラバラ死体を、島尻の指定された場所に遺棄すること。それが島尻が北野に残した遺言の指示だからだ。
そして、遺言書に同封された地図によると、島尻が指定した場所はすべて沖縄本島内にあった。
遺棄すべき4箇所に、島尻が地図上に赤い点を付している。
沖縄は、島尻の出身地である。
遺言は、死体は故郷に埋葬して欲しいという意味なのかもしれない。遺棄が命じられた場所は、島尻にとって思い出深いスポットなのかもしれない。
しかし、そんなことを詮索しても致し方ない。
「遺言執行者」である北野は、何も考えず、淡々と遺言の内容を実行していけば良いだけなのだ。
北野は、島尻が遺した地図を確認する。赤い点のうちの1つはビーチに付されていた。
「まずは、観光がてらここにしようか」
北野は、地図をポケットにしまい、バスのロータリーがある方へと歩を進めた。
…………
そのビーチは、北谷と書いて「チャタン」と読む地にあった。近くにアメリカンビレッジがあるためか、ただでさえ「異国」な沖縄の中でも、さらに異国情緒が漂う場所である。
よく整備された浜辺である。ハイシーズンにはおそらくビーチは人で溢れるのだろう。もっとも、今はまだ3月であるため、観光客の姿はほとんど見られない。
北野は胸を撫でおろす。
これから北野がやろうとしてることを考えれば、周りに人がいないに越したことはない。
「夕陽が綺麗だな」
そんな言葉が思わず口をつく。
閃光のように眩いオレンジが、上空に向かうにつれて徐々に紫色に呑まれていく。
透明な海には、光の筋がまっすぐに伸びている。
「サンセットビーチ」という名称はダテではないようだ。計らずしも夕方の時間に到着したことは幸運だった。
死体を捨てる場所は、かなり厳格に指定されていた。
島尻の遺書に同封された地図は全部で5枚あり、1枚が全体図、残りの4枚はそれを拡大したもので、それぞれの遺棄場所を詳細に指示したものなのである。
北野は、北谷のサンセットビーチを拡大した地図を見ながら、慎重に場所を見定める。指示されていたのは、白浜の上である。
こんなところに死体を捨てたらすぐに見つかってしまうだろう、と思ったが、場所を変えるのは故人の意思に反する。
北野はあたりを見渡し、周辺に人がいないことを確認すると、スーツケースを開け、4つの部位のうち、右脚を選び出した。
どの場所にどの部位を遺棄するのかも、遺書で指定されていたのである。
北野は、島尻の右脚を丁寧に白浜に置く。
そして、少し悩んだ末、シャッシャと2度だけ砂をかけた。申し訳程度に擬態を試みたのである。
北野は、スーツケースを閉じると、走ってビーチを去った。
…………
サンセットビーチで人間の右脚が発見されたことは、案の定、翌朝にはもう報じられていた。
北谷にあるビジネスホテルの自室のテレビでそのニュースを見た北野の心臓は一度飛び跳ねた。
もっとも、遺棄者の姿を目撃したという話は報じられておらず、北野は安心する。
落ち着いて考えてみると、なんて皮肉なことだろうか。
事実は、ホームレスが、ホームレスの死体を捨てているだけなのである。
社会の爪弾き者が、同じく社会の爪弾き者の死体を捨ててるだけなのであるから、社会にとってこんなにどうでもいい話はない。
しかし、それがこんな風に報じられ、社会の関心を集めているのである。
実に滑稽な話である。
宿泊は朝食付きのプランだった。
フカフカのベッドで寝れたのも、おかずが何品もあるご飯にありつけたのも、記憶を遡れないくらいに久しぶりのことである。
「島尻さんには本当に感謝だな」
もずく酢を啜りながら、北野は故人にお礼を言う。
宿泊費も島尻の遺産なのだ。島尻も自分と同じホームレスなので、貯金は容易ではなかったはずである。おそらく空き缶集めなので稼いだ小銭を、このためにずっと貯めていたのだろう。
北野は、ホテルの前から出発しているバスに乗り、次の遺棄場所へと向かった。
…………
沖縄では、城と書いて「グスク」と読むらしい。
だとすると、中城城跡はどう読むのだろうかと思ったが、どうやら「ナカグスクジョウアト」と読むのが正解とのことだ。
首里城のようなお城があるのだろうと思い込んでいたが、そこにあったのは小高い丘だった。丘の上に登ってみたが、そこにも想像したような「お城」があるわけではなかった。
しかし、石造りの城郭や門が残っており、それが青空の下で映えて、圧巻だった。
観光者向けの看板のガイド文を読むと、ここは昔の山城で、急坂を用いることによって、敵の侵攻を防いでいたという。
当時正殿があった場所は、廃藩置県後に村役場が置かれたとのことだが、沖縄戦で焼失したとのことで、現在では広大な芝生となっていた。
