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仮初めの終わり

 5000文字ありますので、お時間ある時にでも……

「ただいま。……どうした? 体調が悪いのか?」

 帰宅したアルフラッドを出迎えたら、開口一番にそう言われ、ノウは流石の観察眼だと舌を巻く。

「いえ、元気です。ただその、久しぶりで、緊張して」

 緊張しているのは本当だからだろう、アルフラッドはあっさり信じてくれたようだ。

 ただ、緊張の理由は邸の玄関で出迎えたからではないのだけれど。

 今からこの調子では心配性の彼にすぐ寝ろと言われそうで、しゃんとしなきゃと気合いを入れる。

 視界の端でヒセラを見ると、頑張りましょうというような表情だった。

 その後の夕食では、久々の三人そろっての夕食ということで、料理長がはりきってくれた。

 ジェレミアとの会話も日中はあまりできていなかったので、緊張していたことなどすっかり忘れ、大いに楽しい時間をすごせた。

 久々に仕事をしたアルフラッドの話を聞き、ジェレミアは惰眠を貪っていたらメイド頭に怒られたとぼやき、ノウが使用人に礼を告げたと言えば、二人とも微笑ましく聞いてくれる。

 ご機嫌で私室にもどったノウは、そこに用意されていたものを見て、頭から抜けていたことを思い出す。

 幸い部屋には自分一人なので、赤面しようがなにをしようが、見咎められることはない。

 あとで冷静でいるためにもとさんざんじたばたしてから、意を決してそれを手にとった。

 思った以上に葛藤の時間が長かったらしく、夫婦の寝室へ入れば、そこにはアルフラッドがすでにいた。

 以前と同じようにソファでくつろいでいた彼は、ノウの気配に勘づいていたのだろう、近づいた時にはグラスの中味を空けていた。

「書類仕事は疲れるな」

 苦笑いをして肩を回す姿に、小さく笑ってしまう。

 それでも投げだしたりはしないのだから、領主として真面目だと思う。

 管財人にまかせきりの者もいるし、ここならジェレミアもいる。

 サボろうと思えばいくらでもできることだろう。

 むいていないと言いながらも実直な姿は、ノウが好きなところのひとつだ。

 ──むしろ、嫌いなところが浮かばない、とふいに気がつく。

「どうした?」

 ぼうっと立っていたからだろう、アルフラッドが心配そうに近づいてきた。

「いえ、それでも仕事をきちんとこなすところですとか、アルフラッド様の好きなところがいっぱいあるなと思って」

 ちょうどいいタイミングで問われたせいで、とりつくろうこともせず、素直に答えてしまう。

 数秒後、己の発言に慌てて様子を伺えば、珍しく頬を染めて口もとを押さえていた。

「……嬉しいんだが、突然言われると加減ができそうにないな」

「加減、ですか?」

 なんのだろうと首をかしげようとした時には、抱きしめられていた。

 許可もとっていないし、いつもより抱きしめる力も強い。

 なるほどこれが加減かと納得するよりも、気恥ずかしさが勝ってしまう。

 それでも嫌ではないので、おずおずと自分からも腕を動かした。

 アルフラッドはひょいとノウを抱きあげると、ベッドまで数歩の距離を運んでしまう。

 丁寧にシーツの上に降ろされて、冷えないようにと声をかけてくれる。

 おそらく、触れた時の身体の冷たさを気にしたのだろう。

 いつもならおとなしく中にもぐりこむのだが、今夜はそういうわけにはいかない。

 大きな灯りを消してからもどってきたアルフラッドは、ベッドの上にすわったままのノウを見て怪訝そうにした。

「あの、……お話が、あって」

「そうなのか、なら、椅子に──」

「いえ、あの……お嫌でなければ、ここで」

 寝台を軽く叩いて示すと、アルフラッドは聞こえない小声でなにか呟いたあと、わかった、とうなずいた。

 かくしてベッドの上でむきあってすわりあう状況ができあがる。

 他方から見れば滑稽だが、これからすることを考えれば、椅子よりいいと思ったのだ。

「昨日、お屋敷について、みなさんに出迎えてもらった時」

 ゆっくりと話しはじめると、静かに聞いてくれる。

 うまく要点をまとめられなくて、とても遅いのに、せかすことは一切ない。

 こういうところも好きな部分だと思いながら、なんとか言葉をつくっていく。

「帰ってきたと、思ったんです。いつのまにか、ここが、実家より、家だと思うようになっていることに、気づきました」

 結局、昨夜感じたことを、そのまま伝えることにした。

 アルフラッドはそうか、と小さく相づちを打って、嬉しそうに微笑む。

「わたし、できればずっと、ここにいたいです」

「……いや、いなくなられると困るんだが」

