アルフラッドの過去
それから数日後、再びのパーティー。
なにせ今は社交シーズンだ、アルフラッドのように、平素は都にこない者も多いため、パーティーがひっきりなしに行われる。
日中は婦人がたの茶会もあるし、また後援者を得る機会でもあるため、名だたる楽団や劇団も集中する。
できれば観に行きたいところだが、両親が許してくれないので、パンフレットを眺めてため息をつくだけだ。
原作の小説ならなんとか手に入るだろうかと、昼間給仕係が手に入れてくれたチラシを思いだそうとするのだが──なかなかうまくいかない。
それもそのはずで、さっきから視線を感じるからだ。
父に連れ回され挨拶する合間、誰からも見られていない時を狙って、視線が合う。
相手は──アルフラッドだ。
糾弾するようなものではなく、伺いを立てるようなもので、ノウにはわけがわからない。
いや、虫のいい想像はあるけれど、そんなはずはないと即座に否定する。
けれど何度視線を逸らしても、次の時には必ずこちらを見ていて、いくらなんでも偶然とは言い切れない。
今日はエリジャのもとへ行けなかったので、そのまま中座することにした。
席を外すその前に、思い切ってノウのほうからその姿を探す。
うまくダンスは逃げているらしく、あまり変わらない場所に彼はいた。
ふ、と視線が合い、そして、微かにうなずいたように見えた。
ノウは静かに扉を開け、廊下を進んでいく。
しばらく待つべきかと、壁に置かれた巨大な花瓶をしげしげと眺めてみた。
何人でなら持てるのかと首をかしげるほど大きな陶器のそれには、これでもかと花が活けてある。
花瓶の模様も派手なのでおかしくはないが、好みかと問われると答えられそうにない。
「屋敷にもあるんだが、こういうのは貴族の屋敷によくあるのか?」
後ろからの声に、ゆっくりふりむいて首をかしげた。
「見栄えがいいからではないでしょうか。大きなものはやはり高価ですし、それが置けるだけの広さがある、という証拠にもなりますし……」
たとえばノウの住む屋敷にこれを置けば、ちぐはぐになってしまうだろう。
客人用の大広間ならなんとかなるだろうが、こんな広さの廊下はない。
それに、生花を綺麗に活けるのも一苦労だ。
ノウの言葉になるほど、とうなずいてから、いつものように腕を出す。
「ここの庭も出ていいと聞いておいた、あっちの扉からなら構わないそうだ」
「…………そう、ですか」
最早出ないという選択肢はないらしい。
連れられるまま外へ行くと、花の残り香が強かった。
この屋敷の主は、花が好きなのだろう。
ノウも花は好きだが、少々匂いがきつい気がした。
「……正直、今夜は声がかからないと思っていました」
ベンチに落ちついてすぐ呟くと、どうしてだ? と問いかけられる。
本気でわかっていないようなので、しかたなく口を開いた。
「先日の話を聞いて、きっと嫌になったと……」
面白くもない不幸話を聞かされたのだ。
当然だろうと思ったのだが、アルフラッドは首をふった。
「嫌になどなっていないし、あの時も言ったがつまらないとも感じていない」
きっぱりと断言されて、少しだけ嬉しくなる。
いくらか気遣いが含まれているとしても、本気で嫌がられていないことは、今の状況からも明らかだ。
身の上話などしたことがないし、常々両親から、
「お前の傷の話など誰も聞きたがらないから、口にするな」
と注意されていたし、自身もそう信じているので、どうして機嫌を損ねていないのか疑問なくらいなのだが。
「ただ、俺は話を聞いても、気の利いたことが言えないから、そこが怒っているように見えたのなら、すまなかった」
「いえ、それは……べつに」
慰められても困ってしまっただろうから、求めていなかったのは本当だ。
むしろ、謝られるほうが対応しづらくなってしまう。
ノウの様子に、だから、とアルフラッドが続ける。
「今夜は俺の身の上話をしようと思う。同じくらい退屈な話だが、それなら公平になるだろう?」
彼なりに考えてのことなのだろうが、そもそもノウに対してそこまでする必要はない。
謝ってもらったのすら過分に感じているのに、それ以上はもらいすぎだ。
慌ててそう返すが、アルフラッドは譲らない。
対等にするほど価値のある存在でもないのに、わざわざ話さなくてもと言えば、
「君に価値がないなんてことはない」
と、もっと返事のしづらい言葉が降ってきてしまった。
実直な彼は言葉遊びをしない分、求めることを直球で伝えてくる。
