狭い寝台
しばらくヒセラと喋っていると、二人がもどってきたので、彼女は夫と共に部屋へもどっていった。
大浴場は言葉どおりかなり広く満足したらしい。
「空いている時間を聞けばノウも入れるんじゃないか?」
時間帯によって男湯と女湯を分けているそうで、今回の宿泊客は女性が少ない。
貸し切りを使用しているようなら、たしかに大浴場も使えそうだ。
正直興味はあるが、万一誰か入ってきたらと思うと、のんびり浸かれそうにない。
ひとまず保留にして、朝慌てないようにと今のうちにできることをしておく。
アルフラッドの分とまとめて洗濯物を袋に入れて、わかりやすいところに置く。
これを出せば、宿が回収して洗って返してくれるわけだ。
「移動で疲れているだろうから、すぐ休んだほうがいいな」
あまり自覚はないのだが、起きていてもすることもない。
そうですねとうなずいて、寝台のほうに移動して、あ、と声を上げてしまった。
配置されていたのは、一人用のベッドが二つだったからだ。
考えてみれば、誰もが夫婦でくるわけではない。同僚や親子だってあるだろう。
だから寝台が一人用なのは当然のことなのだが、今までずっとアルフラッドと一緒に眠っていたため、ここでもそうなると頭から信じていた。
けれどこの大きさでは、二人で眠るには狭いだろう。
傷病兵を受け入れていた過去があるからか、療養のためだからか、寝台は長身の彼でも問題なく横たわれそうではあるのだが、一人用には変わりない。
もともとは一人で眠っていたのに、なんとも贅沢になったものだ。
自分自身に苦笑いしそうになりながら、アルフラッドにどちらで眠るか問いかけようと顔を見る。
「……ノウ、狭くなるが、一緒に寝ないか?」
先に喋りはじめたアルフラッドの言葉に、言うつもりの言葉が溶けて消えた。
二つ返事でうなずきかけたが、それではいけないと思い返す。
「でも、フラッド様がつらくないですか?」
「は? なんで知っ……」
「だって、いつもより狭いベッドですから、わたしがお邪魔したら窮屈でしょう?」
「あ……あー……いや、それは、問題ない。野営の時は寝袋だし、詰めこんで寝たこともあるからな」
馬車の中で一晩過ごすことになり、足の踏み場がないこともあったという。
寒さに耐えるための措置でもあったのだが、そのあたりは伏せたのでノウは気づかない。
身体を折り曲げたまま寝たこともあるというが、流石にさせたいとは思わない。
「いつもみたいに眠る分には、問題ないぞ」
だから大丈夫だ、と断言するので、それなら、とお邪魔することにした。
シーツの洗濯も毎日ではないため、日ごとに寝台を変えればちょうどいいだろうとも言われた。
べつにノウはそこまで神経質ではないし、実家でも毎日交換できなかったくらいだから、気にしないのだが。
いつものように腕の中に抱きこまれるが、普段とは違う匂いがする。
ラベンダーの香りはすっかり消えて、代わりに硫黄の残り香がしてくるばかりだ。
「温泉はどうだった?」
「とても気持ちよかったです」
低い声に問いかけられて、すなおに答えると、よかった、と安堵しているようだった。
独特の匂いがあるからと気にしていたらしい。
「なんだかいつもより……暖かい気がします」
いわく、筋肉のせいでアルフラッドはわりと暖かいほうだが、ふれた肌はいつもより熱い。
思わずシャツ越しに腕にふれてみてしまう。
アルフラッドは楽しそうに笑いながら、疑問に答えてくれた。
「温泉のおかげだろうな、普通の風呂より暖まる」
「そうなのですね」
どういう理屈かはわからないが、おかげで邸より寒いはずなのにあまり感じない。
「フラッド様は暑くありませんか?」
ヒセラの言っていたことを思いだして、急に心配になった。
ノウにはちょうどいいが、となると彼には違うのではないだろうか。
「心配しなくていい、薄いものを着ているしな」
それにわざと、掛け布をノウのほうにずらしてもある。
だからアルフラッドには少し風が入るが、ノウには感じられないはずだ。
体感温度の違いは昔から知っていたし、彼女には口が裂けても言えないが、共寝する機会を逃すわけにはいかないと、そのあたりはばっちり対策ずみなのだ。
下心にまったく気づいていないノウは、無邪気に喜んで暖かい胸もとに顔を寄せる。
ぽかぽかしていて、とても気持ちがいいから無意識だった。
「……明日から、なにをしたら、いいんでしょうか」
仕事とはいってもあってないようなものだ。
「のんびりするのが仕事のようなものだが……俺もノウも、苦手なところだな」
そういう意味では似たもの同士かもしれない。
「とりあえず、一日三回くらい温泉に入るといいんじゃないか?」
「そんなにですか?」
食後に休んでから入れば、それだけで結構な時間を使う。
しかし、いくら自然に沸いてくるとはいえ、頻繁すぎるのではないだろうか。
だが、驚くノウに対し、アルフラッドはここでは自然なことだと説明してくれた。
村の住人のためにつくられた共同浴場はほぼ一日中入れるのだが、一日二度以上入る村人が多いという。
井戸端会議の代わりに、温泉に浸かりながら世間話に花が咲くらしい。
余程の疾患がないかぎり、何度入っても悪影響はないそうで、むしろ傷の治療なら、回数を多くしたほうがいいのだとか。
何度入ろうと料金に変化はないし、貸し切りだから遠慮せずに使うほうが、むしろ宿も喜ぶだろうと言われた。
「なにせ、いらなくてもどんどん沸いてくるからな、使ったほうが得だろう」
源泉を惜しみなく使えるのはいいことだが、多すぎても困るらしい。
真水にも混じっているため、生活する面でも大変なのだ。
おかげで虫が少ないが、育てられる作物にも制限が出たりする。
なにごとも一長一短というわけだ。
「朝食時間はずらせないから、食べてから一風呂浴びて、昼食を挟んで散歩して……昼寝でもすればあっというまだろう」
「とても贅沢ですね……」
たしかに一日すごせるが、結局なにもしていないのと同じだ。
「お互い休暇を過ごす練習だと思おう」
笑いながらそう言われて、つられて笑みを浮かべてしまう。
正直、躊躇いはあるが、ジェレミアはノウに休んでほしくてこの提案をしたはずだ。
年が明ければ喪も明ける、そうなれば、今のように邸に引きこもってばかりもいられない。
社交シーズンに都へ行くかどうかはわからないが、行くにしろ留守番にしろ、することはたくさんあるだろう。
休むことを頑張るというのもおかしな話だが、今しかできないのだ。
こうしてアルフラッドと気楽に過ごせる機会も減るかもしれない。
貴族の自覚に乏しい二人だが、領主とその妻として動く時にはそうも言えない。
以前なら申しわけなくて隣に立つことを悩んだが、今は違う。
堂々と立てるとは言えないが、誰かに隣を譲りたいとも思えない。
だから、つとめはきちんと果たしたい。
せめてまわりの者から、領主の妻として及第点だと認められたい。
けれど今は、そういうことを考えずに、二人きりを満喫したかった。
「散歩は……一緒にしてくれますか?」
問いかけると、当然だろうと返ってくる。
間髪入れずに答えてくれて、そのことがとても嬉しい。
「俺もほとんど知らないからな、二人で探検しよう」
「はい。たのしみ……です」
常より高い体温のせいか、どんどん眠気が強くなってきた。
眠っていいぞ、という心地よい声にうなずいて、おやすみなさいと舌っ足らずに呟いて、眠りに落ちた。
なにがつらいと勘違いしたのかって話。