久しぶりの「我が家」で
いつものように目を覚ましてから、ゆっくりと起きあがる。
すっかり見慣れた夫婦の寝室──だが、アルフラッドの姿はない。
眠っていたあとはあるものの、と首をかしげかけて、はたと気づく。
慌ててそばにあった時計を確認すれば、朝食の時間すらすぎていた。──つまり、思い切り寝坊したのだ。
いくら疲れていたと言っても、こんな失態ははじめてだ。
普通なら誰かが起こしにくるところだが、疲れているからとみんな気を遣ってくれたのだろう。
ありがたいことだしおかげで馬車酔いも治っているが、寝坊への罪悪感は拭えない。
アルフラッドかジェレミアか、どちらにしろ仕事へ行く時間まで間がない状態だ。
ジェレミアなら、久しぶりに顔を見るのだ。見送りができないのはとても困る。
急いで隣室へむかい着替えと身支度をすませて、自分ですべてできてよかったとしみじみ思う。
部屋を出て小走りに進んで行くと、ちょうどむこうがわからアルフラッドが歩いてきた。
「フラッド様……!」
足を止めると、ぶつかる心配をしたのか、手をさしだしていた彼が少し所在なげな顔をした。
「そろそろ起こそうと思ったんだが、ちょうどよかったな」
「わたし、すっかり眠ってしまって……」
「ああ、疲れていただろうし、それはいいんだ」
やはり気を遣ってくれていたのだ。
どこからか出てきたナディが、さりげなく後ろに回り、失礼しますと断って髪の毛にふれる。
……どうやら、寝癖があるらしい。あせっていたので気づかなかった。
「ただ、出る前に顔は見たくて」
連絡があったために、今日はアルフラッドが仕事に行くことになったという。
そうでなければノウを起こさないつもりだったらしい。
当然の責務なので、行かないでくれと言うつもりはないし、邸にきた当初のような不安もない。
だが、一週間あまり昼夜を問わず共にいたので、半日以上不在になる、というのが寂しくなってしまう。
「わたしも、行ってらっしゃいませが、言いたかったので、起きられてよかったです」
困らせたくはないので、偽りのない言葉を乗せた。
アルフラッドは嬉しそうに笑って、頭をなでてくれる。
「そんなに遅くならないと思うから」
「はい、いってらっしゃいませ」
まだ跳ねているらしい髪の毛をなでて、楽しそうに笑う。
気恥ずかしいがくすぐったい嬉しさもあり、止めるに止められない。
使用人が微笑ましく遠巻きにしていることに気づかないまま、ノウは玄関までアルフラッドを見送った。
「──ああ、起きたの」
扉が閉まってしばらくすると、眠そうなジェレミアがやってきた。
ずっと仕事をしていたから、今日は心ゆくまで惰眠を貪ったらしい。
「ちょうどいいわ、一緒に朝食にしましょう」
一般的な朝からは大分すぎているが、指摘するほど野暮ではない。
久々の義母との食事は是非ともしたいところなので、はい、とうなずいた。
そう待たずに準備ができましたと声がかかる。
あらかじめ準備していたのだろうことは、馬車酔いと二日酔いを考慮されているとしか思えない、胃に優しそうな献立で確信に変わる。
懐かしい邸の料理長の味に、何度目かの帰ってきた、という感覚を噛みしめる。
実家の味も好きだけれど、今の自分にとって「家の味」はもうここのものだ。
好みも把握されているし、味の濃さも配慮してくれているのだろう。
表だって口にしたことはないものの、今ではほとんどの料理がちょうどいい味になっている。
食事中の様子から察してくれたのだろう。
「ラーネ村での様子は、食後にしましょう」
ジェレミアの提案によって、食事のあとは日当たりのいい部屋での会話になった。
といっても、仕事めいた部分はすぐに終わってしまう。
ノウの感覚からして、村の中央での建築は難しそうであることや、匂いの問題。
さらにアルフラッドが口にしていた村人との摩擦の懸念などを伝えると、やっぱりね、と返ってきた。
長く領地をおさめてきた彼女は、実際に行った日数は少なくとも、数値から予測できていたのだろう。
「……でも、みなさん親切にしてくださいました」
身分を偽っての滞在ではあったが、湯治客という意味では貴族も平民も同じことだ。
閉鎖的という意見ももっともなのだが、あの村はそのままでもいい気がする。
