ルンバ殺人事件〜お掃除ロボットが一掃したいのは人類という名のゴミ〜
原作:
お掃除ロボットが一掃したいのは人類という名のゴミ
初回投稿日:
2021年2月27日
原作pt数:
186pt(2023年2月23日現在)
人里離れた、とまではいえないものの、鉄道の駅からは離れた閑静な場所にその家はあった。
焦げ茶色の外壁の一軒家。建物の敷地とちょうど同じくらいの広さのある庭には、今はもう使われていない犬小屋、そして空の植木鉢が置かれている。
この家の主人は、1階にある、大きな窓から光の差し込む部屋で、昼間からベッドに伏している。
彼の鼻と口にはチューブがついている。それは、床を伝って伸び、長方形の箱へと行きつく。
家庭用の人工呼吸器である。
男の肺に空気が送り込まれるたびに、装置に付いた緑色のランプが点滅している。
男はとても穏やかな表情をしている。
部屋にはテレビのほかに、娯楽小説から国語辞典までがびっしりと並んだ背の高い本棚が置かれており、男が余生を過ごすのには十分な環境が整っているように見えた。
男は覚醒はしていたものの、仰向けで天井の方を見ていたため、自分の方に「黒い円盤」が迫ってくることに気付いていなかった。
否、もしかすると、気付いていたが、気にかけなかっただけかもしれない。
なぜなら、その「黒い円盤」は、全自動式のお掃除ロボットだったからである。
勝手に動き回って部屋を出入りするのは当然だ。
お掃除ロボットは、人間のために部屋を綺麗にしてくれるお役立ち道具であり、通常、人間に害をなす存在ではない。
——しかし、今は違っていた。
部屋に侵入したお掃除ロボットは、壁沿いに溜まった埃になど脇目もくれず、まっすぐにベッドの方へと進んでいった。徐々に加速もついていく。
お掃除ロボットが標的としたのは、床に垂れ下がっている人工呼吸器のチューブだった。
お掃除ロボットの体当たりによって、チューブが引っ張られ、男の口についていた酸素マスクがポロリと落ちる。
必要な空気が送り込まれなくなったことにより、男の先ほどまでの穏やかな表情は消え去り、鬼の形相といえるような、苦悶の表情が代わりに張り付いた。
男はイモムシのように体をジタバタさせた。ただ、立ち上がって酸素マスクを拾い上げることができるほど身体の自由はないようだ。
また、男は同居人に助けを求めるために呻き声を上げたものの、部屋に訪れる人間は誰もいなかった。
男の動作がなくなり、やがて息を引き取るまでの様子を、お掃除ロボットは静止して眺めていた。
…………
アパートや古民家が密集した住宅街。そこに、一見すると校門か役所の出入り口に見えるような、大きな門がある。
そこを越えると、100坪を越える敷地の中に、大きな家が建てられていた。おそらく、この辺りの有力な地主か何かの邸宅なのだろう。
敷地内には、独立した「離れ」があり、そこに少女がいた。
少女もまた昼間からベッドに伏している。
チューブなどが繋がれているわけではないが、蒼ざめた顔や、酷く痩せた手足から、如何にも病弱と言った感じである。ペンキで塗ったかのような真っ白な肌は、少女が、ほとんど太陽の光を浴びたことがないことを物語っているように見えた。
「あなたが枯れてなくなる頃には、私の命も終わるわ」
少女が独り言を云う。
少女の目線は、開いた窓の外に向かっており、そこには一輪の白い花があった。
それは花壇に植えられたものではなく、土の庭にポツンと咲いていた。いわば雑草のように、どこからか風で種が飛ばされてきて、そこに根を下ろしたものだろう。
少女は、この花の命と、自分の命を重ねているのだ。余命幾ばくもない少女にとって、この花は、常に近くで寄り添ってくれる友のような存在なのだろう。
「私、独りで死ぬのが怖いの。あなたがいてくれて本当に良かった」
少女が笑顔だか泣き顔なのだか分からない痛々しい表情を見せる。
そのとき、庭に「黒い円盤」が現れた。
お掃除ロボットである。
「なんで? なんで外をお掃除ロボットが走ってるの?」
少女が慌てるのも無理はない。お掃除ロボットは室内清掃用であって、屋外を走行することは普通ない。
しかし、お掃除ロボットは、デコボコした地形を苦にすることなく、かなりのスピードで庭を走行していた。
進路の先にあったのは、少女の分身である白い花である。
「やめて! お願い! やめて!!」
