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商会長と契約した!


可愛いは武器だ。


そして私は、誰よりも可愛い。


孤児院にいる厳しい院長先生は、いつも頑張ってるねと私の髪を優しく撫でてくれた。もう一人のおじちゃん先生は、みんなには内緒だよと言いながら飴をくれた。私より小さな子たちはいつも私のことを可愛い可愛いと誉めそやしたし、同年代より上になれば、明らかに私に見とれていたり掃除を代わってくれる男の子がいた。

決して豊かではない、でもまあ何とか毎日をつつましく過ごす孤児院の生活に終止符を打ったのは、私が十歳の時だった。

きっかけは、孤児院を訪れたとある商人と出会いだ。


「君、可愛いね」


声色は平坦。しげしげと眺めてくる目は、いつも大人がしてくるいとおしげな瞳とも男の子がする熱っぽい視線とも違い、ぎろりと光った。後になって理解したが、あれはきっとこの男が新しい商品を見定めるときの目つきだ。


「ありがとうございます」


いつも大人たちがしてくるものと違う反応に戸惑いながらも、少々ぎこちない笑顔を返す。

私が笑って応えれば、大抵の者は私に益をもたらした。ちょっとしたお菓子をくれたり、おまけをしてくれたり。だから誰かに何かを言われると、笑顔で返すのがもう条件反射のように体に染みついている。


「ふぅん、まぁまぁの度胸もある」


恰幅のいいその商人は、しばらく考え込んでから言った。


「君、うちの商会で働かない?」


うちの商会の商品であるいろんな服を宣伝する仕事だ。衣食住は保証する。

そう言った彼の着ている服は、明らかに上等だとわかるものだ。迷わずに肯いた。


「商談成立だね。明日また迎えをよこすから、準備しておきなさい」



商会での生活が始まった。

孤児院で出会った男は、この王都で服飾を手広く扱うとある商会の長だったらしい。あれ以降ほとんど会うことはなかった。

私の仕事は、朝起きてまずお風呂に入ること。風呂と言っても浴槽の水は既に冷たくなっているので、桶に取った水にやかんで沸かしたお湯を足して、顔と体をぬぐい、最後に丁寧に髪を洗う。ざっと拭いたら支給されている香油を塗って、簡素な服を纏っておしまい。

従業員用のキッチンに向かえば、エシリーがハムとチーズを切っていた。


「おはよう、ジュリア」

「おはよう」


にっこりと笑顔を返せば、ジュリアったら今日も可愛い!とエシリーが悶える。毎朝飽きないなーと思いながらも悪い気はしない。可愛いは、私の唯一の武器だ。それを褒められて、今日も自分の武器の威力を確認する。


「さぁ座っていただきましょ」


王都の目抜き通りに面した商会の店舗のその裏口側に、従業員が寝泊まりできる部屋がいくつかある。売り子のエシリーと私、それから女性事務員と店長の計四人がここに住込みで働いている。他にも何人か働いている人はいるけれど皆通いで、繁忙期だけたまに泊まったりすることもある。朝食は四人で食べることが多いが、今日はまだ二人だけ…と思いきや、店長が階段を下りてきて、三人でしゃべりながら朝食をとった。

手早く食事を済ませたエシリーが、まだパンを咀嚼していた私の後ろに回りこむ。手にはブラシと刺繍の施された幅広のリボン。

大分乾いてきた私の髪を、エシリーが丁寧に梳かしてゆく。ゆっくりとした手つきとブラシの刺激が気持ちいい。


「今日はどうしよっかなー」


これも毎朝の事で、最初のうちはどうしていいかわからずただ縮こまっていたが、今ではのんびりと食事を楽しみながらおとなしく座っている。エシリーは実に楽しそうに私の髪を弄るので。


「そろそろ終る?」

「んーもうちょっと…これが、こう…よし、出来た!」


毎日違う髪型を、毎日違うリボンやバレッタ、時には生花で飾る。可愛いがもっと可愛くなる。でもまだ完成じゃない。

朝食を終えたら、まだ開店前の店舗に向かう。

カーテンが閉まったままの薄暗い陳列棚の間を、エシリーは軽やかに歩いていく。迷わず一直線にレジ横の棚にたどり着くと、じゃーんと言いながら差し出してきたのは、襟の詰まったワンピースだった。