迂闊に手を入れれば、なにもかもが崩れそうな気がするのだ。
「まあ、お湯を運ぶのもアリだし、のんびり考えたほうがよさそうね」
ジェレミアも当然のように知っていたらしく、ちょうどいいと参考資料を求めておく。
「いつか、お母様とも行ってみたいです」
アルフラッドと三人で、というのは難しいだろうが、どちらかとなら可能だろう。
残った一人に仕事を押しつけてしまうことになるから、心苦しい面はあるが。
ノウの言葉に、ジェレミアは少し驚いた顔をしたが、すぐ愉快そうに笑ってみせた。
美しい微笑みは、久々に見るとどきどきしてしまう。
「そうね、それもいいわね」
行くとしたら春かしら、と具体的に告げてくるあたり、社交辞令ではなさそうだ。
「……ものすごく悔しがりそうだから、効果的に使いたいところだけど」
ぼそりとノウには聞こえないように呟いて、とはいえ新婚にはかわいそうだと、当面はやらずにおこうと思うジェレミアだった。
そんなことを知らないノウは、警備の問題はあれど、女性だけで行くのも楽しそうだ、と呑気に考えていた。
「当然仕事も勉強もなしよ」と言われたので、午後はまるまる自由時間になった。
ノウは自室へもどり、窓を開けて──改めて室内を確認する。
留守中も掃除はしてくれていたのだろう、どこにもホコリひとつついていない。
寝具も昨夜は使用しなかったが、ちゃんと新しいものにとりかえてある。
クローゼットの中のドレスもよく使うものを前にしてあるし、少しずつ増えた装飾品もぴかぴかの状態で、欠けることなくおさまっている。
「ノウ様~もうじきお医者様がみえます~」
「え、ヒセラさん? お休みのはずじゃ……」
ノックのあとに入室してきたのは、昨日まで一緒にいたヒセラだった。
朝は見かけなかったので、てっきり休みだと思ったのだが。
「ほとんど休んでいたようなものですし、午前だけお休みをいただいたんです~」
ニコニコ笑顔の彼女は、疲れている様子はない。
心配だが、いてくれて心強い事実もあり、無理はしないでくれと言うにとどめた。
ちょうど別館に診察にきていたという医師についでに診てもらったが、特に問題はないと言われてすぐに終わってしまった。
湯治に行くこと自体は医師も知っていたので、今後も行くといいでしょう、と薦めてくれさえした。
医師を見送ったノウは、ヒセラに頼んで使用人たちのところへ行く。
まずは部屋を整えてくれた者たちへ、それから花を用意した庭師、次は厨房、……帰りましたという報告とともに、不在時にも気を遣ってくれたことへの感謝を伝えていった。
誰も彼も当然のことをしただけです、と答え、けれど嬉しそうにありがとうございますと告げてくれる。
邸にいるほとんどすべての使用人に声をかけて、部屋へもどればすぐにお茶が用意される。
「二人も一緒に、お茶してくれませんか?」
本来は使用人と同じテーブルで、というのは窘められる行動だ。
わかっていて、それでも口にすると、二人は内緒ですよと言って席についてくれる。
「留守の間の邸は、どんなふうでした?」
「べつに、大差ないですよ。ただ、ジェレミア様お一人でしたから、静かでしたね」
アルフラッドやノウが騒がしいわけではないが、彼女一人では会話する相手もかぎられてしまう。
黙々と仕事に励み、帰宅すれば果樹を世話し──という生活だったらしい。
ナディはアルフラッドと共にここへきたので、以前のジェレミアをよく知らない。
けれど、ノウたちがいる時よりは、明らかに退屈そうにしていた。
「三人いるのが当たり前になりましたから。正直ちょっと、寂しかったです」
ナディにしてみれば何気ない言葉だったのだろうが、ノウにはとても嬉しかった。
感じているのが自分だけではないのだとわかることが、これほど暖かい気持ちになるなんて。
「わたしも……帰ってきた、って思ったんです」
ノウの言葉を聞いて、二人とも当然ですよ、と笑ってくれる。
「あの、それで、……その、とても変な相談をしたいんですが……」
信頼できる二人になら、勇気を出せば口にできそうで、何杯めかのお茶を飲んでから言葉にする。
主のただならぬ様子を察したらしく、二人とも真剣な表情になった。
ノウは頬を染めながら、二人におずおずと相談をはじめた──
すいませんあと一話続きます……