思わず観光を楽しんでしまったが、北野がここを訪れたのは、そんな目的ではない。
北野は地図を確認する。
島尻によって指示された遺棄場所は、中城城跡とは少し離れたところにある。高台から見下ろしたところ、そこは大きな公園の駐車場だった。
中城城跡の急坂を降り、しばらく歩き、その駐車場にたどり着いた。
車は何台か停まっているものの、幸い、人の気配はない。
「多分すぐに見つかるだろうな」
そうは思ったが、そんなことを気にしても仕方がない。
北野は、スーツケースから、島尻の左脚を取り出した。
そして、それをコンクリートの外の日陰にそっと置いた。
車に轢かれてはたまらないので、せめて車が通らない場所を選んだ。
これでスーツケースの死体のうち、半分を処理できたことになる。
予めの行程では、今日中にもう1つを処理する予定である。
北野はそそくさとその場を去り、次の遺棄場所へと向かった。
…………
「あのお、今日はJリーグの試合はないですよ」
背後から突然声をかけられたので、ビクッとする。
振り返ると、そこにいたのは、小麦色に焼けた肌の若い女性だった。
独特の訛りからしても、おそらく現地の人だろう。
「ああ、そうですか……」
北野は腑抜けた返事をする。
外から見て、たしかに立派なサッカースタジアムだなとは思ったが、Jリーグでも使われるスタジアムなのだということは、この女性の発言で今知った。
「次の試合は土曜日ですよ」
女性は親切にもそう言い残し、駆けて行った。どうやらランニングの途中だったらしい。
東京や神奈川では、人に話しかけられることは滅多になかった。
たまに深夜に公園で寝ているところを酔っ払いに絡まれて難渋するくらいである。
小汚い格好をしているホームレスにも話しかけてくれる沖縄の人の心の温かさに感謝するとともに、同じように親切にしてくれた島尻のことを思い出し、不意に涙が出る。女性の沖縄訛りもなんだか懐かしかった。
北野がいるのは、沖縄県総合運動公園の中である。
そこに「タピック県総ひやごんスタジアム」という名前のスタジアムがあり、その入り口で立ち尽くしていたところ、先ほどの女性に話しかけられたのだ。
死体の遺棄場所として指示されていたのは、このスタジアムの内部だった。
とはいえ、先ほど女性が指摘したとおり、試合は開催されていないので、門は閉ざされており、中に入ることはできない。
来る前は、門をよじ登って侵入しようと思っていたのだが、Jリーグにも使われるようなスタジアムだとすると、当然セキュリティも厳しいだろうから、すぐに警備会社に通報されてしまうに違いない。
北野は、スタジアムの内部に入ることは断念し、やむなく、外部の、しかし島尻の指示した赤い点になるべく近い場所に、死体を捨てることにした。
「このあたりかな」
北野は、石畳の上に、島尻の左腕を置く。
相も変わらずすぐに見つかってしまいそうな場所である。
もっとも、島尻がスタジアム内部を遺棄場所に指定していたことを考えれば、島尻はすぐに見つけてもらうことを逆に狙っているのかもしれない。
これで右脚、左脚、左腕を捨てたので、残された部位は1つとなる。
もう日が暮れてしまっていたので、北野は最後の作業は明日行うこととし、ホテル探しに向かった。
…………
「次のニュースです。沖縄県内各地で、バラバラに切断された人間の死体が次々と発見されている事件で、昨夜、新たに左腕が発見されました。発見された場所は、沖縄市内にある沖縄県総合運動公園の中であり、タピック県総ひやごんスタジアムに近接した場所ということです。北谷町の右脚、北中城村の左脚に次ぐ3度目の発見になります。警察はいずれも同一人物の死体の一部であると考え、捜査を進めています」
黒いスーツを着た若手の男性キャスターが原稿を読み上げるのを合図に、「コメンテーター」を名乗る者たちが、好き勝手に話し出す。
「死体の存在を隠蔽する目的があるならまだしも、そうでなく人体をバラバラにし、それをわざわざ目立つ場所に捨てていくなんて、狂ってるとしか言いようがありません。犯人は、現代社会のストレスの中で病んでしまった若者か、もしくはサイコパスですよ」
「私は、犯人が警察を挑発しているとしか思えないね。まるでパンくずを捨てるように死体を撒き捨てていって、警察との『鬼ごっこ』を楽しんでるつもりなんじゃないか? 犯人は自己顕示欲が強い奴に違いないから、このまま警察が手をこまねいているようだと、警視庁に『果し状』でも送ってくるんじゃないか」
いずれも的外れな指摘である。
彼らは、犯人がしがないホームレスだと知ったら、あっと驚くだろうか。
それとも、急に事件に対する関心を失うのだろうか。