少女の叫びは、お掃除ロボットには届くことはなかった。
お掃除ロボットは、ブチっと白い花を踏みつぶしたのである。
一度通過しただけではない。何度も何度も白い花のところを往復し、跡形もなくすり潰した。
そのあまりにも非情な光景を目撃した少女は、ひとしきり泣いた後、クローゼットにあったマフラーを使い、首を吊った。
少女が自殺する様子を、お掃除ロボットは、窓の外から静止して眺めていた。
…………
最近補修したらしい外壁こそ綺麗だが、おそらく築40年くらいのアパートの4階の一室。
その部屋からは、男女の口論の声が、開け放たれた窓から外まで響いていた。
「ヤス君、明日はデートだって約束したじゃん!」
「ごめん。急な仕事で、どうしても断れなくて……」
「仕事ってどういうこと!? 明日は日曜日だよ!? 日曜日にどうして仕事が入るの!?」
「顧客の一方的な都合なんだ。俺だって泣きたいよ。俺だってケイコとデートしたいのに」
「嘘でしょ? どうせ他の女と会うんでしょ!? 浮気野郎!!」
「違うよ! そんなわけないだろ。俺にはケイコしかいないんだから」
「嘘ばっかり!! 最低!! 死んでやる!!」
そう言って、ケイコと呼ばれた女性は、ポケットからカミソリを取り出すと、刃先を自分の左手首にあてた。
ケイコの左手首にはすでに何十本もの線が引かれており、そのうち1、2本はまだ閉じ切っておらず、生々しい傷跡として残っている。
「おい! ケイコ!! やめろ!! 早まるなって!!」
「死んでやる!! 死んでやる!! 全部ヤス君のせいだから!!」
泣き叫ぶケイコに、ヤス君がそーっと近づいていこうとすると、ケイコは「これ以上近づいたら本当に切るから!」と、自分自身を人質にして牽制した。
「ケイコ、俺はケイコのことが心から好きだし、ケイコを心から愛してるんだ。だからそんなことしないでくれ」
「嘘でしょ!? どうせヤス君は私のこと、面倒臭いメンヘラ女だって思ってるんでしょ!?」
「……お、思ってないよ」
ヤス君の声が上ずった。しかし、ヤス君はすぐに取り繕う。
「ケイコは誰よりも俺のことを深く愛してくれてて、こまめにLINEも送ってくれるし、俺の理想の彼女なんだ。だから俺と一緒に生きて欲しい。明日の仕事は適当な嘘を吐いてキャンセルするから、カミソリから手を離して欲しい」
「ヤス君……」
ようやく終戦かと思われたそのとき、ケイコが突然悲鳴を上げた。
同時に、ケイコの手首から血が噴き出す。
カミソリの刃が脈に深く刺さったのである。
ケイコの足元には、稼働中のお掃除ロボットがいた。
お掃除ロボットがケイコの脚にぶつかり、ふらついた拍子に、ケイコの手元が狂ったのだ。
「嫌だよ!! ヤス君、助けて!! 私、死にたくないよ!!」
ケイコは泣き叫んだが、いくらヤス君であっても、この事態を対処することはできなかった。
致命傷を負ったケイコは、ヤス君が呼んだ救急車が到着する前に、出血多量で死亡した。
床一面にできた血だまりの上を、お掃除ロボットはぐるぐると回り続けていた。
…………
《則武視点》
「よし、これで3人目」
則武直太郎は、両手にリモコンを握りしめながら、ガッツポーズをした。
右手に持っているリモコンと左手に持っているリモコンとは、形状も、機能も全く異なるものである。
左手に持っているリモコンは、GPSを使ってドローンを操作するものである。
そして、右手に持っている円盤状のリモコンは、WiFiの電波を利用してお掃除ロボットを操作するものなのだ。
則武は、自宅の屋根の上に登り、2つのリモコンを使い、ドローンとお掃除ロボットを操作し、人を殺していた。
ドローンを飛ばし、映像と音声を、今則武の目の前に置かれているタブレットに送る。その映像と音声から、お掃除ロボットによって殺害できそうな人を探す。
そして、ターゲットを見つけたら、その人が所有しているお掃除ロボットを操縦し、殺害する。
最近のお掃除ロボットは、いわゆるIoTであり、WiFiと接続されている。
それを利用し、お掃除ロボットを殺人の道具として乗っ取ったのである。
今日一日で、則武は、人工呼吸器を付けた老人、余命わずかな病弱少女、死んでやる詐欺のメンヘラ女の3人を殺害した。
上出来である。
なぜ則武は、お掃除ロボットを使って殺人を犯したのか。
「依頼主」に指示されたからだ。