試着室で着替えるが、袖を通したところではたと止まる。この服は背中に小さなくるみボタンがびっしりついている。デザインはすごく可愛らしいのだが、すべてのボタンを留めるにはかなり苦労しそうだ。早々に諦めて試着室を出た。


「ねぇエシリー、お願い」

「まかせて!」


後ろを向いてボタンを任せている間に、もう一人の通いの売り子が入ってきてた。挨拶と同時に今日も可愛いと微笑まれたので、にっこりとこちらも笑顔を返しておく。こーゆー地道な愛想って大事。

エシリーの出来た!の一言に、ありがとうと一言返してから歩き出す。

向かったのは、店舗の入り口横にある一段高くなった狭いスペース。白くて小さな可愛らしい猫足のテーブルと椅子、その横に私が立てばそれだけでいっぱいになってしまう。

これが私の職場。

椅子に座った私の髪とスカートをエシリーが整える。


「どう?」

「か ん ぺ き ! 」

「当然」

「じゃぁ、いくわよ」


座った目の前には、大きな天鵞絨のカーテン。エシリーがちらりと時計を見てから紐を引くと、分厚いカーテンが真ん中から開き、朝の光が差し込んでくる。カーテンの向こう側には大きなガラス窓。これほど大きくて曇りのない一枚ガラスをはめたショーウィンドウがあるのは、この王都でも片手で数えるほどしかない。そのショーウィンドウの前には、既に待ち構える人々がいて、カーテンが空くのを今か今かと待っていた。

人々の視線が私に突き刺さるのが、目を瞑っていてもわかる。

ふんわりとカールしたピンクブロンドの柔らかい髪は、今日は淡いピンクで花の刺繍が施された焦げ茶のリボンを編みこんでハーフアップにしてある。エシリーの力作だ。

細かなフリルで縁取られたハイネックは柔らかなアイボリー。胸の下にある切り返しには髪のリボンと同じ焦げ茶の幅広のリボンがぐるりと回されていて、右胸を同じリボンで作られたコサージュが飾っている。

ほっそりとした白い手首を包むのは、襟と同じ細かなフリル。

スカートの裾はこれまた大きさ違いのフリルが三段になっていて、そこからのぞく足の細さを際立たせている。

足首にレースをあしらった真っ白な絹の靴下の更に下は、つま先の丸いシンプルな黒い靴。しかしそれは艶やかに磨かれていて、上質なものと一目でわかる。

殊更ゆっくりと、もったいぶって、長い睫毛に縁取られた瞼を持ち上げる。朝日を受けてきらめくその様が美しい、と言われたことがある。

眩しいのをぐっとこらえ、そうしてやっとあらわれるのは透き通ったアクアマリンの大きな瞳。

開ききってからほんの少しだけ目元を緩め、口元は柔らかに弧を描かせる。

これでやっと、『可愛いジュリア』の完成だ。

その瞬間、ある者は息をのみ、またある者は感嘆のため息を漏らす。

みんなが私を見てる。

女の人は主に髪型とか服とかアクセサリーとか。男の人はたぶん純粋に私のことを。

ふと、少し背の高いおじさまと目が合った。通りがかりに覗いてみましたみたいな体でつんと澄ました顔をしているけど、そこに立ち止まっている時点で私に興味津々なのはわかってる。もう何度も来てることも覚えてるんだから。今日は彼に決めた。

目を合わせたままほんの少しだけ口角を上げ、目元を緩める。要するに少しだけ微笑んだ。

効果はてきめん。周囲からため息がもれ、済ました顔を真っ赤に染め上げて彼は足早に去っていった。

それをきっかけにしたように、人垣がまばらに散っていく。名残惜しげに最後の一人が立ち去ってから、少しだけ息をついた。


これが私ジュリアの仕事、生きたマネキン。


プレタポルテをはじめ服飾を手広く扱うこの商会で、貴族や一部の富裕層向けに子供服に力を入れ始めた。そこで何かインパクトのある売り方はないかと考えていた商会長の目に止まったのが、この私。可愛い女の子に可愛い服を着せて店先に立たせる。午前と午後で服も髪型も変えるし、もちろんアクセサリーをつけることもあれば靴だって履き替える。