ホテルの部屋のテレビの前でくつろぎながら、北野はそんなことを考える。
真相を知ってる犯人ながらも、これは面白いなと思ったコメンテーターの見解は、流行りのミステリー作家によるものだった。
「死体の遺棄場所を地図で見てください。右脚、左脚、左腕が捨てられた場所は、ビーチ、駐車場、スタジアムと一見するとバラバラです。しかし、右脚がもっとも西側にあり、東側に左脚、さらにその北東方向に左腕があります。つまり、遺棄場所は、大の字に仰向けに寝転んだ場合の本来の人体の配置と一致しているのです。加えて、遺棄された地点を線で結ぶと、左脚を頂点にした二等辺三角形になってることが分かります。右脚から左脚までの距離と、左脚から左腕までの距離とが等しいんです。犯人の意図は分かりませんが、私にはこれが単なる偶然には思えません」
…………
島尻が指示した最後の遺棄場所は、沖縄市とうるま市との地境に近い住宅街の中であった。
これまでの遺棄場所と比較すると、幾分も地味な場所である。
もしも島尻の遺言の趣旨が、生前に思い出がある場所に死体を葬ることにあるのだとすれば、果たしてこの地にどんな思い出があるというのだろうか。もしかすると、島尻の生家が近くにあるのだろうか、とそんなことをぼんやり考える。
住宅街ということもあり、北野はいつも以上に慎重になる。
生垣の向こうからいつ人が現れるかも分からない。窓から覗かれている可能性もある。
北野はキョロキョロと辺りを見渡す。
もしかすると、この動作がより怪しまれるのかもしれないなとは思いつつ。
島尻の「遺言執行」について、すでに全国で報道がなされており、とりわけ沖縄のローカル局ではメイントピックとなりつつある。そのことも、北野の警戒心をより強めた。
ーーもしかすると、見つかって捕まってしまうかもしれない。
そのような不安はずっとあったが、他方で、それを恐れる必要はないという思いもあった。
今捨てようとしているのは最後の部位である。
これを捨てれば、「遺言執行」は完了する。「遺言執行」さえ済んでしまえば、自分は捕まっても構わない。
北野には生きる目標も、守るべき大事なものもない。
それに、路上暮らしよりも刑務所暮らしの方が、衣食住の面で快適だろう。
北野は、周りに人がいないことを確認すると、スーツケースから最後の部位を取り出す。
それは、島尻の頭であった。
右脚、左脚、左腕の順で死体が見つかったので、次は右腕に違いないというのが、コメンテーターの一致した見解だった。おそらく世間の者もそう思い込んでいる。
しかし、そもそも、島尻には右腕がないのである。
生来そうなのではなく、北野に出会うずっと前に、交通事故によって切断してしまったとのことだ。
ゆえに、遺言において島尻が遺棄を頼んだ4つのパーツは、右脚、左脚、左腕、そして頭だった。
頭を最後に残したのは、もっとも足がつきやすそうだったからであるが、それだけではない。
捨ててしまうのが、なんとなく惜しかったのである。
頭を捨てる瞬間が、島尻との本当の別れになるような、そんな気がしたのだ。
島尻は、他のホームレス仲間とは比較にならないほど段違いに良い奴だった。
聞く話によると、昔は沖縄で「普通に」家庭を築き、幸せに暮らしていたらしい。
しかし、運転してた自動車が追突事故に遭い、同乗していた妻子を失い、さらには右腕を失った。そのことが島尻の人生を変えてしまったとのことである。
元々彼はホームレスの「器」ではないのだ。
単に不運だっただけであり、北野のような生まれつきのクズとは大違いなのである。
北野は、島尻の頭を、石垣の上においた。丁寧に、正しい向きで立てるようにして。
そして、これは決して遺言の指示にはなかったが、ここに来る途中で買ってきた線香に火をつけ、それを同じく石垣の上に置いた。
その隣には、生前島尻が愛飲していたワンカップも、封を開けて置いた。
そして、手を合わせ、しばらく黙祷する。
「島尻さん、あばよ。あの世でも達者でな」
北野は島尻に別れを告げ、人生で最初で最後の沖縄旅行にも終止符を打った。
…………
「今日のトップニュースです。沖縄バラバラ死体遺棄事件で、今度は頭が発見されました。発見された死体の部位としては4つ目になります。警察は、死体の身元特定を急ぐとともに、死体を遺棄した犯人の行方を追っています」
若手男性キャスターがハキハキと原稿を読むと、昨日同様、コメンテーターが続々と自説を披露する。
「犯人は、白昼堂々、しかも住宅街に頭を遺棄したと聞いています。完全に狂ってる。サイコパスに違いありません」
「これは沖縄県警への明確な宣戦布告だ。警察はこのまま犯人にナメられてて良いのか? 総動員で捜査にあたるべきだろ。右腕が捨てられる前に犯人を確保できなければ国家の恥だ!」
