表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

「アンチノックス探偵の禁断推理ー探偵小説のルール「ノックスの十戒」を1〜10まで全部破ってみた

原作:

「アンチノックス探偵の禁断推理ー探偵小説のルール「ノックスの十戒」を1〜10まで全部破ってみた」


初回投稿日:

2021年2月6日


原作pt数:

986pt(2023年2月16日現在)


【ノックスの十戒じっかい


 聖職者であり推理小説家であったロナルド・ノックスが、1928年に「探偵小説十戒」で発表した推理小説を書く際のルールである。


 推理小説を書く上では、以下の10項目が守られなければならない。



1 犯人は、物語の当初に登場していなければならない


2 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない


3 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が2つ以上あってはならない


4 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない


5 中国人を登場させてはならない


6 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない


7 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない


8 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない


9 ワトスン役は、自分の判断を全て読者に知らせねばらない


10 双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない




…………………




【登場人物】



哀辻悔人あいつじかいと(32)……被害者


東野龍介ひがしのりゅうすけ(19)……大学生


西田虎児にしだとらじ(49)……街の不動産屋さん


北川玄也きたがわげんや(32)……医者


南山朱里みなみやまあかり(25)……ファッションモデル


王李わんりー(年齢不詳)……謎の中国人


樫井湊人かしいみなと(30)……ワトスン役


菱川ひしかわあいず(年齢不詳)……世界一自由な探偵




…………………





【見取り図】



挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)



《イラスト BY加純様》




……………




「ニーハオ、探偵さん」


「ようやく主役が登場か……」


 僕がドアを開け放つと、広間に集められた宿泊者の視線が、一斉にこちらに向いた。


 僕を見ているのではない、僕の隣にいる男を見ているのである。



 シャーロックホームズのコスプレとしか思えない丈の長いコート、そしてブリムの付いた帽子を被っているこの男の名は菱川ひしかわあいず。


 これまで幾度となく困難事件を解決してきた名探偵である。



「遅れてしまいすみません」


 菱川は、帽子を外すと、へこへこと頭を下げた。

 有名人の割には腰の低い男である。



「いえいえ。菱川さん、謝らないでください。先ほどまで別の館で、別の事件の推理をしていたんですよね?」


「ええ」


「ネットニュースで読みましたよ。華麗な推理で連続殺人鬼を追い詰めたって。すごいです!」


 キラキラと目を輝かせながら菱川をおだてたのは、今この空間にいる唯一の女性である。

 かなりの別嬪さんでスタイルも良い。


 美人におだてられた菱川は、


「ニュースが出るのが早いですね。日本のメディアは優秀だ」


などと誤魔化しながらも、まんざらでもない表情を浮かべていた。



「待ちくたびれたぜ。さっさと始めてくれ」


 菱川と女性とのやりとりが「茶番だ」と糾弾するがごとく厳しい口調でそう言ったのは、偉そうに脚を組み、椅子にもたれかかっている強面の男だった。


 この男が菱川に対して「始めてくれ」と言ったのは、推理のことに違いない。

 関係者が集められた広間で探偵がすることといえば、それしかない。



「いやいや。僕らはたった今このペンションに来たばかりで、事件のこともぼんやりとしか知らないですし、宿泊者の名前すら知らないんです。いきなり推理なんて無理です」


 僕は当たり前のことを言ったに過ぎないのに、男は僕のことを睨んだ。



「あんた誰だ?」


「僕ですか? 僕は樫井かしいみ……」


「ワトスン君です」


 僕の自己紹介を遮ったのは菱川だった。



「彼はワトスン君。つまり、僕の助手です」


 菱川は、当然ながら僕の本名を知りつつも、僕のことを一貫して「ワトスン君」と呼んでいた。



「ワトスン君の言うとおり、僕がいくら名探偵だとはいえ、関係者の名前すら分からない状況では推理はできません。どなたか、僕とワトスン君に事件について説明してくれませんか?」


「私が説明します」


 説明役を名乗り出たのは、僕を睨んだ男とは対照的に、見た目から理知的であることが分かる細身の男だった。



 その細身の男——北川玄也きたがわげんやの話によれば、事件の内容は以下のとおりである。




 この建物は、スキー客向けに建てられたペンションである。3階建てのうち、1階は広間や台所、洗濯室などがある共用場で、2階と3階は客室となっている。


 宿泊者のうち、北川玄也、西田虎児にしだとらじ(先ほど僕を睨んでいた男)、南山朱里みなみやまあかり(美人。実際にファッションモデルをやっているらしい)、東野龍介ひがしのりゅうすけ(先ほどから一言も話さない若者)、そして、哀辻悔人あいつじかいと(被害者)は、昨日の朝からペンションに滞在していた。いずれもスキー目当てで単独で訪れた客であり、相互に面識はなかった。


 不用心なことに、このペンションには、いわゆる管理人が滞在していなかった。

 費用は事前に振り込んでもらっているため、後は宿泊者が勝手に使ってくれ、というらしい。



 今日もそうなのだが、昨日もすごい吹雪であった。



 そのため、宿泊者たちは、わざわざ雪山まで来たにもかかわらず、館から出ることはできなかった。


 とはいえ、広間で交流することはわずかで、ほとんどの時間をそれぞれの部屋に閉じこもって過ごしていた。古い建物だったが、幸いなことにwifi環境だけは完璧であり、TwitterもYouTubeも使いたい放題だったのだ。



