表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
98/99

番外編その1

 ノウが帰宅して翌々日の朝。

 眠い目をまたたきながら食事室へ行けば、楽な格好の二人が入ってきた。

 どうやら、早朝の体操をしてきたらしい。

 もう数日は休ませてやるべきなのにとアルフラッドを軽く睨むと、眉を下げられた。

 ……なるほど、説得したが駄目だったということか。

「あちらでも気をつけてはいましたけれど、やはり見てもらえるほうが安心なので」

 当のノウは嬉しそうに言うものだから、ジェレミアもそう、と呟くしかない。

 アルフラッドがそれ見たことかという視線を送ってきたが、綺麗に無視してやった。

 それから仕事へむかうアルフラッドを見送るべく、前と同じように玄関まで三人で移動したのだが──

「それじゃあ、行ってくるな」

 アルフラッドは言いながら、ごく自然にノウの腰を引き寄せて抱きしめると、額に口づけを落とした。

 途端、ノウの顔が真っ赤に染まるが、嫌がるそぶりは見当たらない。

 ──二人の仲が進展したことは間違いない。

 だが、メイドからの報告がないので、肉体関係はまだなのだろう。

 はじめから二人の間には、奇妙な距離があった。

 結婚しているはずなのに、お互い憎からず思っているらしいのに、遠慮するような空気感。

 ノウの傷によるものだと説明を受けていたので、誰も指摘することはなく、けれどやきもきして見守っていた。

 二人の間にあった心の壁は、どうやら無事に破壊されたらしい。

 しかし傷に起因するものなら、深く追求するのも、あからさまに祝うのも複雑なところだ。

 ちらりとメイド長を見やると、同じ意見なのだろう、うなずきが返ってきた。

「私は果樹の冬支度があるけど……よければ見る?」

 寒さにあまり強くない品種には、対策をとる必要がある。

 職人に任せきりではなく、自分で行っているものもあるので、合間を見て進めているのだ。

 ジェレミアの誘いに、ノウはぱっと表情を明るくして、お手伝いさせてくださいと告げてくる。

 なんでも知りたがる彼女は、貴族らしくなく、眉をひそめる者もいるだろう。

 だが、ジェレミアにとっては好ましいものだ。

 てきぱきと作業していく姿を、感心したように見つめられるのも悪い気はしない。

 昼食を挟んで続きでも、と思ったが、ふと、ノウの顔が赤いことに気づいた。

「……少し熱がある?」

 いきなり近づき額に手を当てたため驚かれたが、それより掌に感じる温度のほうが問題だ。

 やはり、まだ旅の疲れがとれていないのだろう。

 眉をしかめるジェレミアに、ノウはしかし首をふって否定した。

「あの……多分、知恵熱みたいなものです」

 熱は熱だが、心配するものではないと主張する。

 だが、なぜそんな発熱するに至ったかがわからない。

 不審げな表情をしていたのだろう、お茶でもと誘われたが、心配なのでノウの部屋に行くことにした。

 ヒセラにお茶を用意してもらい、場が整ったところで、本人から昨夜アルフラッドに自分の傷を見せたことを告げられた。

 悩んだ末の行動だったので、そのせいで熱が出たのだろうという自己分析だった。

 思い返しても、万一にも傷が見えるような行動や服装をしなかったノウだ。

 川に落ちた時の動揺も激しかったし、それだけ本人にとっては耐えがたいものなのだろう。

 自分で決めたこととはいえ、それを見せたというのだから、神経を使った結果発熱しても無理はない。

「やっぱり好きにはなれませんけれど……でも、フラッド様はまったく気にしなかったので、少し、肩の荷が下りました」

 ほっと呟く彼女は、本当に安心したのだろう。

 だからこそ今朝のアルフラッドの行動なのだと腑に落ちた。

 隔てる壁がなくなったから、だけではない。

 ノウが不安に思うことのないように、あの男なりに想いを表現しようとした結果なのだろう。

 ……まあ、単純に嬉しくて舞い上がっているだけの気もするが。

「でも、動き回るのはよくないわ、私もいるから、ここでのんびりなさい」

 ジェレミアの言葉に、はにかみながらはい、とうなずく素直さは愛らしい。

 ノウは裁縫箱を持ってくると、細々とした刺繍をはじめた。

 ジェレミアは急ぎではない書類をめくりながら、時折記されている必要な情報を教えてやる。

「あの……」

 花をひとつ仕上げたノウが、遠慮しながら声をかけてきた。

「帰ってきた時に抱きしめてもらった時もお話ししましたけれど……わたしは、両親と過ごした記憶がほとんどありません」

 共に出かけたことはある、と訂正されたが、それは公爵があれこれ招いた催しだったからだ。

