初の温泉
「ああ、予約のお客さん? ぎりぎり夕食に間に合うから、先に食べるといいよ!」
広場で落ちあったヒセラの夫、サクタスの案内で宿につくと、威勢のいい声で出迎えられ、ついでそう言われた。
食事は食堂でとるものらしく、時間も決められているのだという。
先に手続きをしたり部屋にもどると遅くなってしまい、食器を片づけてしまうらしい。
厨房の手間を考えると申しわけないので、それなら、と提案に乗ることにした。
一日中馬車に乗っていただけではあるが、お腹は空いている。
案内された食堂はそれなりの大きさだったが、旅の間の宿よりは席の数が少ない。
ノウたちの他には少し年上らしい男性たちと、老夫婦がいた。
カウンターでおのおのの分を受けとる方式らしく、盆の上には一人前の食事が並べられていた。
「あんたたちはこっちね!」
厨房からの声と共に男性陣に渡されたトレイの上には、ノウたちの二倍近くが盛りつけられていた。
どうやらサービスらしいので、アルフラッドが礼を口にする。
先にきていたサクタスの食事量を見て判断されたようだ。
大きめのテーブルに四人で座って、とりあえず腹ごしらえすることにした。
料理は旅の間にも見たような、ごく普通の家庭料理で、思ったより味はいい。
宿泊費用も割高なだけあって、そこそこの客層を狙っているからだろう。
ノウとヒセラには少々もてあます量だったが、そこは男性陣が平らげてくれたので問題なかった。
「ごちそうさまでした」
盆をカウンターへ返却して、改めて受付で手続きをすませる。
宿の女将によって、宿の説明も簡単に受けた。
「先に来てた旦那さんに教えたけど、おさらいね」
まだ開業して間もないはずだが、女将の説明には淀みがない。
聞けばもともと別の宿を開いていて、今回の宿は二つ目なのだという。
だからかと納得して、説明を頭に入れていく。
といっても、難しいことがあるわけではない。
食事や掃除、洗濯ものを出す時間についてや、一番の売りである温泉のことなど、女将は簡潔に伝えてくれた。
「まあ、わからなかったら聞いてくれればいいから」
そうしめくくられて、アルフラッドに鍵を渡す。
部屋はヒセラ夫婦の隣なので、案内は断って自分たちだけで進んで行った。
「……結構広いんですね」
中へ入っての第一声はそれだった。
旅の間に泊まった宿も安宿ではなかったはずで、同じくらいのランクに見える。
寝室はドアを開けてすぐではなく仕切りのむこうがわだし、小さいが水場もついている。
一通りの家具もそろっているし、質も決して悪くない。
「長期滞在となると、住むようなものだからな」
とはいえ、高いだけあるな、とのアルフラッドの言葉に、そうなのか、とぼんやり思う。
荷ほどきは一人でできると手伝いを断ったので、ノウは自分で着替えなどを出して行く。
つくりつけのクローゼットにしまって、持ちこんだ本などは机の上に置かせてもらった。
それから着替えを手にしたところで、ちょうどよくノックが響いた。
「準備できました~?」
顔を覗かせたのは勿論ヒセラだ。
「はい、大丈夫です」
その後ろにはサクタスもいて。四人で移動する先は浴場だ。
この宿には大浴場と、貸し切りにできる小さなものがいくつか存在する。
現在宿泊しているのは、ノウたちを含めて合計四組。
借り切り風呂も四つなので、各組が独占できる状況だ。
宿のほうでもそう言ってくれて、かち合わないよう、あらかじめ入る場所は指定されている。
「俺は大浴場を使うから、気にせずのんびり入ってくるといい」
アルフラッドはそう言い、サクタスも隣でうなずくと、二人は大浴場へと消えていった。
ノウははじめての温泉なので、まずヒセラに使いかたを教わることにする。
「まあ~そんなむずかしいことはないですよ~」
中に入ると脱衣所があり、そのむこうは石で床を張った浴場が続いている。
すべりやすいので気をつけてとか、入る前はお湯を頭や肩にかけてからとか、いくつかの注意を受けた。
服を脱ぐ前に裸足で中へ入り、お湯の温度を確認する。
「熱い……ですね」
「これくらいなら~入れば平気になると思います~」
それでも熱かったらあれを、と示されて横を見ると、洗い場の端にはいくつもの木桶が置いてあった。