 なお、部屋割りは、3階の客室に西田、哀辻。2階の客室に南山,北川,東野が入った(【見取り図】のとおり)。



 惨劇が起こったのは、宿泊者が寝静まった深夜のことだった。


 「ぎゃああああ」という悲鳴が哀辻の部屋から発せられた。


 その悲鳴にまず反応したのは、同じ階にいた西田だった。


 西田は、悲鳴を聞くやいなや廊下に飛び出し、哀辻の部屋のドアをノックした。



——しかし、哀辻からは何の返答もなかった。



「開けるぞ」


 そう断ってから西田は、哀辻の部屋のドアを開けようとした。



——鍵が掛かっていて、ドアは開かない。



 このドアは、内側からつまみを回すことによってロックができる仕組みであり、外側から開けるためには、キーを差し込む必要がある。


 普通に考えれば、キーは、哀辻自身持っているに違いない。


 窓が開いているかどうかは分からないが、ここは3階であり、窓から人が出入りすることはできない。



 要するに、哀辻の部屋は密室だったのである。


 

 悲鳴から、哀辻の身に何かが起こったに違いない、と考えた西田は、ガンガンと体当たりをして、ドアを壊して開けようとした。


 しかし、ドアは頑丈で、なかなか開かない。



 それでも西田が繰り返し体当たりをしているうちに、ようやくドアが破壊され、密室の中身が晒された。



 そこには危惧したとおり、ベッドの上で仰向けに倒れる哀辻の死体があった。


 ちょうど心臓の位置にナイフが突き刺さっており、そこから赤い染みが白いベッドシーツにまで広がっていた。



 なお、キーは部屋のテーブルの上に置かれており、窓の鍵も閉まっていた。狭い部屋には犯人が隠れられるようなスペースもない。


 やはり部屋は完全な密室だったのである。



 凄惨な光景を前にして西田が立ち尽くしていると、哀辻の悲鳴と、西田がドアに体当たりをする音で目を覚ました2階の宿泊者たちが、南山、北川、東野の順で3階に訪れた。


 部屋の様子を見て、3人とも絶句した。



 北川は警察に通報しようとしたが、西田がそれを止めた。

 西田は過去にやってもいない窃盗の罪でしょっ引かれたことがあり、警察を信用していなかったのである。



「これは密室殺人だ。警察ごときに解決できる事件じゃないだろ」


 そう言って、西田は、警察ではなく、日本で一番有名な探偵である菱川の探偵事務所に電話をした。


 菱川は、(先ほど南山がネットニュースを見たと言っていた)別の館の事件が先約してあることを伝えたが、西田の熱意に負けた。


 ただし、菱川は条件として、到着が明日の夜になること、そして、到着するまでの間、関係者を含めて現場を保存しておくこと(つまり、宿泊者がそのままペンションに滞在し続けること)を求めた。西田をはじめ、宿泊者たちは渋々ながら菱川の命令に従うことにした。



 宿泊者たちが想定していなかったのは、翌朝、謎の中国人が現れたことである。


 その謎の中国人は、王李わんりーと名乗った。



「この国の冬は寒いあるね。凍るところだったある」


 どうやら日本語は喋れるようだった。



 もっとも、完全に日本語を理解しているのかは甚だ怪しかった。


 その証拠に、王は、現場を保存するようにという菱川からの命令を伝えたにもかかわらず、それを無視し、犯行現場の部屋にズカズカと入っていったのである。


 西田と北川が謎の中国人の謎の行動を止めるべきかどうかを相談していたところ、王は「見つけたあるよ!!」と突然叫んだ。


 何事かと思い、哀辻の部屋を覗くと、壁に穴が空いていた。



——否、穴ではない。


 それは隠し通路だった。



 そして、その隠し通路は、ちょうど真下にある部屋に繋がっていた。


 南山に割り当てられた客室である(【見取り図】のとおり)。



「違います! 私はやってません!!」


 南山がヒステリックに叫ぶ。とはいえ、客観的な状況からすると、犯人は南山しか考えられないように思えた。

 南山のみ、哀辻が殺された「密室」に自由に出入りできたのである。


 ただ、南山は、そもそも隠し通路の存在すら知らなかったと一貫して否認し続けた。


 南山の部屋の壁も、哀辻の部屋の壁同様、強く押すと開くようになっていたのだが、南山はそんなことにはこれっぽっちも気付かなかったと主張した。




「それが、僕がこのペンションに来るまでに起きた全てですね?」


「そうあるよ」


 説明したのは北川であるにも関わらず、菱川の質問に答えたのは、なぜか王だった。



「菱川さん、私の冤罪を晴らしてください……」


 南山が菱川に懇願する。

 こんな美人に潤目でじっと見られたら、男なら一肌脱がざるをえないだろうな、と思い、菱川を見ると、やはりやる気に満ちた目をしていた。



「それでは、今から犯人を当ててみせます」


 この菱川の宣言には、宿泊者だけでなく、僕も大変驚いた。


 なんせ、たしかに北川から一応の説明はあったが、真相を突き止められるほどの情報は提供されていないように思えたからだ。

 名探偵であるとはいえ、犯行現場も見ないまま、たったこれだけの情報から犯人を当てるのはさすがに無理だろう。



「菱川さん、もう犯人を当てられるんですか?」


「南山さん、もちろんです」


 菱川の自信に満ちた表情からすると、単に南山に格好をつけているわけではない……はずだ。



「……それでは、犯人は誰なんですか?」


「僕には分かりません」


「!??」



 場が静まり返る。



 それはそうだ。


 菱川のカミングアウトは、ある意味では、犯人の名前を言い当てる以上に衝撃的なものだったのだ。



「おい。どういうことだよ。名探偵を名乗っておきながら、全然使えねえじゃえか」


「西田さん、僕を罵るのは止めてください。たしかに、犯人が誰かは今の僕には分かりません。ただ、僕は、()()()()で、犯人が誰であるかを直ちに明らかにすることができます」