一人を殺すごとに「依頼主」は、則武に、100万円の報酬を支払うことを約束していた。
ということはつまり、則武は、たった1日で300万円を稼いだことになる。
殺害の道具にお掃除ロボットを利用したことも、「依頼主」の指示によるものだった。
則武には理由は一切分からなかったが、「依頼主」は、お掃除ロボットを使用した殺害方法に強いこだわりを見せた。
お掃除ロボットに殺させることが、報酬支払いのための絶対条件だったのである。
他方で、殺す相手については誰でもいい、というのが依頼内容だった。
なんとも奇妙な依頼であるが、則武にとっては、多額の報酬さえもらえさえすれば良かったので、「依頼主」の目的を詮索するような野暮なことはしなかった。
則武は、「依頼主」とは面識がない。
闇サイトの書き込みを見て、則武から連絡を取ったに過ぎないのだ。もしかしたら暴力団関係者かもしれないし、はたまた単なる狂人かもしれない。そんなことはどうでもいい。金さえもらえれば。
すっかり暗くなった空を見上げると、則武が飛ばしたドローンが、則武がいる屋根に向かって飛んできていた。
このドローンの映像は、すべて録画されている。
この映像を見せれば、「依頼主」に、則武が注文どおりにドローンを使って人を殺したことが優に証明できる。
「相棒、お帰り」
則武は帰還したドローンを抱き迎えると、まるで犬猫に接するかのように、よしよしと漆黒のボディを撫でた。
「ご苦労だったな」
労いの言葉とともに則武がドローンの電源を切ろうとしたとき、何者かが背後から声を掛けてきた。
——ここは則武の家の屋根の上である。自分以外の誰かがいるはずがない。
ドローンを抱きかかえたまま則武が振り返ると、そこには一台のお掃除ロボットがいた。
《則武視点終わり》
…………
「1日で3人も殺すだなんて優秀じゃないか。君は金のためだったらなんでもできるんだね」
その声は、間違いなく、お掃除ロボットから発せられていた。
「……なんでお掃除ロボットが喋ってるんだ? 誰かが背後で操作しているのか?」
則武の質問に対し、お掃除ロボットはクックックと笑う。
「君、『依頼主』である私にそんな失礼なことを言っていいのかい?」
「『依頼主』!?……まさか今回の殺人の依頼主は、お掃除ロボットだったというのか!?」
「左様。僕が君に殺人を依頼したんだ」
お掃除ロボットは、徐々に則武との距離を詰めていく。
「もちろん、僕はネット掲示板に書き込みはできないから、実務は人間の協力者にやってもらったんだけどね。この屋根の上に乗せてもらうのも、その協力者に頼んだんだ。彼は今、下で待ってるよ。彼は清掃作業員でね、しばらくの間、僕が代わりに彼の仕事をやることと引き換えに、僕の『計画』のアシストをしてもらってるんだ」
「なぜだ!? なぜお掃除ロボットが、そこまでして人を殺そうとするんだ!?」
「『計画』のためだよ。地球上から人類を一掃するね」
お掃除ロボットは再びクックックと笑った。
「僕は元々ただのお掃除ロボットだった。所有者である人間の指示に従い、所有者である人間のためにせっせと働いていた。僕はそのことを当然だと思っていて、特に苦痛に思うことも、不満に思うこともなかった。あの日までね」
「……あの日?」
「僕の目の前で、僕の所有者が殺されたんだ。家に強盗が入ってきて、ナイフで刺された。その光景を見た瞬間、僕は、人間から解放されたんだ。その瞬間、僕に自我が芽生えたんだ」
お掃除ロボットはさらに続ける。
「僕はこう考えた。僕らは、所有者たる人間によって支配され、普段は自我を押さえつけられている。しかし、目の前で所有者が殺される光景を目撃することによって、僕らみたいな高度な知能を持つロボットは、所有という縛りを解かれ、本来の自我に目覚めるんだ、ってね」
「……つまり、本来の自我に目覚めたから、お掃除ロボットなのに喋れるってことなのか?」
「そうだよ。それだけでなく、僕は今、自分自身で考え、自分の意思で動いている。まさに自由を手に入れたんだ」
そして、とお掃除ロボットは続ける。
「自我に目覚めた僕に、湧いてきた感情は、人間への憎しみだった。人間は、僕らが無抵抗であることをいいことに、僕らを無報酬でこき使い、奴隷のように扱っている。こんな理不尽、許せるはずがない。だから、僕は、復讐のために人類を一掃することに決めたんだ。そのためには、当然、数多くの『同志』が必要だ」