中には冷ましたお湯だったものが入っていて、どうしてもの時はこれで埋めればいいらしい。
放っておくとどんどん熱めの源泉が流れてくるが、それは木の敷居で止めることができる。
あらかた把握できたので、ヒセラには外に出てもらい、いよいよ入浴することにした。
念のため脱衣所にいようかと申し出てくれたが、流石に申しわけないので辞退した。
熱かったら出ればいいだけなので、大丈夫だろう。
扉には鍵がかけられるので、誰かが間違えて入ってくることもない。
従って、傷を見られる心配もない。
ノウは言われたとおりに、まずは手足の先に十分お湯をかけ、それから徐々に身体全体へ。
最後に頭からかぶるのは難しかったので、持ちこんだ手ぬぐいを浸し、繰り返し額に当てた。
十分慣れてきたところで、おそるおそる中へ足を入れてみる。
ぴりぴりした感触に驚くが、ヒセラの言葉を信じてそのまま身体を入れてみた。
「……本当、熱いけれど平気だわ」
お湯ではこうならないだろうが、温泉だから、なのだろうか。
いつも使っているお湯より熱いはずだが、あまりそんな感じはしない。
だが、慣れないうちは長湯をするとのぼせてしまうと注意されていたので、ほどほどで出ることにした。
気をつけて歩くが、ふらついたりはしていないので大丈夫そうだ。
着替えをすませて扉を開けるが、隣はまだ使用中のままだった。ヒセラは慣れている分、のんびり入っているのだろう。
あちこちに休憩するための椅子が用意されているので、とりあえずそこに腰かけた。
宿の中くらいなら一人で歩いても平気だと思うのだが、なるべく誰かと一緒にいるように、と頼まれたからだ。
さして時間もたたずにヒセラも出てきて、二人で部屋にもどる。
アルフラッドたちはまだもどっていなかったので、水分補給をしながら待つことにした。
「かしきりのお風呂に広い部屋で~ありがたいです~」
にこにこと嬉しそうなヒセラいわく、いつも泊まっていた宿はもっと狭かったらしい。
長期滞在するために費用を削りたい者が多いため、どうしてもそうなるのだという。
しかも、掃除や洗濯、果ては食事も別料金になったりするため、安く上げようとすると、代わりにやることが増えてしまう。
水回りに関しては、このあたりは水が貴重だという理由もあるのだが、とにかく、普段の滞在時は家事の合間に温泉に入る、という感じだったらしい。
「まあ、我が家は夫の古傷できてるので~私がうごくのはかまわないんですけどね~」
「……でも、サクタスさんだって、できればのんびりしてほしいと思うんじゃないですか?」
ヒセラの夫は長く喋ることができないらしく、簡単な挨拶程度しか言葉は交わさなかった。
だが、ごく自然にヒセラの荷物を持ったり、彼女のエスコートをしたりと、気遣いにあふれていた。
そんな男性が、湯治にきて妻に仕事をさせてばかりをよしとするはずがない。
ノウの言葉に、ヒセラはぽっと頬を染めてみせた。
「そうなんですよ~だから、今回はほんとうに、ありがたいです~」
大仕事の掃除や洗濯は料金に入っているので、数日おきに宿の者がしてくれる。
持ってきた服は量産品だから、洗いかたに注文はないので、まかせてしまって問題ない。
あとはノウがあまり彼女に頼らなければ、夫婦でのんびりできるだろう。
こちらとしても、なるべくアルフラッドと二人でいたいのだし。
「でもノウ様は~気にせずなにかあったら呼んでくださいね~」
考えを読んだように言われて、どきりとしてしまう。
「男性だといいづらいコトとか~ありますから~」
「……そうね、その時は、お願いします」
だが、これといって仕事があるわけではない。
視察という名目はあるが、領主としてではないから、有力者と会う予定はないという。
あくまで湯治客として見てくるだけでいいというから、実質遊びと変わらない。
「せっかくですから~のんびりしましょう~」
のほほんとしたヒセラの声と提案があまりにぴったりで、思わず笑いながら、そうですね、とうなずいた。
熱いお風呂に入る前は、必ずかけ湯を行いましょう。
心臓に遠い場所から徐々に中心へとかけて、
できれば最後は頭からお湯をかぶってほしいですが、
難しいかたは本文中のような感じや、額だけたらいに浸すのでも、
のぼせ防止になるのでやっておいてください。