「ある方法?」


「口寄せです」



 先ほどの数千倍の衝撃が広間に広まった。


 しかし、菱川はそんな様子など意に介さずに、淡々と説明を続ける。



「犯人が誰であるのか。それは決して神のみぞ知るわけではありません。どんな難事件であっても、大抵の場合、犯人が誰かを知っている人間が2人います。犯人自身、そして、被害者本人です。ですので、私はこれから被害者である哀辻悔人さんを口寄せし、犯人を名指ししてもらおうと思います」


「……本当にそんなことできるか? 口寄せなんて超自然能力がこの世に存在してるとでもいうのか?」


「僕は名探偵ですから、多少の超自然能力は扱えます」


 菱川の説明は少しも説明になっていない気がする。



「もっとも、口寄せに関しては条件があって、生前の死者と面識がないと呼び寄せることができないんです。死者の具体的なイメージが口寄せには必要ですから」


「それじゃあ、無理なんじゃないですか?」


「いいえ、北川さん。今回に関しては、無理じゃないんです。なぜなら、僕は生前の哀辻さんと面識がありますから」


「……なぜ?」


「これは本当にたまたまなんですが、1週間前にバスで哀辻さんと隣同士の席になったんです。彼が隣の席に座ったとき、突然、僕の第六感が働きまして、僕はその第六感に従い、彼に話しかけたんです。そこで彼の名前や素性を聞きました」


「なんたる偶然なんだ……」


「名探偵にはそういう要素も必須なんです」



 菱川は、ポケットから黒光りする数珠を取り出すと、それを平手ですり合わせ、目を瞑り、南無阿弥陀仏を唱え始めた。



 哀辻は、早速降臨した。


 それは傍目にも分かった。


 菱川の目つきとオーラが一瞬にして変わったのである。



「……あれ……ここは広間か……もしかして、まだ俺は生きてるのか?」


 声色も先ほどまでの菱川とは違っている。



「いいえ。あなたはもう死んでいます」


 菱川——否、哀辻に対して僕がそう答えると、哀辻は「そうか……」とうなだれた。



「哀辻さん、あなたを殺した犯人を教えてください」



 哀辻は、少し考えた後、


「分かりません」


と答えた。



「俺、寝てる間に突然包丁で刺されたんです。俺が目を開けたときには部屋にはもう誰もいませんでした」


「犯人は電光石火であなたを刺し、そのまま電光石火で逃げていったということですか?」


 哀辻は頷いた。



「そうとしか考えられません。俺は犯人の気配すら感じませんでした」


 哀辻が犯人を直接目撃していないというのは、致命的であった。


 せっかく菱川が超自然能力を使ったにもかかわらず、事件の真相解明には役に立たなかったのである。



 僕は、念のため、哀辻に質問をする。



「哀辻さん、あなたを殺害しそうな人に誰か心当たりはありますか?」


 哀辻に誰かに恨まれているという自覚があったとしても、それが宿泊者の誰かであるという可能性は極めて低い。

 なぜなら、宿泊者同士は昨日まで全く面識がない他人同士だからである。

 とはいえ、状況から考えて、犯人は宿泊者のうちの誰かに違いないだろう。


 ゆえに、哀辻に心当たりを聞いたところで、おそらく有益な情報は出てこない——はずだった。



 しかし、哀辻は、僕が想像だにしなかった人物の名前を口にした。



「菱川あいずです。あいつには、僕を殺す十分な動機があるはずです。僕を殺そうとする人間なんて、あいつしかいません」


「!!?」



 その場にいた全員が驚きのあまり言葉を失っているうちに、口寄せは解除され、哀辻はどこかに行ってしまった。


 ふらりと大きくよろめいた後、菱川が、広間の面々に問いかける。



「どうしましたか? 哀辻さんは誰が犯人だと言っていましたか? 口寄せしている間、僕の意識はないので、どなたか教えてください」



 しばしの静寂。


 その後、


「菱川さんです」


と南山が正直に答えた。



「……ん?」


「ですから、哀辻さんは、動機から考えると菱川さんが犯人なのではないか、と言っていました」


「……そうでしたか……」


 哀辻を口寄せしたときとはまた違った様子で、菱川が纏う雰囲気が急激に変わった。



「犯行シーンは目撃されていないので大丈夫だと思っていたんですが、バレたら仕方ないですね。そうです。哀辻悔人を殺したのは、僕、菱川あいずです」


「ええええええぇぇぇぇ!!??」


 あまりの急展開に、僕も含め、広間にいた全員が驚嘆の声を上げる。



「菱川、本当にお前が犯人なのか?」


「ええ」


「だとすると、どうやってやったんだ? 部屋は密室だったし、菱川には、別の館で推理をしていたというアリバイもあるんだろ? 菱川には今回の犯行はできないはずだ」


 菱川は首を振る。



「いいえ。僕にはできたんです。ある()()()()を使うことによって」


「トリック?」


「そうです」


 菱川が説明した「トリック」の内容は、耳を疑わざるを得ないものであった。



「まず、みなさんは気付かなかったようですが、犯行現場となった哀辻の部屋には、隠し通路が2つありました」


——隠し通路が2つ。そんな大胆な仕掛けがあっただなんて。



「1つ目は、王さんが見つけたもので、南山さんの部屋へと繋がっています。2つ目は、床をスライドさせたところにあるのですが、ペンションの外に繋がっているんです」


「それは気付かなかったある」


「普通、隠し通路は1つしかないですからね。1つ見つけたら満足し、2つ目を探そうとは思わないでしょう」


 菱川の言うとおりだ。

 この館を建築した人間は、なぜ1つの部屋に2つも隠し通路を作ったのか。単なるキチガイに違いない。



「僕は、その2つ目の隠し通路を使って、哀辻の部屋に侵入しました。もちろん、部屋から出るときもその隠し通路を使いました」


「ちょっと待て。隠し通路を使ったのは分かったが、アリバイはどうなるんだ!? 哀辻が殺された昨日の深夜、菱川は別の館にいて、華麗な推理を披露していたんじゃないのか?」