 今度はいくらか焦りの響きが含まれた。

 すぐさま声をかけてくれる優しさに嬉しくなるが、甘えてばかりはいられない。

「だから、ちゃんと、アルフラッド様と夫婦だと……言いたいです」

 恥ずかしかったがちゃんと顔を見て告白すると、いくらか驚いた様子のあと、さっきよりも喜色をあらわにする。

 今までずっと、正式な夫婦だと認められず関係性を保留にしていた。

 アルフラッドは曖昧な自分につきあって、その状態でも許してくれていた。

 けれど、今夜こそ微妙な関係に終止符を打ちたい。

 ノウの口から夫婦になってくれと言えば解決する問題だが、自身がそれだけでは嫌だと思ってしまった。

 だから──考えた結果、

「夫婦だと思えるように、…………わたしの、傷を、見てもらえませんか」

 ぎゅっと胸の前のシャツをにぎりしめて、かすれた声で懇願した。

 今まで隠していたそれを見せて、隠すことなどなにひとつなくなれば、堂々と妻を名乗れると思うのだ。

 ノウの提案を、しかし彼はすぐには受けなかった。

 きっとアルフラッドは、そんなことをしなくてもと言いたいのだろう。

 だが、それではいつまでも、もしかしたらという不安が拭えないままだ。

 ノウが自信を持って、己を妻だと認識するためにも、彼に傷を見てもらって、拒絶されない事実がほしかった。

「俺はいつでも構わないんだが……無理をしていないか? 顔色が悪い」

 眉を下げた彼の様子からして、かなり青白い顔なのだろう。

 にぎりしめた指先は感触がないし、身体中がひやりとしているのは、寒さのせいではないはずだ。

「でも、無理をしないと……ずっと、このままです。それは……いやなんです」

 傷を見せて嫌悪される不安は、大分薄れている。

 それでも自分ですら見たくない代物だから、どうしたって手が震えるのだ。

 ここで甘えてしまえば、またずるずると先延ばしにしてしまう。

 曖昧な関係にしたのは自分なのだ、だから、終わらせる勇気だって自分で出すしかない。

 アルフラッドは逡巡したが、最終的にはわかった、とうなずいてくれた。

 ノウは震える手で、身につけている夜着のボタンを外していく。

 かじかんだようになってしまったせいで、時間がかかってしまったが、アルフラッドは茶化すことなどなく待っていてくれた。

 今夜は男性用のズボンは履いていない。

 長袖で丈の長い夜着のボタンを腰のあたりまで外し、肩から降ろせば──

「……」

 顔が直視できずに喉元を見ていたのだが、こくりと嚥下されたのが見えた。

 下に着ていたのは、日中ヒセラたちに選んでもらった下着だ。

 ノウの色である淡い青緑の地に、繊細なレースが縁取りされ、胸の下から流れる薄布は色は同じだが透けている上に、まんなかから分かれている。

 おかげで、動かなくても臍が見える状態だ。

 頼りないレースの肩紐以外、腕を覆うものはなにもない。

 従って、腕に走る傷は丸見えで、左上半身に存在する傷も透けた布からありありとわかってしまう。

 閨事の時に使うもので、セットで購入したらしくずっと前からクローゼットに入っていたのだ。

 こんなものがあったなんて、ノウはこの時まで知らなかったのだが、中味を把握しているヒセラたちにより、負担になると隠されていたらしい。

 隠してしまいたいが、それでは傷が見えなくなる。

 恥ずかしさにいたたまれなくなりながらも、両手は横に置いて、ひたすらアルフラッドの反応を待つ。

 ノウの中では数十分、実際は数分後、アルフラッドはそっとノウを抱きしめた。

 震える肩に掛け布をかぶせてから、頬に手を添えて視線を合わせてくる。

 おずおずと顔を窺うと、照れた顔がそこにあった。

「──まさかこういう格好だとは思わなくて、心底驚いたが、よく似合う、綺麗だ」

 はじめに出てきた言葉は、扇情的な下着を身につけたノウへの感想だった。

 ノウのほうこそ驚いたが、彼の表情を見るに、嘘をついている様子はない。

 本当に、傷はなんとも思っていないのだと、すとんと腑に落ちた。

「傷があると……似合うとは、あまり、思えませんけれど」

「俺はそう思わない。ただ……冷えそうだから、着て欲しいが着て欲しくないな」

 痛むこともあるだろうからと、出てくる言葉はノウを慮るものばかりだ。

 だからまず掛け布を羽織らせたのだろう。

 呆気ないくらい普通の態度、気にしていないそぶり。

 今まで悩んでいたのはなんだったんだと思うくらいだが、彼が最初から言っていたとおりでもある。

 遠回りにはなったが、はじめに見せて同じ対応でも、信じ切れなかったことだろう。

 ゆっくりと月日を重ねていって、アルフラッドに想いを寄せているからこその今だ。