続いて話を振られたのは、例のミステリー作家である。
「今回の頭は、前回見つかった左腕の北西で見つかっています。これまで死体が遺棄された地点を地図上で確認しますと、まさに仰向けに寝転がったときに頭が来る位置なんです。そして、死体が遺棄された4箇所を線で結んでみます。すると、3辺の長さが等しい、綺麗な台形になるんです」
それだけではありません、とミステリー作家は続ける。
「右脚と左脚を結んだ線、左腕と頭を結んだ線は、ともに左足と左腕を結んだ線と72度で交わるんです。72度というのは、正五角形の内角の大きさです。つまり、犯人は、人間の死体によって、正五角形を描こうとしているのです。この私の推理が正しいのだとすれば、次に捨てられるであろう右腕の位置を正確に推測することができます」
「一体どこなんですか!?」
他のコメンテーターが一斉に喰らいつく。
「米軍の嘉手納基地です。ここが正五角形の最後の頂点になるのです」
「おぉ」
スタジオに響き渡った驚きの声。
しかし、その後に続いたのは静寂である。
誰も何も言い出せないのだ。
そのことの意味を、恐れ知らずのミステリー作家がお茶の間に解説する。
「つまり、仮に死体が捨てられたとしても、日本の捜査機関はそこに立ち入ることができないのです。いかに国民の関心が高く、いかに警察の威信がかかっていたとしても、です。今回の事件を契機に、米軍が沖縄で持つ特権について、久々に大手メディアが取り上げることになるかもしれませんね」
ーーなるほど。そういうことだったのか。
ミステリー作家のコメントによって、北野はようやく島尻の遺言の真意を理解した。
島尻の話によると、島尻の家族を奪い、右腕を奪った交通事故の加害者は、米兵だった。
学のない北野にはイマイチ理解できなかったが、事故は公務中のものだったため、第一次的な裁判権はアメリカにあったとのことである。
そして、死亡事故を起こしたにもかかわらず、その米兵は、刑事裁判で裁かれることはなく、単なる懲戒処分で終わったとのことだ。
これも仕組みはよく分からなかったが、経済的な賠償は、日本政府とアメリカ政府が折半で負担することで、それなりに支払われたらしい。
もっとも、妻子を失った精神的なショックは癒えることはなく、また、沖縄県内で料理人として生計を立てていた島尻は、利き腕を失ったことで仕事も失った。
そのストレスでヤケ酒やギャンブルに走り、賠償金はすぐに使い果たしてしまったという。
「俺は米軍に右腕を奪われたんだ」
と、酒を飲みながら島尻はよく言っていた。
米軍に右腕を奪われたーーこの思いこそが、島尻の遺言に表れているのだろう。
ミステリー作家の言うとおり、死体の遺棄場所を仰向けに寝た人間の身体の配置で表すと、島尻の右腕は米軍基地内にある。
そして、それは通常、取り返すことのできないものなのだ。
ミステリー作家が言及するような、米軍の特権にメディアのスポットを当てることまでは、島尻は意図していなかったように思う。
島尻は政治の話が嫌いだったし、事故に遭う前に経営していたレストランの客の多くは米兵で、基本的に感謝の対象だったとのことである。
島尻は、単に、自分の身体を取り戻したかっただけなのだろうと思う。
あの世では、五体満足で、そして「右腕」であった家族とも一緒に過ごしたい、そのために「右腕」を取り返したいーーそんな素朴な思いで、あのような「特殊な葬送」を選んだに違いない。
北野は、テレビのある船室から、フェリーの甲板の方へ移動する。
そして、遠ざかる沖縄本島を眺めつつ、生前島尻が飲んでいたものと同じワンカップをグイッと一気に飲み干した。
(了)
執筆秘話:
人生で一番行ったことがある旅行先が沖縄です。中学生の頃の修学旅行で行って以来、友人の結婚式やら家族旅行やらでたしか5回ほど行っています。
沖縄基地問題に関するリサーチでも1度行ったことがあります。この作品は、その経験を踏まえて、ということになるのかもしれませんが、あえて基地問題自体にはあまり踏み込みませんでした。
いわゆる「社会派ミステリー」も書きたいなという気持ちはあるのですが、政治的な問題を扱うと、対立に巻き込まれるので、ネット小説だと怖いなという気もします。ただ、いつかは真剣に取り組まねばなと思っています。
この作品は、絶対なろうウケしないだろうという気持ちで書いた作品でしたが、思いのほか良い反響をいただけたので、ベスト盤に入れてみました。
なお、原題は「正五角形の殺人」で、元々警察視点で書こうと思ってましたが、結果として「犯人」視点がハマったのかなと思います。