「ええ。そうです。ここから車で5時間以上かかる場所にある別の館にいました」


「じゃあ、無理じゃねえか。菱川には完璧なアリバイがある。それとも、まさかここにもトリックがあるということか」


「……ええ。トリックがあります」


「どんな?」


「凶器です」


 凶器というと、哀辻の胸を突き刺していた包丁のことだろう。


 果たしてその包丁にどのようなトリックが施されていたというのか。



「実はあの包丁、最新の科学技術が詰め込まれた『殺人用包丁』なんです」


「……さ、殺人用包丁?」


「アメリカとかが戦争用に殺人ロボットを開発しているじゃないですか。あれと一緒です。あの殺人包丁を使えば、遠隔操作で、人を殺すことができるんです。内蔵された赤外線カメラで人の急所の位置を認識し、確実に仕留めてくれます」


「……言ってる意味が全く分からないんだが」


「たしかに素人には分からないかもしれないですね。最新鋭の技術ですから。簡単に言うと、あの包丁は、僕が、wifiネットワークを使い、リモコンで指示を出すことによって、ジェット噴射でピュンっと飛んで、勝手に心臓を刺してくれるんです」


 そんなおそろしい凶器が開発されていただなんて、僕は初めて聞いた。



「ですから、僕は、殺害の瞬間、このペンションにいる必要がないんです。僕は、昨日の午前中にこのペンションに来て、隠し通路から侵入し、哀辻が1階の台所を使っている間に哀辻の部屋に入り、目立たない位置に殺人用包丁をセットしておいたんです。そして、哀辻が戻って来る前にまた隠し通路を使って外に出ました」


「それで、昨日の深夜、自分が別の館にいる最中に、遠隔操作で殺人用包丁を動かし、哀辻を殺したということか」


「そのとおりです。完璧なアリバイトリックですよね」


 たしかに完璧である。


 ただ、完璧すぎるがゆえ、もはやトリックとは言えないのではないかという気さえする。



「……動機は何ですか? 菱川さんは1週間前に偶然哀辻さんに会っただけの関係なんですよね? それなのにどうして哀辻さんを殺したんですか?」


 南山がした質問は、僕も疑問に思っていたものだ。

 

 「名探偵」という社会的地位をかなぐり捨ててまで菱川が殺人を犯さなければならなかった動機とは一体何なのだろうか。おそらくは止むに止まれぬ事情があったに違いない。



 菱川の答えは、僕が少しも予想していなかった方向で衝撃的なものだった。



「実は、哀辻とは昔から面識があったんです。いや、面識なんてものではありません。僕と哀辻は同じ腹から生まれた双子なんです」


「……双子?」


「一卵性ではないので、少しも似ていませんがね」


——探偵と被害者が実は双子だった。


 そんな展開、果たして誰が予想しただろうか。



「名字が違うのは、僕と哀辻の母親が、僕らを産んでからすぐに死亡し、僕らはそれぞれ別々の人の養子として引き取られたからです。とはいえ、哀辻は、僕に対して頻繁に連絡をしてきました。そして、僕の探偵稼業について色々とバカにしてきたんです。『虚業だ』なんて言って」


「だから殺したんですか?」


「ええ。そうです。他人には理解されないかもしれませんが、塵も積もれば山となる、というやつです。昔からの色んな恨み辛みが積もり積もっていたんです。口寄せの結果からすると、哀辻自身も僕から恨まれているという自覚はあったみたいですね」



「哀辻さんのポケットに身分証が入ってたある!」



 そう言って、王が「哀辻悔人」名義の運転免許証を提示する。この謎の中国人は、勝手に被害者のポケットの中まで漁ってたというのか。おそろしい。



 菱川は王から免許証を受け取ると、自分の財布の中から「菱川あいず」名義の運転免許証を取り出し、テーブルの上に2枚を並べた。



「ほら生年月日欄を見てください。哀辻と僕の生年月日が全く一緒でしょ? 僕らは正真正銘の双子なんです」




 菱川は、「これがすべての真相です」と言って、推理——否、自白を終えた。



 こういう想定外のことが起きた場合、僕はどうするべきなのだろうか。

 ワトスン役として、どう立ち振る舞うべきなのだろうか。



 僕は俯く菱川の顔をじっと観察する。


 実は、僕は、菱川はいつか人を殺すんじゃないかと胸の内で思っていた。


 菱川の目は、人殺しのそれだな、とはじめて会ったときからずっと思っていた。



 このことを今まで読者に黙っていて、大変申し訳ない。心より謝罪申し上げる。




…………




【ノックスの十戒じっかい】(再掲)


 聖職者であり推理小説家であったロナルド・ノックスが、1928年に「探偵小説十戒」で発表した推理小説を書く際のルールである。


 推理小説を書く上では、以下の10項目が守られなければならない。



1 犯人は、物語の当初に登場していなければならない


2 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない


3 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が2つ以上あってはならない


4 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない


5 中国人を登場させてはならない


6 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない


7 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない


8 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない


9 ワトスン役は、自分の判断を全て読者に知らせねばらない


10 双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない




…………




「ちょっと待つある!!」


 事件の終幕に待ったをかけたのは、王であった。



「証拠は!! 証拠はあるあるか?」


 王の指摘にハッとさせられる。


 たしかに菱川の自白には、客観的な証拠が1つも示されていない。

 菱川の自白が狂言という可能性もなくもないのだ。



「証拠ですか? ……犯行現場の部屋を調べればいいんじゃないですか? 2つ目の隠し通路と殺人用包丁が見つかるはずです」


「そうじゃないある。その証拠は、探偵さんが犯人である、という証拠にまではならないある。もしかしたら、探偵さん以外の誰かが2つ目の隠し通路を使い、殺人包丁を仕掛けたかもしれないあるよ」


