男爵の侍女になった!
商会を辞める際、店長は大層惜しんでくれた。
エシリーをはじめ店舗で関わった人たちが、寂しくなると泣いてくれた。最後の食事は皆で豪華に。デザートまであった。
商会を発つ朝。わざわざ商会長が私の部屋を訪ね、退職金だと金貨一枚をくれた。奮発しすぎだ…と思ったが、笑顔で受け取る。
「とある男爵が君を気に入ったらしくてね。是非にとご所望なんだよ」
毎日たくさんの人が通る大通り。いちいち人の顔なんて覚えていやしない。
首を傾げつつも迎えの馬車に乗りこめば、程なくしてたどり着いたのは貴族街のとある屋敷。正門から入った馬車はそのまま玄関を通り過ぎ、厩らしき建物の横で止まった。御者が下りていいと言うので、勝手にドアを開けて馬車を出る。
荷物は数着の服と下着、それから商会で貯めこんだいくらかのお金。商会にいる時は仕事として良い服を着ていたので、とてもじゃないが自分の給金で手が届く程度の安い服を買う気にはなれなかった。結果、まぁちょっとしたお金は貯まったけれど、年齢と仕事内容からたいした金額ではない。ただ座っているだけの小娘に大金を払ってくれるほど、善良な大人ばかりではないのだ。
屋敷裏の通用口まで案内してくれた御者とはここで別れた。御者兼馬と馬車の管理人らしく、彼の仕事は外にいることが主な様なので。代わりに屋敷の中を案内してくれたのは、執事らしい中肉中背のおじさん。まずはこちらへと、主人の執務室らしい重厚な部屋へと通された。
「よく来てくれたね」
書類の積まれた机から顔を上げて迎えてくれたのは、これまた中肉中背のおじさん。執事との違いは、その身を飾る服と装飾品の数くらいだろうか。
机の上に組んだ手の指にはびっしりと指輪がはめられているし、ジャケットの袖からのぞくカフリンクスにも大きな石が光っている。似合っているかと聞かれたら、笑顔でとても素敵ですと答えるだろう。これからの雇い主になるはずなので。
「ジュリアと申します」
「あぁ知っているよ。あそこの商会は行きつけなんだ」
ぺこりと頭を下げれば、上から下まで舐めるように見られているのがわかった。若干の怖気が肌を走るが、笑顔でこらえる。
たぶん、私はこの男に金で買われたのだ。
理由はまぁ、わかりきっている。私、美少女だもんね。
「君の仕事については、明日説明があるだろう。今日はゆっくりしたまえ」
なんて太っ腹な雇い主であろうか。
挨拶もそこそこに、私は半地下の使用人たちの居住スペースへ案内された。
階段を下りて右側は簡素なテーブルと椅子のある休憩スペースで、左側手前の扉が男性部屋、その奥の扉が女性用だそうだ。
扉を開けると左右それぞれに二段ベッドとクローゼット。どうやら四人部屋らしい。
「右側の上を使うようにと言付かっている」
それだけ言って執事が行ってしまったので、とりあえずそちらに鞄を置いてクローゼットを開ける。左半分に服がかかっているから、もう半分を使えという事だろう。少ない荷物を引っ張り出し、そのうち一枚の服のポケットに全財産を突っ込んだ。下に置いた鞄に入れておくより多少ましだろう。
「どうしよっかな…」
なにもすることがない。
休憩スペースの椅子に腰掛け、どうしようか考える。来たばかりで勝手に歩くのも憚られるし、かといってここで座っているのも退屈だ。
選択肢はほぼないに等しいがしばらく考えていると、こつこつと誰かが降りてくる音がした。
「旦那様がお呼びよ」
燃えるように赤い髪の女の人だ。ハタチを過ぎたくらいだろうか。きゅっとウエストが絞られた服は使用人らしく派手さはないが、身体の凹凸を強調するようなある意味分かりやすい服だった。
髪と同じ燃えるような赤い瞳を釣り上げて、上から下までまたもじっくり観察される。なんでこの人こんなに敵意剥き出しなんだろう?ちやほやされることに慣れきってる私は、若干ビビリながらもよろしくの意味も込めてちょっとだけにこりと笑ってみせたら、キッと睨まれた。なんで?