 表面上、大怪我をした娘を思いやる優しい両親を演じたが、あくまで公爵にとりいるためのもの。

 帰宅すればうんざりだと罵倒され、汚いものをさわったとばかりに追いやられる。

 そしてまた、公の場に出れば反対の言動。幼いノウはどれほど傷つけられたことか。

 おそらく二人に会うことはないだろうが、それでいい気がする。

 己の性格的に、我慢できずに手を出しそうだ──と、これは胸の内に秘めておく。

「ですから、お義母様がお嫌でなければ、色々、一緒にしたいのですけれど、どうでしょうか……?」

「……たとえば?」

 今でも勉強だの果樹の世話だのは共に行っている。

 問いかけたジェレミアに、おずおずと告げてきたのは、要するに外出だった。

 観劇、買物、食事……ごく当たり前の母娘ならば、結婚前に何度となく行っただろう行動ばかり。

「アルフラッドと一緒のほうがいいんじゃないの?」

 なにせ両思いの新婚だ、ジェレミアだって邪魔をする気はない。

 だが、ノウははっきり否定した。

「フラッド様とお出かけするのも楽しいです。でも、お義母様ともご一緒したいです」

 熱心に言われれば、拒否する理由などない。

 通り一遍の喪が明けても、息子は帰ってくるわけではない。

 むしろ、どんどん周囲からは忘れ去られていく。

 せめて自分だけは覚えていようと、黒いドレスばかりを仕立てたが──

「……そうね、じゃあ、まずは仕立屋ね」

 どんな服装をしていたって、息子はいないし、口さがなく言う者はいるし、時は流れていくのだ。

「ずっと黒服で、今あるのは古いものばかりだから。ついでにあなたの春服も仕立てられるし」

 ジェレミアの言葉に、ノウがぱっと表情を明るくする。

「お義母様は美人ですから、きっとどんなドレスも似合うでしょうね」

 他の者なら世辞だと一笑に付すところだが、この娘は本気だから嬉しいが困る。

「それから──あの子と行った場所にも、行っていいかしら」

 珍しくも躊躇いながら口にすると、虚を突かれた表情をしたのは一瞬で、勿論です、と力強くうなずいてくれた。

 私的にあちこち回った数は少ないが、視察がてらであれば数多くある。

 あちらこちらで過ごしたささやかな思い出も、同じくらいに。

「お義母様がお嫌でなければ、その時、昔のことも教えてください」

 苦しい過去を抱えているからこそ、ノウはそっと寄り添ってくれる。

 ジェレミアは声が震えないよう気をつけながら「ありがとう」と返した。   



 帰宅したアルフラッドは、当たり前のようにノウを抱き寄せて、朝と同じように口づけを送る。

 だが、恥ずかしさが頂点に達したらしく、ノウは腕の中から逃亡してしまった。

 そして落ちついた先は──

「……あなたね、浮かれるのはわかるけど、ほどほどになさい」

 飛びこんできたノウを抱きしめたジェレミアが、呆れ顔を隠しもせずに注意する。

 嫌がっているわけではないが、誰も彼もが見ている前で何度も、というのは、まだ羞恥心が勝るのだろう。

 そのとおりといわんばかりにこくこくと頷くノウに、配慮のない男よね、と頭をなでてやれば、嬉しそうにはにかんだ。

 一部始終を見たアルフラッドが、対応の差に少なからずショックを受けたらしいが、知ったことではない。

 今までは二人に遠慮していたのだが、その必要もなくなったのだ。

 二人の恋路を邪魔するつもりはないものの、自分だって娘をかわいがりたい。

 そういう意味では、ジェレミアのほうが同性の分、優位と言ってもいいだろう。

 ふふん、と笑みを浮かべてみせて、年が明けるのを楽しみにしている現金な自分に、少しだけ苦笑した。



名前の由来一覧

 今作はほぼすべて「ウイスキー」からとりました。


ノウ・ブーカ、アルフラッド

 「ブッカーズ」生みの親は六代目「ブッカー・ノウ」七代目は「フレッド」

ジェレミア、クレーモンス

 ジム・ビームの生産地はケンタッキー州「クラーモント」製造者は「T・ジェレマイア・ビーム」

エリジャ

 バーボンの生みの親「エライジャ・クレイグ牧師」


メルクス「メーカーズ・マーク」

ヴィールト「ワイルドターキー」

ラフィー「ラフロイグ」

ハーバル「I.W.ハーパー」

テム「アーリータイムズ」

ナディ「カナディアン」

オーヘン「オーヘントッシャン」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
web拍手
 設置してみました。押していただけると励みになります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