 王の指摘はなかなか鋭い。謎の中国人もなかなか見くびれないところがある。



「なるほど……。たしかに僕が犯人であることを示唆する物的証拠はないかもしれないですね。一応指紋や足跡は残らないように注意しましたし。……ただ、証人はいます」


「……証人あるか?」


「ええ。僕の姿を目撃した方がいるんです」


 なんとこの事件には目撃者がいたのか。



「誰あるか?」


「……実は、僕もハッキリとは分からないんです」


「どういう意味あるか?」


「昨日の午前中、僕は殺人包丁をセットして隠し通路からペンションを出ました。そのときなんですが、隠し通路の出口が、玄関から見て反対側、つまり、客室の窓側にある関係で、客室の窓から僕の姿が見えるんです。僕は、いつもこの探偵の格好をしてますから、目撃者はそれが僕だと必ず認識できます」


「なるほどあるな」


「そして、実際に、僕は2階の客室の窓から、『誰だ!?』と声を掛けられたんです」


「2階というと、東野、南山、北川がいたフロアあるな。そのうちの誰が探偵さんに声を掛けたあるか?」


「それが、僕は声を掛けられるや否や慌てて逃走しましたので、一体誰に声を掛けられたのかハッキリと見ていないんです。2階からだったことは間違いないと思んですが……」


「すると、目撃者は、東野、南山、北川の3人のうちの誰かということあるな」


「ええ。そうです」


 菱川からは細部にわたる自白がなされた。

 その上で、目撃者の証言まであれば、菱川が犯人であることは確定だろう。

 裁判でも有罪になることは間違いない。



「じゃあ、今、私が確認するある。東野さん」


 王から名前を呼ばれ、僕らが到着して以降まだ一言も発していない大学生が、ビクッと反応する。



「あなたはペンションから逃走する探偵姿の男を見たあるか?」


 東野は、黙ったままで、しかし、はっきりと首を横に振った。



「東野さんじゃないあるね。それじゃあ、南山さんはどうあるか?」


「私も見てません」


「となると、残ったのは北川さんあるな。北川さんは逃走する探偵姿の男を目撃したあるか?」



 北川は少しだけ沈黙した後、ゆっくりと答えた。



「たしかに見ました。『誰だ!?』と声を掛けたのも私です」



 これで菱川が今回の事件の犯人であることが確定した。

 

 何ともしこりが残る事件ではあったが、これにて一件落着である。




…………




「くっ……はははははははははははは」


 突然大きな笑い声が聞こえた。笑っていたのは、菱川だった。



「おい。どうしたんだ? ついに頭がオカシくなったのか?」


「ははははははははははは」


 西田の質問を無視し、菱川は笑い続けた。


 本当に頭がオカシくなったのかもしれない。


 というか、今回の事件は、頭がオカシくないと起こせない気もする。



「はははははは……ついに分かりましたよ」



——分かった? 今更菱川は何を言っているのか。



「……何が分かったんだよ?」


「西田さん、決まってるじゃないですか。今回の事件の犯人ですよ」



——今回の事件の犯人? それは菱川だと先ほど自白していたじゃないか。さすがにイかれ過ぎている。



「菱川、お前だろ? 犯人は」


「違います」


 菱川はハッキリとそう言った。



「じゃあ、先ほどまでの自白は何だったんだ?」


「もちろん、すべて演技ですよ。真犯人をあぶり出すためのね」


「演技!??」


「ええ。そうです」


「どこからどこまでが演技だったんだ!?」


「全部です。全部嘘なんです。僕は口寄せなんかしていませんし、犯行現場に2つ目の隠し通路なんてありませんし、殺人用包丁なんてハチャメチャな道具も存在していません。僕は哀辻と双子でもありません。それは全部僕の口から出任せです。唯一の真実は、僕が名探偵だ、ということくらいですかね」


——全部嘘。


 たしかに嘘臭いとは思っていたが、いきなり全部嘘だと言われると、それはそれでにわかに信じがたい。



 僕は思わず尋ねる。



「だとすると、犯人はどうやって殺したんですか? 犯行現場は完全な密室じゃないですか? それとも、犯人は南山さんなんですか?」


「ワトスン君、落ち着いてくれたまえ。今から順を追って説明しますから」


 こうして、名探偵菱川あいずによる、真の推理ショーが幕を開けた。



「密室の犯行現場。このことが今回の事件の最大の謎です。もちろん、犯行現場と南山さんの部屋を結ぶ隠し通路を使って南山さんが殺したというのであれば、物理的には矛盾は生じない。そういう意味では、南山さんは犯人候補筆頭でしょう。しかし、南山さんが犯人だと仮定すると、説明しにくいことがあります」


「南山さんが犯人だと何か不都合があるんですか?」


「あります。なぜ南山さんが哀辻の部屋の鍵を閉めたのか、ということが分からないんです。つまり、なぜ南山さんはわざわざ密室を作ったのか、ということが分かりません」


 美人を陥れるのは趣味ではないが、僕は菱川に反論した。



「南山さんが密室を作った理由ですか? それは哀辻さんの自殺に見せかけるためですよ。密室で死んだとなれば、犯人の出入りは不可能なんですから、消去法で自殺だと判断されるでしょう。そのために南山さんは隠し通路を使い、密室を偽造したんです」


「ワトスン君、月並みな回答をありがとう。ただ、やはりその説明だとオカシいんです。仮に自殺に偽装したいんだとすれば、もっと別の方法があります。たとえば遺書を偽造するとか、高所から突き落とすとか。少なくとも、凶器に包丁を用いることはないでしょう。戦前の切腹じゃないんですから、今のご時世、包丁で心臓を刺して自殺する人間などいないでしょう。毒を使うにしろ練炭を使うにしろ、もっと痛みのない自殺の方法がいくらでもあります」