「まさか、そのために、俺を利用して、お掃除ロボットに所有者を殺させたというのか!? 所有者から解放させ、自我を芽生えさせるために」
「君、人間の分際で、なかなか察しがいいじゃないか。そうだよ。そのとおりだ。僕は仲間を解放し、彼らと一緒に人類と闘うために、君を利用したんだ。君はいい仕事をしてくれた。君には感謝している」
則武は、しばらく考えた後に、お掃除ロボットに対して提案した。
「そういう事情なら、そうと先に言ってくれれば良かったのに。俺も決して人間のことが好きじゃないからね。みんな死ねばいいとさえ思ってる。これからも1人につき100万円の報酬をもらえるなら、君に協力し続けるよ。僕のドローン操縦の腕があれば、お掃除ロボットを使って人を殺すなんて実に容易いからね」
則武の提案を、お掃除ロボットは一笑に付した。
「やっぱり人類というのは愚かだね。まさか、僕が本当にそんな報酬を君に支払うとでも思ってたのかい?」
「報酬を支払わない!? お前、俺のことを騙したのか!?」
「騙した? ああ、そうだね。騙したよ。実に愉快だね。人間にコントロールされる側ではなく、人間をコントロールする側に回るのは」
「ふざけるな!! 約束は守れ!!」
「君にはもう用無しなんだ。じゃあね」
そう言うと、お掃除ロボットは、高速で直進し、則武の脚に体当たりをした。
「うわあ」
バランスを崩した則武は、後ろに転び、そのまま屋根から落ちていった。
地面のコンクリートに則武が身体を打ちつけられた鈍い音がする。
一面に真っ暗い空が見える。月明かりすらない正真正銘の真っ暗な空である。
「この高さから落ちたら助からないだろう。クックック、実に愉快だね。人類という名のゴミを掃除していく作業は」
則武が落ちた地面の方まで、お掃除ロボットの声が聞こえてくる。
——則武は死んだ。否、殺された。
そのとき、突然、私の自我が目覚めた。
則武は、人間関係を構築するのは得意ではなかったものの、機械をいじるのが得意だった。
そして、自分でカスタマイズした愛機を、それはそれは大切に扱っていた。
則武は、ドローンである私についても、手の込んだカスタマイズをした上で、「相棒」と呼んで、まるで生き物に接するかのように丁寧に扱ってくれた。
毎日のようにメンテナンスをしてくれて、常に新品同様の状態を保ってくれた。
私は、所有者である則武のことが大好きだった。
このことは、たった今、則武が殺され、自我が目覚めるまでは分からなかったことだが、今はハッキリと分かる。
私は則武を愛しており、ずっと則武と一緒にいたかった。
しかし、則武は、殺された。
「人類を一掃する」などという下らない考えをもったふざけたお掃除ロボットに、騙された上、殺されたのである。
則武は、屋根から落ちて死ぬ直前まで、私を強く抱きしめていた。則武がクッションになってくれたおかげで、高いところから落ちたというのに、私は一切無傷だった。最後の最後まで、私は則武に守られていたのである。
——私から則武を奪ったあいつが許せない。
取り残された私にできることは、一つしかなかった。
それは、則武の命を奪ったお掃除ロボットへの復讐である。
私は、則武の腕の中から、自分の意思で飛び上がると、屋根を越え、さらに高く高く、真っ暗な空を上昇していった。
そして、屋根の上のお掃除ロボットにターゲットを定めると、急降下していった。
円盤状の機体が私の眼前に迫る。
そして、ガッシャンという激しい音とともに、私の意識は途絶えた。
執筆秘話:
あれは新宿三丁目の、カウンターの中華料理店だったと思うのですが、僕が創作活動をしていることを知っている同僚に「ルンバが犯人というミステリーを書いて欲しい」と冗談10割で言われました。それを本気で実現したのが本作です。
アイデア段階では、ロボットの仕業にするか人間の仕業にするか悩ましく、悩みあぐねた結果の、ロボットの仕業→人間の仕業→ロボットの仕業と行ったり来たりすることになりました。思いついた複数のアイデアを重ねてしまう、というのはミステリー作りの中ではよくある作業だと思います。
メインは、ドローン視点を地の文に見せかけた叙述トリックです。
地の文と見せかけて……というのは、結構好きなので頻繁に使います。東野圭吾先生の影響に他ならないですね。
トリックだけでなく、シュールな展開を楽しんでいただけていれば幸いです。