無料なモノに対する怒りすら拡散させずにいられない人々
※旧題:無料なモノへ怒り狂う者たち
タダでもらっている者に対して怒るなんてなぜだろうかという疑問が旧題で書くに至った経緯である。ただ、そこから幾人から感想をいただき再度考えたところ、私は怒りを拡散せずにいられない人がいることに疑問を抱いているのだなと考えた。確かに私はテレビの内容が気に入らなくて怒っている人に疑問を抱いたことはない。というか、気に入らないコンテンツに出会ったことがない人がいるならその運を私にもわけてほしい。
それはともかく、本題に入る。
まず、怒りについて考える。
高度経済成長期のテレビの普及に始まり、現代ではSNSやモバイルゲームまで無料化した。これらの利害関係と大まかに解けば、テレビやSNS、モバイルゲームを提供する提供主、その提供主に広告を受託する依頼者、提供主が提供するコンテンツを利用する客の三つに分類することができる。つまり、金銭的関係は提供主と依頼主の間にはあるが、客とこの両者との直接的な関係はないことになる。
この関係で客が失うものは「時間」ということになるだろうか。ただ、この「時間」を失ったから怒り狂っているというのもしっくりこない。オタクと呼ばれるもの以外はこれらのコンテンツに求めていることは暇つぶしだ。学校の登校時間に、通勤時間に、休み時間に手持無沙汰だからゲームをやっているということが実情だろう。
この意見に俺は違うと述べるものもいるだろう。違うのならば、なぜこれらの無料コンテンツに時間を割いているのだろうか。ここでいう時間を割いているというのは、すべての、だ。この俳優が好きだからとか、このゲーム会社のゲームが好きだから、のような理由ではない。好きな作品があったということは、つまらなかった作品もあったろう。なら、なぜその作品に時間を割いたのだ。現在好きかどうかはさておき、始まりの理由に暇つぶしがなかったとは考えずらい。
まあ、この話を深く掘ればもう一つエッセイを書くことができそうだが、本旨ではないのでこのエッセイでは取り扱わない。
話を戻すが、時間を潰すためにやっているはずなのに、時間を失ったから怒り狂っているというのは道理が通らないのだ。ある種の精神疾患を持っていなければ、理由なく怒るとは考えずらい。
では、「期待」だろうか。だが、期待と攻撃性は関連付けがたい。天気がはれたら、あるいは雨が降ったら怒るだろうか。懸賞に、宝くじに当たらなければ怒るだろうか。そんなことはない。まず、落ち込むだろう。そして、人によって怒るだろう。
では、なぜここに怒る人と怒らない人の差が表れるのだろうか。ここは今後も考えていきたいが、現在結論が自分の中で決まっていないので、そういう人たちがいるというところで書くことをやめる。一応、現在の結論として、期待と攻撃性は疑似相関になってさえいるものの、相関はないという部分で妥協する。
とりあえずなぜ怒るのかという理由への妥協を済ませたので、次はそれらの怒った人がなぜ怒りを拡散をするのかを考える。ここでいう拡散は現実とインターネット上の区別をつけない。
多分ほとんどの人と同意が取れると思うのだが、関係ない人の悪口や関係ないことへの批判を聞いて楽しいと感じないだろう。上司や教師の悪口は恨みつらみの共有ができるから盛り上がるのであって、友人が突然よくわからない議員への罵詈雑言や中東の部族の宗教儀式への批判などをされても盛り上がりようがない。むしろ、一人だけヒートアップする一方、他の人の熱は著しく下がるだろう。そう考えると、怒りを拡散してもその怒りを共有することができるコミュニティに足を置いているのだろうか。
これが自分や友人の部屋のような隔絶されている社会の内だけで拡散するならまだわからなくはないのだが、誰にでも見ることのできるパブリックな空間(SNSや評価サイト)ですら拡散を行うのはなぜだろうか。
ここで疑問は二つ。一つは拡散をするほどの怒りはどこからきたのかということと、もう一つは自身の言動が公共性を害しているにも関わらずそれを続けるのなぜだろうかということだ。
前者に関しては、先にも述べた通り保留する。
後者に関していくつか仮説を立てる。一つ目の仮説は、怒りの拡散行為がコミュニティ内で評価されるようになってしまったこと。二つの仮説は、そもそも怒りの拡散が公共性を害していることを認識できていないこと。三つ目の仮説は怒りの拡散が、自身の抱えているストレスの代理発散装置となってしまっていること。
頭が回らなくなってきたので、今日はここで終わりにする。
いつかまた同じことを考えるために今日の足跡をここに書き記す。
※一応述べておくが、怒ることが良い・悪いの話は一切していない。ただ、『不思議だなぁ』と思っているだけだ。個人的には、社会正義に反しないのであれば表現の自由は尊重するべきだと思う。さらに、補足だが『社会正義に反しない限り』だ。誹謗中傷は名誉棄損や人権侵害に当たるため社会正義に反している。くどいようだが、誹謗中傷を擁護するものではない。
2021/10/22:このエッセイの内容が常に同じであるという保証は一切しません。最後の一文にも書きましたが、自分自身の意見を整理することが最優先事項としています。もちろんこのエッセイを公開している以上、皆様の意見をいただければよいと考えています。ただ、最優先は自分の納得であることをご留意ください。