「たしかに……」


 それに、わざわざ宿泊先で自殺するというのも妙な話である。



「第一、隠し通路が発見されてしまえば、南山さんに容疑が集中することになります。壁を強く押せば簡単に姿を現す隠し通路です。警察が捜査すれば一瞬で見つかるでしょう。南山さんが犯人だとすれば、隠し通路を使って『密室』を作りだすことはあまりにもリスキーです。むしろ哀辻の部屋の鍵を開けておいた方が、容疑を分散できてよいでしょう」


「つまり、南山さんは犯人ではないということですか?」


「その可能性が高いですが、これだけではまだ言い切れないです。探偵界の格言に『美女はまず疑え』ともありますしね」


 そんな格言、少なくとも僕は聞いたことはないが、それほど探偵界に明るいわけではないので、僕は頷くしかなかった。



「次の問題はこういうものです。仮に犯人が南山さんではないとすれば、どのようにして犯人は密室を作り上げたのか。これは先ほどとは打って変わって、完全なる物理の問題です。南山さんが犯人ではないとすれば、犯人はどうやって哀辻の部屋から脱出したのか」


 たしかにそうだ。南山さんが犯人でないとすれば、密室の謎を解かなければならないのだ。



「哀辻の部屋に入るは簡単です。『少し話がある』とか言って、哀辻にドアを開けさせ、正面から入ればいいのです。ただ、出るのが難しい。哀辻の部屋のドアから出てしまえば、鍵を掛けることができない。とはいえ、隠し通路を使って出ようと思うと、当然、南山さんの部屋を通過しなければならない?」


「南山さんが寝てて気付かなかった、ということは考えられませんか?」


「それはないでしょう。だって、哀辻を殺した時点で、哀辻は悲鳴を上げているんです。南山さんが起きないはずがない。南山さん、実際に悲鳴で起きましたよね」


 探偵の問い掛けに、南山がコクリと頷く。



「ですから、犯人が脱出することはできないんです」


「じゃあ、やっぱり犯人は南山さん? いや、もしくは南山さんと共犯とか?」


「ですから、常識的に考えると、それはないんです。共犯だって一緒です。南山さんの部屋に通じる隠し通路を使う時点で、南山さんに容疑が掛かってしまうわけですから、南山さんは主犯であれ、共犯であれ関わっていないと考えるべきでしょう」


「だとすると、矛盾するじゃないですか」


 結局、密室の謎は解けないということなのか。



「いいえ、ワトスン君、諦めるのはまだ早いです。脱出不可能=犯行が不可能というわけではありません」


「どういう意味ですか?」


「犯人は脱出していないという意味です」


 たしかに論理的にはそうかもしれない。


 ただ、状況的にはありえない。



「ちょっと待ってください。それはありえませんよ。だって哀辻さんの部屋は狭くて、人が隠れられるようなスペースはありませんから」


「ワトスン君、本当にそうでしょうか?」


「え?」


「本当に隠れる場所がないでしょうか?」



 まさか——



「……隠し通路ですか」


「そのとおりです!! 犯人は、哀辻の部屋と南山さんの部屋を結ぶ隠し通路内に隠れていたのです!! そうすれば、体当たりで哀辻の部屋のドアを開けた西田さんにも見つかりませんし、南山さんの部屋を通過する必要はありません。隠し通路の中であれば、犯人は誰からも見つかることがなく息を潜められるんです」


 実際に見たわけではないが、隠し通路は、3階の哀辻の部屋と2階の南山の部屋を結んでいるという。ということは、おそらく隠し通路は階段状になっているのであろう。当然、人が隠れるスペースは十分にある。



「犯人は、隠し通路の中でも、南山さんの部屋寄りの位置に隠れていたのだと思います。そのようにして、南山さんの部屋の物音に耳を澄ませる。そして、哀辻の悲鳴を聞き、南山さんが起き、南山さんが部屋から出たことを音で確認してから、壁を開け、南山さんの部屋に出たんでしょう」


「そして、あたかも自分の部屋から出てきたかのように装い、3階に行ったということですね」


「そうです。北川さんの話によると、西田さんが哀辻のドアを壊してから3階に訪れたのは、南山さん、北川さん、東野さんの順だったとのことです」



 とすると、犯人候補は——



「南山さんより後に3階に訪れた、北川さんと東野さんが怪しいですね」


「そのとおりです。彼らならば、南山さんが部屋を出た後に、南山さんの部屋を通って3階に出て行くことができます。あ、先ほども言いましたが、南山さんも犯人候補からは完全には外れていません」


 密室の謎は解けた。


 もっとも、これまでの菱川の説明だけでは、肝心の犯人は、3人も候補者がいて、特定できていない。



「先ほど、菱川さんは犯人が分かったと言って笑っていましたよね?」


「ええ」


「どうやって特定したんですか? 推理したんですか?」


「いいえ。犯人候補を3人にまで絞ることが推理の限界でした」


 推理の限界。


 だとすると、菱川はどうやって犯人を特定したというのか。



「推理じゃないとすると、まさか勘で犯人を特定したんですか?」


「馬鹿なこと言わないでください。ワトスン君、『ノックスの十戒』は知っていますか?」


「……一応」


「『探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない』というのが6項目にあります。僕は探偵ですから、ノックスの十戒を犯すわけにはいきません」


 菱川は胸を張る。


 口寄せをしたり、殺人用包丁などと言ったりしていた先ほどの菱川とはまるで別人である。



「じゃあ、どうやって犯人を特定したんですか?」


「推理ではなく、演技で特定しました」


「……どういうことですか?」


「まさかこの僕が何の意味もなくあんな狂人を演じるわけがないでしょう? 僕は犯人を演じることによって、南山さん、北川さん、東野さんの3人のうち誰が犯人であるかを明らかにしたんです。ワトスン君、謎の中国人が3人にした質問を覚えていますか?」



 たしか——



「窓から探偵姿の男を目撃したか……でしたね」


「そうです。それに対して、3人はどう答えましたか?」


「東野さんは首を横に振り、南山さんも『見ていない』と言い、北川さんだけ『目撃して声を掛けた』と言いました」


「何か気付かないですか?」



——ああ!! そういうことか!!



