【118】聖女様と命の絆(6)
『マコブ!』
心の中で叫ぶ!
庶民エリンのわたしの弟に声を掛けられて、思わず名前を呼びそうになった。反射的に通りの奥を見れば、ザラ様がニヤニヤして此方を見ている。
もしここでわたしが姉と認めれば、家族の命はない。
わたしは感覚的にザラ様の恐ろしさを知っている。
それに……この弟マコブも、わたしのブローチに掛けられた認識阻害の魔法が通じていないようだ。
これからも見つかる可能性が高い
「エリンお姉ちゃん!やっぱり生きて……」
「あなたは誰?何故わたしをエリンと呼ぶの?
エリンって誰なの?」
わたしは声色を変えて、声を低くして言葉を発した
「ボク!マコブだよ!お姉ちゃんの弟だよ!忘れたの?」
「あなたなんて知らないわ」
「お姉ちゃん!ボクだよ……」
バチンッ!
「汚らわしい!触るな!」
わたしの手に触れようとしたので、叩いて振り払った。
手に持った焼き鳥は勿体無いけど、とっさに地面に落としてから叩いた。
ザラ様から良く見えるよう、拒否しないと命が懸かっている
「無礼者!わたしはエレファ・キーラ!
キーラ男爵家の者よ!
平民の貴方が軽々しく触れて良い相手ではありません!」
「マコブ!」
その声のした方向に顔を向ければ、そこには見慣れた顔が
──お母さん……
母もわたしを見てハッ!した表情になる。
わたしに認識阻害が効かないのは、遺伝かもしれない。
熱い想いが表れて来るけど、わたしは無理に押さえて、冷たい眼差しで母を見る
「その者がわたしをエリンと呼んだ。
姉だそうね。わたしは貴族。
この者に姉呼ばわりされる覚えはない」
「も……申し訳ありません!御貴族さま!
なにぶん姉を事故で亡くしたばかりでして、少しひどい姿で遺体を弟には見せずに埋葬致しました。
それでまだ姉の死を受け入れられないのです。
その姉に御貴族様の面影があるのです。
何分子供の事とお許しください」
母はマコブの頭を押さえて、地面に這いつくばって頭を垂れている。マコブも訳が分からないなりに、大人しく従っている。
母の日頃と違う姿に怯えているのかもしれない
「その姉……エリンとやらはそんなにわたしと似ているのか?」
「はい。顔立ちはそっくりでございます。
ですが……髪の色は御貴族様の水色ではなく、茶色でした。ですから……私は見間違う訳もなく、エリンではないと分かります。エリンの死は間違いなく確認しております。御無礼を御許し下さい」
母の身体がブルブル震えている。
そのわたしを見詰める眼差しは、涙で濡れている。
私は直感で分かってしまった
──母もわたしがエリンだと気付いている
そして母なりに事情を呑み込んで、わざと騒ぎに集まった人達へエリンの死を、必要以上に詳しく話しているのだろう
「死んだ者と一緒にされるとは、気分が悪いわ。
けれど身内の死を受け入れられない子供の気持ちも分かる。この事は……不問にしましょう。
但し今回だけです。
もし何処かでわたしに会って、今のように馴れ馴れしく話掛けたら、容赦はしない。
その子供に良く良く言い聞かせなさい!
店主!」
わたしは金貨一枚……十万エルを焼き鳥の屋台の店主に渡し
「この母と子の身内が亡くなったようね。
そたむけに焼き鳥を沢山見繕ってあげて……。
それから……ここに集まった者達へ」
また金貨一枚置き
「焼き鳥を一本づつ振る舞ってあげなさい。
それからそこの母親。立ちなさい」
わたしは立ち上がった母の手に金貨を数枚握らせ
「わたしと似た娘とやらは、若くして死んだのだろう?」
「はい……まだ15歳になったばかりでした」
母は大粒の涙を流して泣いている。
それはわたしに再会した喜びと、これからも他人として生きねばならない哀しみとが同居しているのだろう。
もうわたしには、母がわたしをエリンと見破っているのを確信している。
そして母は諸々飲み込んで、わたしの今の状況を受け入れてくれている
「死者と間違われるのは嫌だが、大切な者を亡くした気持ちはわたしにも分かる。
わたしも最近、大切な家族を失ったばかりだからな。
これはわたしと良く似ているエリンという娘からと思って受け取って欲しい。きっとエリンはまだ死ぬとは思わず、家族と突然の別れが来るとは夢にも思わなかったであろうから。
きっと生きていたら親孝行したかったに違いない。
そのエリンとやらの気持ちを汲んだ」
そして金貨を握らせた母の手を両手で包んで頷いた。
周りからもすすり泣きが聞こえる。
わたしはマコブも立たせ、その頭を撫で
「叩いた手は痛くは無かったか?」
「……大丈夫です」
弟も大人しくなった。
小さいながらも、彼なりに何やら察したのかもしれない
「マコブ。そのエリンという姉の変わりに、親孝行をしてあげるのよ」
「はい。御貴族さま……」
そして頭から手を離すと
「もう二度と会うことも無いでしょう。
では。ご機嫌よう」
わたしは母と弟に背を向けると、ザラ様の元へと堂々と胸を張りゆっくりと歩みを進めた。
もう後ろは振り返らなかった。
【設定豆知識】
認識阻害の魔法は身内にも利きにくいです。
特に親しい家族には効力がなく、殆んど意味がありません。
マコブは裏街を歩いていたら、普通に行方不明のお姉ちゃんに出会った感覚です。髪の色なんて気にしてませんでした。
母親は一目でエリンと見破っています。
エレファは認識阻害魔法の知識がないので、その事を知りません。