後ろをついて歩けば、ここは厨房あそこは応接室などと案内をつっけんどんな態度ではさんでくれる。一応教えてくれる気はあるみたい。
「ここへ座って」
示されたのはメインダイニングの中央に鎮座する立派なテーブルに並ぶ椅子の一つ。訳も分からず戸惑っているうちに旦那様が来たので、慌てて立ち上がる。
「楽にしたまえ」
「でも、使用人が旦那様とご一緒するわけには…」
「今日だけは特別だよ。最初だからね」
使用人として雇われた私が、仕える旦那様と同じテーブルにつくのは本来であれば駄目だろうことは子供の私にもわかる。案内してくれた人は不機嫌な表情のまま旦那様のそばに控えているが、何も言わない。ここはたぶん、旦那様に従っておくのが正解だろう。
「失礼します」
そう言って座れば、目の前のテーブルに昼食が準備されていく。バターの添えられた山盛りのパンに、ポタージュスープ、付け合わせの温野菜がこんもりと盛られた白い皿の中央には肉が乗っていた。こんなに大きな肉の塊は見たことがなくて、ただただ驚く。旦那様を窺えば、同じものが出されていた。
「ささやかだが君の歓迎会だ。存分に食べなさい」
それからは夢中で食べてしまった。旦那様は同じものをのんびりと食べながら、いろいろ喋っていた。家族はいないのか、これまでどうして来たのか、好きなものは何か、おかわりはいるか。適当に返事をしつつ、最後の問だけは大きく肯いておいた。食べ盛りの十一歳なので。
旦那様は喋りながらも、ずっと私のことを見てた。それこそ舐めるように。隈なく。向けられる視線には敏感だが、だからといって特に感じるものはなにもない。図太く鈍感になったのは、前職のおかげだ。
「午後は私の執務室に来なさい」
それからというもの、基本的に旦那様に外出の予定のない午後は大抵執務室にこもり、なにくれと旦那様のお世話をするのが私の仕事になった。お茶を入れたり、書類を運ぶのを手伝ったり、時には着替えを手伝ったり。本当に大したことない用事だ。そしてその都度、旦那様は私のことを目を細めて眺めている。さながら愛玩動物を愛でるかの視線だ。
私がまだ愛玩動物で済んでいるのは、たぶん未発達な薄い身体と赤い髪の侍女長のおかげだろう。侍女長と言っても、住込みで働く侍女は彼女と私ともう一人の全部で三人。週に一回程度通いのおばちゃんが来るが、基本的に三人で事足りるし、私が旦那様の執務室に長時間拘束されている事を含めれば、かなり余裕のある配置だと思う。
旦那様はなかなか稼いでいるらしい。そしてその稼いだ金で爵位付の嫁を買い、その嫁と跡取り息子には別邸を与えて、自分は愛人とここに住んでいる。そしてその愛人が、赤い髪の侍女長である。
なんでそんなことを知っているかって?ご丁寧に侍女長自らが教えてくれたのだ。
「旦那様はこの私を愛しているの。アンタなんか、ただのペットよ」
ここに来てすぐの頃に、彼女に言われたセリフだ。なかなかの美人が目を吊り上げて言うとこれまた迫力があって、子供の私は思わずびくりと震えてしまった。その様を見て満足したのか、彼女はすぐに去っていったが。
まぁとにかく、旦那様の愛人である彼女は、若くて可愛らしく旦那様に愛でられている私が気に食わないらしい。事あるごとにちょっとしたことで注意されるし、面倒な仕事は全部押し付けてくる。けれど旦那様の前では、面倒見よく後輩を可愛がってますアピールをしまくる。
中でも最悪だったのが、夕食後に旦那様に呼び出された時だった。
そんな時間に呼び出されたことがなかったから、少し不安だったのだ。なんせその時間に旦那様の寝室へ侍女長が入っていくことは、この屋敷では公然の秘密である。実際、侍女長は週の半分くらいは使用人部屋に帰ってこない。そして年若い女が三人、それもうち一人は旦那様の愛人を公言しているとくれば、嫌でも耳年増にもなるというものだ。
世の男性の好みは、大抵が胸と尻が豊満な女性である。
私はまだ子供で、商会に拾われるさらに前は、ほっそりというよりもただの栄養失調気味の貧相な身体だった。最近は食べるものに困らず少し柔らかくなってきたけれど、ふくよかというにはほど遠い。
だから大丈夫、旦那様の好みではない。
そう自分に言い聞かせて震える指を握りしめ、大きな扉をノックした。
「……」
返事はないが、微かに中から物音がする。侍女長の声のようなものも聞こえる。
なぜかその時の私は、再度ノックもせずにそうっと音を立てずにその扉を開いたのだった。
ソファに座るのはこちらに背を向ける旦那さま。それを跨ぐように座る侍女長は裸で、その胸を旦那様の指輪だらけの手がまさぐっていた。
ぐちゃぐちゃと響く水音に吐き気がする。
目を逸らそうとしたその瞬間、侍女長の赤い瞳が扉の隙間から私を捕らえた。
わ た さ な い
音もなく囁かれたその言葉が、はっきりと耳にこだまする。あまりの気持ち悪さに、扉を締めることも忘れて駆けだした。
井戸のそばで吐いて、吐きまくって、ようやく落ちついた私が使用人部屋に戻ると、下で寝ていたもう一人の侍女が一緒に寝ようと誘ってくれた。
「あの女に呼ばれたんでしょ?やることが単純なのよ」
その表情を見るに、彼女も同じような経験があるらしい。言われてみれば、今日呼ばれたのは旦那様に直接声をかけられたわけじゃなく、侍女長が時間と場所を指定してきたのだ。旦那様がお呼びよ、とか言って。
背中をさすられるとどっと疲れが押し寄せてきて、睡魔に逆らうことなく瞼を閉じた。
大体、旦那様になんか全然興味ないんだからね!?
あんなギラついたオヤジのどこがいいのよ!
確かにちょっとお金は持ってるかもしれないけど、貴族の中じゃ下位も下位でしょ?
どうせなら、もっと若くて格好良くてお金も持ってるオトコじゃなきゃ。
私の可愛いを引き立ててくれる男がいいな。
漠然とそんなことを考えながら眠りについた。
次の朝。侍女長を避けるのも癪で、意地でもこちらから目を逸らすもんかと気合を込めて満面の笑みでおはようございますと言ってやった。そしたらやっぱり不機嫌な顔でふんっと去っていったので、痛み分けという事にしておく。
嫌なことがあったって、めんどくさい侍女長に絡まれたって、毎日は過ぎていく。
そうしてこの男爵家にも慣れてきた頃、今度は本当に旦那様に呼び出された。
「子爵夫妻が君に会いたいと言ってきたんだが、心当たりは?」
そんなもの、あるわけないでしょう?