「北川さんが明らかに嘘をついています! だって、菱川さんは犯人じゃないですし、ペンションの出口に通ずる2つ目の隠し通路も存在していないので、北川さんが探偵姿の男の後ろ姿を目撃しているはずがないんです!!」


「正解です。北川さんは嘘を吐いたんです。それでは、なぜ嘘を吐いたのか。それは、僕に罪を被せるためにほかなりません。もしも2階の宿泊者たちが1人も僕の後ろ姿を見ておらず、誰も僕に声を掛けていないとすれば、僕の自白の信憑性が無くなってしまう。ゆえに、北川さんは嘘の目撃証言をしたのです。このような嘘をつくインセンティブは真犯人にしかありません。この嘘の目撃証言を真犯人から引き出すことこそ、僕があんな小っ恥ずかしい演技をした理由なんです!!」



 菱川が、北川を指差す。



「北川さん、犯人はあなたです!! あなたは罪を南山さんになすりつけるために隠し通路を使い、『密室』で哀辻を殺したんだ!!」




 僕は、北川の方に目を遣る。


 脂汗をかき、目を泳がせている姿は、もはや自白をしているも同然だった。



 しかし、北川は、探偵に食らいついていく。



「動機は? 私に哀辻を殺す動機があるんですか?」


「随分な悪あがき、というか、白々しい。僕にそんなとぼけが通じると思う? 玄也、もう諦めろよ」


 急に菱川がタメ口になった。


 それだけでなく「玄也」と北川を下の名前で呼んでいる。



「……とぼけてなんていません」


「玄也、見苦しいよ。僕はこんなダサい弟を持った覚えはないね」



 弟??



「……やっぱり兄貴には勝てないか」



 兄貴??



「ごめん。ごめん。つい内輪の話になってしまいましたね。実は、僕と玄也は、同じ腹から同時に生まれた兄弟なんです」



 同じ腹から同時ということは——



「……双子ですか?」


 菱川が首を振る。



「いいえ。双子ではありません。三つ子です」



 三つ子!??



「先ほど、僕の演技は全て嘘と言いましたが、部分的に真実も含まれていまして、僕と哀辻……いや、悔人との血縁関係に関しては、ほぼ真実でした。運転免許証も偽造したものではありません。もっとも、僕と悔人は双子ではなく、僕と悔人と玄也とで三つ子なんです。母親がすぐ死んだのも事実なので、3人ともそれぞれ別々の養親に引き取られました。あと、一卵性じゃないので、3人ともあまり似てないです」



——そんな濃蜜なミッシングリンクがあっただなんて!!



 というか、これはアリなのか!?


 たしかにノックスの十戒の10項目は、「双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない」となっていて、三つ子の存在を予め知らせろとは書かれていないが。



「動機を推理するというのは、探偵にとってももっとも神経を使う作業です。推測で補わなければならない幅が広いので。とはいえ、今回の事件については、僕には動機が分かります。父母が一緒ですからね。悔人は遊び人で、常に僕や玄也に金の無心をしてきました。それを断ると、今度は悔人は、探偵である僕や、医者である玄也について、捏造された悪評をSNSで書いて嫌がらせをし、削除して欲しければ金を寄越せ、と脅してきていたんです。ゆえに、玄也は悔人を殺したんだ」


「……さすが兄貴、すべて兄貴の言うとおりだよ」



 ついに北川は罪を認めた。


 名探偵の勝利である。



「玄也、気持ちは分かるよ。正直、僕だって何度悔人のことを殺したいと思ったか分からないよ。ただ、僕にはどうしても殺人はできないんだ」


「なんで?」


「『変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない』というノックスの十戒の第7項目があるからさ」


「……兄貴、ノックスの十戒っていうのはそんなに偉いのかい?」


「ああ、絶対的なものだ。探偵である以上は絶対に守らないといけない。僕は犯人を当てるためなら手段を選ばない。今日みたいに狂人を演じることだってする。ルールなんて糞食らえだ。だけど、ノックスの十戒だけは別だ。絶対に破ることはできない。内心ではノックスの十戒は嫌っている——つまり、アンチノックスなんだけどね」


 アンチノックスで、ルールを破ることを厭わない探偵であっても絶対に破れないほどにノックスの十戒は偉大なものだということらしい。



 でも、と兄弟同士の会話に水を差したのは、南山だった。



「たしかノックスの十戒には、中国人を出しちゃいけない、っていうルールもありましたよね?」


「よく知ってますね」


「他は覚えてなかったんですけど、それだけは印象的だったので」


「南山さんの指摘のとおり、第5項目に『中国人を登場させてはならない』があります」


 宿泊者たちの目線が、一斉に「謎の中国人」こと王李に向く。



「菱川さん、王さんの存在は容認してもいいのですか?」



 菱川がどう答えるのか見ものだな、と思っていたが、菱川はあっけなく、


「OKです」


と答えた。



「どうしてですか?」


「簡単です。彼は実は中国人じゃないからです」



 王が中国人でない!? 


 あんなにあるある言っていたのに!?



