戯れ
今、私の目の前には猫がいる。
その猫は夜を連想させるほど真っ黒く、目は月のように黄色く輝いていた。その黄色の瞳の奥には、縋り付くような弱々しさが見える。
私は、これまで猫と接する機会がなかなかなかった。と言うよりは、犬とよく遊んでいたため、犬派だったと言うべきか。だけど、そんな接する機会などなかった私ですらも目を奪われたその猫は、私をじっと見ていて、まるで何かを訴えているかのようだ。
私はその猫に近づき、静かに座る。不思議と、この猫は逃げなかった。私が思い描く猫は、警戒心が強くて近づけばすぐ逃げるのかと思っていたが、どうやら違ったようだ。あるいは、その考えが偏見だったがのかも知れない。だが、
「どうしたの?」
何となくで、私はその猫に声をかける。ただじっと見つめる猫は、小さく「ニャーン」と鳴いた。
それに私は首を傾げ、猫を見ながら言う。
「何も無いんだったら、私はもう行くよ。猫にあげる餌とかもないから、着いてきても無駄だからね」
そう言って立ち上がり、数歩歩く。猫も立ち上がり、私の後を追うようにして数歩歩いた。
「……ハァ」
立ち止まって後ろを振り向く。猫は私を見ている。私は、もう一度歩く。後ろの猫も歩いてくる。立ち止まる。猫も立ち止まる。
「……どうして着いてくるのよ」
このままでは埒が明かないと分かった私は、もう一度た息を零して、猫を持ち上げる。
「たまたまペットが大丈夫なマンションでよかったわね。運がいい猫だわ」
皮肉混じりに言うが、猫は気にもせず静かに「ニャーン」と鳴いた。
「ただいま」
マンションについてから、私はまず猫を風呂に入れることにした。
「暴れるなよー」
途中、立ち寄ったストアで買った猫用のシャンプーを使い、身体中を綺麗にしていく。
この猫は珍しいタイプなのか、暴れるような事はしなかった。それどころか、身体中にあるシャンプーが気になっているのか、不思議そうに泡を見ている。
(随分、大人しい猫なんだなー)
なんて、これからの事を呑気に考えながら、私は淡々と身体を洗っていく。
「流すよ」
目や耳にかからないよう慎重に泡を流しながら、優しく身体中を撫でるように流していく。猫はそれが気持ちいいのか、ゴロゴロと目を細めていた。
「よし。終わった」
その後も簡単で、タオルで水気を拭いてからドライヤーで乾かす。ドライヤーの音が苦手なのか、少し嫌そうな顔をしていたが、大人しくされるがままになっていた。
「……この猫、どうしよっかな」
なんも考えずに連れてきたのはいいが、私が世話をする訳にも行かない。大体、もし飼ったとしても私は昼間は仕事で忙しくて構ってやれないし、それはそれでは寂しいだろう。トイレだって教えなくてはならないし、餌代や予防接種も、となると正直に言って面倒くさい。
(でも、このまま何もしないでまた外に出すのは夢見が悪い)
「本っ当、どうしよっかなー」
ゴロンと寝転がった私の上に、ふと温かいものを感じた。
(うん?)
なんだ?と思いそっとその場所を見ると、猫が私の胸の上に乗っかっていて、じっと私を見ていた。私の考えを分かった上でやったているのだろうか。心做しか、目を潤ませている気がする。
(……狡い)
なんとなく、確信犯めっ、と言いたくなった。
(でもまぁ……)
こうしてのんびりするのもいいのかもしれない、と思わなくもない。
(猫と戯れるのも、いいもの……かな?)
胸の方で小さな寝息が聞こえた気がした。
「このやろ」
人に捨てられたのか、元々野良だったのかは知らないが、随分と懐いてくれる。
それを心地よく思っている時点で私の考えは決まっていた。
「おやすみ。いい夢を」
そう言って、私も目を閉じた。
次起きた時は、名前でも付けてみようかな、と思いながら。