 そう考えてみれば、時間がかかったことも必要だった気がしてくる。

 気の抜けたノウは、ちらりと自分の姿を見て、呟いた。

「今までしたことがない格好なので……正直、心許ないです」

 綺麗な下着だとは思うのだが、どうにもすーすーする。

 正直に告げると、防御力も低そうだしな、とアルフラッドらしい感想を告げてきた。

 寒いことも事実なので、腰に落としていた長袖を着直して、ふうと息をつく。

 アルフラッドに促されて横になると、当たり前のように抱き寄せられた。

「この部屋のベッドはひとつに戻すか」

 たしかに毎晩一緒に眠っているので、ふたつあっても片方は未使用状態だ。

「何度も運ばせるのは申し訳ないような……」

 軽い荷物ではないし、ドアをくぐるのだって一苦労だ。

 だがアルフラッドは「それなら俺が運べばいい」とあっさり返してくる。

 流石に一人では難しいと思いたいし、主に運ばせるなんて本人がよくても周りが止めそうな、……いや、この邸の者なら任せそうでもあるか。

「勿論、体調の悪い時や遅くなる夜もあるから、毎晩は難しいだろうが、可能なかぎりこうしていたいからな」

「それは、わたしも……です」

 くっついて眠る心地よさを知った今は、手放すなんて考えづらい。

 まして今夜からは、こちらから望んでもいい……はずだ。

 今までは遠慮してできなかったが、おずおず手を伸ばして胸もとの彼のシャツをそっとつかんでみる。

 どうした? と甘く問いかけられて、なんとなくですと答えると、嬉しそうにそうかと頭をなでられた。

「なあ、ノウ、これで堂々と両思いだと言っていいんだよな?」

 薄明かりの中でも目が慣れて、これだけ至近距離ならば顔も見られる。

 恥ずかしさに頬を染めながらも、はい、とうなずいた。

 夫婦と言えばいいのに、アルフラッドは両思いだとか、恋人だとか、表現にこだわる。

 順番を飛ばしたゆえの配慮なのだが、なんだか照れくさくて、いつもうまく返事ができない。

「両思いなら──キスをしてもいいか?」

 頭をなでていたはずの手は、いつのまにか頬を滑り、顎にかかっていた。

 熱を持った目に射貫かれたようで、耐えられないのに視線を外せない。

「──は、は…い」

 どうにかかすれた声で了承したものの、我慢できなくなって目をつぶる。

 その数秒後、唇に柔らかなものが触れた。

 はじめての感触に、いくらかして口づけられたのだと察する。

 そうなるとさらに目が開けられなくなってしまった。

 けれど、触れるだけのそれが何度か続くと、いくらか慣れてきて力が抜けてくる。

 唇を通して気持ちが伝わってくるようで、とてつもない幸福感があった。

 何度目かで顔が離れた気配を感じ、そろりと目を開ける。

 今までにないくらい間近にアルフラッドの秀麗な顔があって、また目を閉じたくなるが、幸せそうな顔をさせているのが自分だとわかると、見ないのも惜しいと感じてしまった。

 おそるおそるノウからも手を伸ばして、先ほどを思い返しながら、アルフラッドの唇に己のそれを軽く合わせた。

 はじめてのことで目測を誤り、微妙にズレたが、ご愛敬だろう。

 とてつもなく恥ずかしいが、それ以上に──

「……幸せです」

 胸がいっぱいで、想いのままに告げる。

「俺もだ」

 すぐに答えて、抱きしめてくれる。

 これから毎日こうしていられるなんて、幸せすぎてどうにかなってしまいそうだ。

 手にした場所を失わないよう、領主の妻として認めてもらえるよう、今後はもっと頑張ろう。

 だってここは誰にも譲りたくないのだから。

 傷はきっといつまでも、嫌なものであり続けるけれど、それでもここで生きていきたいから。

「フラッド様、……好きです」

「……ああ、俺も愛してる」

 必死に紡いだ言葉に、同じだけの言葉を返される。

 まだ足りないと再び口づけを求められ、拒否する理由もなく自分から顔を寄せる。

 飽きもせずに何度も繰り返して、かと思えば抱きしめられて、自分のものではない鼓動を近くに聞いて──

 明日からの新しい、けれど大きくは変わらない日々に期待をしながら、眠りについた。



 ──その後、年が明けてすぐ、クレーモンス領では領主の結婚式が行われた。

 仲むつまじい様子に領民は喜び、数年後には子供も産まれ、辺境の地は穏やかに、平和に続いていった──

 これにて本編は完結です。

 長々とおつきあいいただきありがとうございました!


 ……ちょっとだけ番外編がありますが、たいしたおまけではないです。

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