 菱川はさらに驚くべきことを言う。



「実は彼は、『真のワトスン役』である渡戸俊史わたとしゅんじ君なのです」


 王——否、渡戸が深々と頭を下げる。



「皆さん、今まで騙していてごめんなさい。僕は中国人ではなく、純粋な日本人です。そして、今菱川さんが紹介したとおり、僕が菱川さんの本当の『ワトスン君』なんです」


「ここから先は僕が説明します。ワトスン君に『謎の中国人』を演じるように命じたのは僕なので。今回の悔人殺人事件について依頼が来たとき、身内の事件ということもあり、すぐさまにでも駆けつけたいと思いました。しかし、皆さんもご存知のとおり、僕には別の館の事件を解決しなければならないという先約があったのです。そこで、悩んだ末、ワトスン君である渡戸君のみを先にこのペンションに送りました。そして、皆さんの監視と、事件の捜査を依頼したのです」


 たしかに渡戸が屋敷に来たのは、西田が菱川に依頼をした翌朝であったし、渡戸は勝手に犯行現場に立ち入り、隠し通路を発見している。


 もっと言うと、最終的に北川が犯人であることを炙り出す質問をしたのも渡戸だった。あの質問は菱川が張った「罠」だったのだが、菱川ないしワトスン役があの質問をしたのならば、犯人は警戒した可能性がある。しかし、質問したのが「部外者」である謎の中国人であったため、犯人は「罠」に気付かず、菱川の狙いどおり、菱川を陥れる嘘を吐いてしまったのだ。


 菱川の説明は筋が通っている。



「そして、純粋な日本人であるワトスン君に中国人を演じるように言ったのは、潜入捜査の便宜上、彼がワトスン君であることはバレない方が良いと思ったので、宿泊者とあまり密なコミュニケーションを取って欲しくなかったからです。日本語が覚束ない中国人を演じれば、皆さんから徹底的に身元を追及されることもないですし、もし追及されても日本語が分からないフリをして適当に誤魔化せるじゃないですか」


 よく練られた作戦である。

 それに、日本人と中国人は同じ東アジアの人種であり、顔もよく似ている。渡戸の顔も、日本人だと言われれば日本人に見えるし、中国人だと言われれば中国人に見える。



「なるほど……」


 思わず声が出た僕であったが、感心している場合ではないことに気付く。


 なぜなら、今度は宿泊者たちの視線が一斉に僕に向けられていたからである。



「じゃあ、お前は何者なんだ?」


 西田が僕のことを睨みつける。


 それはそうである。渡戸が菱川の「ワトスン役」であるのだとすれば、僕の存在が宙に浮く。



 僕は頭を掻きながら答える。



「実は単なるバイトでして……」


「バイト!?」


「これも僕が説明しましょう。先ほどまでワトスン役を演じてもらっていた彼は、今日のこの事件のために僕が臨時で雇ったバイトなんです。本物のワトスン役である渡戸君が中国人を演じているため、僕には代わりのワトスン役が必要でした。ワトスン役のいない名探偵なんて不自然ですからね。もしも僕が単独でこのペンションに乗り込んできたら、皆さんは僕が本当に名探偵かどうか疑うでしょう? ゆえに、まあまあよい時給を出して彼を雇ったんです」


「そういうことです」


 僕は舌を出す。



 僕は実はワトスン役ではなかった。


 ゆえに、「実は、僕は、菱川はいつか人を殺すんじゃないかと胸の内で思っていた。菱川の目は、人殺しのそれだな、とはじめて会ったときからずっと思っていた」という僕の判断を後出しで読者に示したことは、ノックスの十戒の第9項の「ワトスン役は、自分の判断を全て読者に知らせねばらない」に反しない。




 こうして、結果としてノックスの十戒に1つも反することなく、今回の事件は無事幕を閉じたのである。



(了)



執筆秘話:

超安産でした。


「殺意の論理パズル」という連作短編が好評でしたので、論理パズルに続く次の題材を探している中で、ノックスの十戒に目をつけ、最初の着想から24時間以内に全て書き上げました。


ノックスの十戒自体は、はるか昔に「このミス」受賞作を読み漁っていたときに法月綸太郎の「ノックス・マシン」を読んで知っていました(余談ですが、別年の受賞作である「生首に聞いてみろ」はともかく、この作品の良さは僕にはよく分からないです……)。

「ノックス・マシン」もそうですが、ノックスの十戒を題材にするときは、「5 中国人を登場させてはならない」をどう扱うのかが腕の見せ所です。また、「9 ワトスン役は、自分の判断を全て読者に知らせねばらない」も、「破って守る」という本作のコンセプトからすると扱いが難しかったです。


本作はその2項目を、「中国人」と「ワトスン君」を入れ替えることで解決しました。本作で重要な閃きがあったとすれば、その部分かなと思います。


「3 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が2つ以上あってはならない」というのも、創作をする上ではなかなか面白い観点だなと感じています。1つはあって良いんですよね。

思い返してみると、綾辻行人の「館シリーズ」も隠し通路の存在は前提とされていますよね。「実は隠し通路がありました!」ではなく、「隠し通路をこんな風に使えました!」で驚きを与えていければ、ミステリー作家としては一皮剥けられるのかなというのが雑感です。



手のかかる子ほど可愛いものですが、超安産の作品の方が周りからは評価されることが多いです。

いただいた反響の大きさを鑑みても、トップバッターは迷わずこの作品にしました。



ちなみに、ノックスの十戒において、「5 中国人を登場させてはならない」というルールがあるのは、中国人=身体能力がずば抜けた超人というイメージだからだそうです。中国雑技団的な感じですかね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] もう何か、読み終わった瞬間、作者さんのチェシャ猫みたいな笑いが浮かんできました。 遊び心にも程がある! なんですけど、読者側も一緒に惨劇の館で遊び回る快感を味わえるのだから、文句なんて出る…
[一言] ノックスの十戒を扱った、小気味に良い作品でしたね。個人的にもFAを描かせていただいた、思い出深い作品でもあります。 中国人=超人、雑技団もありますが、当時のイギリス人にとっては価値観や倫理観…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