その熱量を覆すことは、とてもノウにはできなかった。
──結局、お伺いします、と答えることになってしまう。
「本当に面白くないから、途中で嫌になったら止めてくれ」
「そんなことはしません。──アルフラッド様の過去なんですから」
ノウに対して真摯にむきあってくれているのだ。
つまらない、などと思うわけがない。
断言を返せば、彼は少し目を見はってから、くしゃりと少年のように笑ってみせた。
「君は俺の出自を知っていたな?」
それから確認するように問いかけられたので、はい、とうなずく。
「とはいっても、庶子であるということくらいですけれど……」
「ああ、君の両親より上の男性なら、もう少し知っていたりするんだがな」
男性? と首をかしげたが、とりあえず彼の話を聞くことに専念する。
「俺の母は、ごく普通の町娘だった」
クレーモンス領主の住む館のある中心街。そこで、ごくごく一般的な庶民の両親から生まれたのがアルフラッドの母だった。
強いて言うなら両親は美男美女として有名だったが、それも所詮街中で言われる程度のもので、劇団から何度か誘いがきたことがあるのが自慢なくらい。
ところが、その血がよくも悪くも劇的に作用してしまい、子供の中で彼女だけが、飛び抜けて美しく成長した。
けれど彼女の両親は、善良な性質の持ち主だったので、その美貌を利用しようとは考えず、むしろあまり目立たないように配慮した。
歴史ある領地ということで教育に熱心な街だったため、補助の出る間は学校に通っていた。
彼女はそれなりに勉強ができたために、運よく、中心地の少し質の高いレストランで働くことに決まった。
立ち居振る舞いやマナーを身につけ、しかし見た目は地味になるよう心がけて、彼女はよく働いていた。
ところが、そこへ領主が食事にきた際に、彼女を見初めてしまったのだ。
当時の領主はまだ独身で、周囲からは結婚を心配される年齢だった。
幼いころに婚約者が決まることもなく、その後は彼本人が、なにかと理由をつけて却下していた。
男性は多少年齢が過ぎても、子供をつくることはできるからとはいえ、流石にそろそろ……と言われていたころに、あろうことか一般人に惚れこんでしまったのだ。
当然、周囲は反対したし、彼女自身も丁重に断った。
しかし、彼は一切を無視して求婚を続け、最終的には皆が折れることになった。
妥協案として正妻をきちんとした身分から得て、妾として置くようにと強く薦められたが、彼はそれも突っぱねた。
「歴史のあるクレーモンス家に生まれたあの男は、自尊心がやたらと高く育ってな」
だから、並の令嬢では満足できなかった。
おまけに、女性側からするとふざけた話だが、当時の貴族の女性たちの中には、目立つ美女がいなかったのだという。
代わりに知性あふれる女性が多かったそうだが、それはそれで、伯爵にとっては気に入らない存在だったらしい。
彼が求めたのは、みずからの隣に立つに相応しい美貌を持ち、聡明だが決して男より上には立たず、あくまで夫を引き立て、かつ己と同じくらい由緒ある家柄の存在だった。
しかし、教育を受けた女性にそんなおとなしい者がいるわけがない。
当時の気風が勉学に励むことであったから、なおのことだ。
だからこそ、市井の彼女に目をつけたのだろう。
強引に正妻にした彼は、彼女に淑女教育を受けさせた。
彼女のほうも、夫となった領主の怒りを買えば、家族や、他者に迷惑がかかることを理解していたので、必死に勉強したらしい。
その甲斐あって、社交シーズンに都へ出た彼女は、及第点といえるふるまいをした。
「その当時の男たちは、皆羨ましがったらしい」
苦々しげな呟きに、そうだろうなと同意する。
綺麗な──言葉は悪いがお人形のような女性を侍らせて、領主はきっと満足だっただろう。
周囲の男たちも、自分より優れている女性を妻にしていた者が多かったらしく、そんな彼らにも、アルフラッドの母は理想として映ったらしい。──なんとも、女性からすると腹立たしい話だ。
意気揚々と領地に帰ってしばらく、彼女の妊娠が発覚した。
周囲からの、せめて男の子を産んでくれという期待や、逆に、産んでは困るという思惑。
見せびらかしたいために外出しろと言ってくる夫である領主は、気遣いもいたわりもしない。
そんな状況下にあれば、弱ってしまうのは当然だろう。
彼女は悪阻がひどかったこともあり、どんどん衰弱してしまった。
それでも周囲の世話の甲斐もあり、どうにか無事に出産する。
「そして生まれたのが、俺だったわけだ」