客からお菓子を差し入れられることも少なくないし、今着ているあの服と装飾品を一式買うという豪胆な客もいた。

まさに天職。

今でこそ本気でそう思っているが、初めはやはりうまくいかないこともあった。

もちろん商会長の奇抜なアイディアは功を奏して、王都中の話題に上った。

しかし、見られるという事がこんなに疲れるものだとは知らなかった。

今までずっと人より視線を集めているという自覚はあった。孤児院で外の作業をしていれば通りすがりにチラチラ見られることは多かったし、お使いで商店に行けばすれ違う人たちを何人も振り向かせてきた。

けれど、意図的にここに立ち『見せる』ということを仕事にすると、これがとんでもなくしんどいことだと知った。

初めの数日は愛想よく手を振ったりしていたものの、次第に街の人たちも私の存在に慣れ、人だかりができるのは開店時だけになる。けれどこの商店が面している大通りから人がいなくなったわけではない。常にどこかしらから視線が飛んでくる。

服は、髪は乱れていないか。

腕の位置、足の角度は可愛らしく見えているか。

指先、つま先のさらに先端までを常に意識する。

あくびやくしゃみはひたすら我慢だ。かゆいところがあれば、場所によっては優雅なしぐさになるように気を付けてそっと撫でさする。逆効果で余計にかゆくなることもあった。

そっと目を伏せひたすら耐えれば眠っているのかとひそひそ声が上がり、ぱちりと目を開けば小さく歓声が聞こえる。

そんな生活が一カ月も続けばすっかり消耗してしまい、食欲は明らかに落ち、エシリーには眠れてる?と心配をかけてしまった。大事な『マネキン』だもの、心配こそすれど、代わることは出来ない、させない。

もはや意地のようになりながら、それでもウィンドウガラスの前に座っていたある夕暮れ時。ふと店に明かりが灯り、目の前の大きなガラスが鏡のように私の姿を映し出す。そのあまりの姿に愕然とした。

編みこまれ整ってはいるものの、自慢だったふんわりした髪には艶がない。瞳はうつろで生気がなく。伸ばしていたはずの姿勢はよく見ればほんの少しだけ猫背になっており、つま先も内向きになっている。

誰だこれは。

可愛いという絶対唯一の武器を持った私は、どこに行った。

あまりのショックにしばらく呆けてしまったようだ。家路を急ぐ通行人が、こちらをのぞき込んで首をかしげながら去っていった。まるで前の方が良かったとでも言うように。


「ねぇエシリー、何か食べやすいものない?」


その日の夕食時。最近は夕食もそこそこに床に就いていた私から一転した言葉に、エシリーは目を輝かせた。


「やっと食べる気になったのね!」

「えぇ、でもいきなりはちょっと辛くて」

「今ちょうどシチューを作ってるところなの。ミルクたっぷりにするわ」


消耗した体にいきなり重い食事をするのは良くないからと、エシリーが気を使ってくれる。これまでの小鳥の様な食事量に比べてかなりの量を根性で食べきり、すぐに眠れると何度も自分に言い聞かせながら床に就いた。


そして現在。

開店と同時に愛想を振りまき、昼休憩を挟んで別の服に着替えて髪型も変えてからカーテンを開け放ち、多少の視線は受け流しつつも自然に椅子に腰かけ、空を眺めたり時には通行人に手を振ったり泰然と微笑む私がいる。

相変わらず週に数度はお菓子の差し入れが絶えなかったし、着ている服は数日後には完売必至。色違いもほぼ売り切れ状態が当然のように続く。

エシリーには可愛がられ、店長に褒められ、客からはちやほやされる。可愛いという武器を最大限に生かしたこの仕事。辞める気は毛頭ない。


なのに突然、店長が商会長からの命だと言付けを預かってきた。


「残念だが、君には男爵家に勤めてもらうことになった」


なんで?




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