ある日のヒセラ
シモネタ……とまではいきませんが、その手の話題があります。
読まなくても本編に支障はないので、苦手なかたは飛ばしてください。
今日もか、とベッドを見たヒセラは胸中で呟いた。
朝の体操を共に行ったあと、ノウが隣室で着替えている間に主寝室のベッドメイキングをすませるのが、最近のルーチンになっている。
ここ数日──具体的に言うなら、ノウが池に落ちた日以来、主寝室の寝台で使われているのはアルフラッドのものだけだ。
べつに、それ自体に問題はない。一人用の寝台と言っても大きなものだから、二人で眠っても狭くはないだろう。
ただ、メイドとしては諸々を確認しておくべきだ。
「ノウ様、最近アルフラッド様の寝台で寝てます~?」
あくまでやんわり、なんでもないことのように問いかける。
するとノウはさっと頬を赤く染めたが、そこに負の感情は見受けられない。
いわく、池に落ちた夜に心配だからと一緒に眠って、それからそのままになっているらしい。
「お邪魔じゃないかと思うのですけれど……一緒だと安心できて、悪い夢も見ないので」
恥じらいながら告げるノウは文句なく愛らしい。
押し切られた形のようだが、嫌がっているわけではなく、むしろいい方向なら止める必要もないだろう。
よかったですね~とにこにこして肯定しておくだけだ。
とはいえ、同じような夫を持つ身だからわかることもある。
「じゃあ~ノウ様のベッドに予備の毛布を置いておきますね~」
「予備?」
きょとんとするノウに、笑顔のまま言葉を重ねる。
「私の夫もですけど~訓練で寒さが平気なんですよ~」
鍛えていて寒さにも慣れている彼らは、ともすれば冬でも薄手の布一枚で平気な顔をしている。
だが、共寝するほうはそうもいかないのだ。
これからもっと寒くなってくると、おそらく双方の体感温度に差が出てくるだろう。
ノウは万事控えめなので、寒いと言いだせないかもしれない。
だが、彼女の傷にも冷えは大敵だろう。
「だから、寒い時は遠慮なく仰ってください~」
「まあ……そうなの、ありがとうございます」
ヒセラの言葉に、ノウは薄く微笑んで感謝を告げてくれる。
これで少しは言いやすくなるだろう。
あとは室内を暖めておくとか、アルフラッドの寝間着は薄くして、ノウのものを厚手にしておけばいい。
頭の中でそう考えると、ヒセラは着替え終わったノウにかわいい髪型をすべく、鏡の前に移動するのだった。
今日はジェレミアと勉強らしく、ヒセラはその間に掃除などをすませていく。
主は身の回りのことはできるというが、本質的には令嬢だからだろう、ヒセラがいる分にはあれこれしようとしない。
掃除も、それこそベッドメイキングも教わったらしいが、こちらに任せてくれている。
家事というのはなかなかの重労働だ、彼女の味方だったという使用人が、どうにか合間を縫って世話をしていたのだろう。
新しい毛布を寝室に運びながら、でも、と整ったベッドを眺める。
同じベッドで眠っていながら、二人の関係はまだ清らかなままだ。
それらしい痕跡はまったくないので、断言できる。
二人の関係は良好で、どころかどう見ても相思相愛だ。
はじめのころは少し距離があったように思えたが、今では感じなくなっている。
普通の使用人であるなら、世継ぎに関わる問題なのでやきもきするところだが、この家は違う。
アルフラッドはノウがくる前から子供はいらないと宣言していた。
ジェレミアも否を唱えなかったので、おのおの思うところはあっても、主が言うならと従った。
ノウがきたことで古くからの使用人は期待しているようだが、彼女はいまだに傷を見せたがらない。
ヒセラも見ていないのだ、アルフラッドは勿論だろう。
それでも少し露出のあるドレスに興味を示したりと、最近はいくらか軟化してきていたのだが……そこであの事件だ。
ノウに無理強いしないアルフラッドは好感が持てるが、なにもできなくても添い寝したいと我を通すところは、つい、必死だな~、と思ってしまう。
使用人としてできることがあればいいのだが、今のところ名案は浮かばない。
うぅん、と悩みつつ昼食の配膳をすべく廊下を歩いていると、交代らしい守衛が雑談していた。
「今日もアルフラッド様の訓練はキツかったなぁ……」
「なんかここ数日、厳しくなってないか?」
「お前もそう思った?」
「思った思った! そりゃまあ身になるからいいんだけどさ……アザできちまったよ」
ぼやき混じりの会話を耳に挟み、なるほど、と納得したが、流石に彼らに事情は説明できない。
──おそらくそれは、八つ当たりだ。
好きな相手と一緒に眠っているのに、なにもできない、するわけにはいかない。
頭でわかっていても、添い寝をやめる気にはなれなくても、健全な若者だ。
行き場のない諸々を訓練にぶつけているのだろう。
必死だな~、ともう一度思うが、自身の主はノウだ。
彼女を第一に考えるヒセラにとっては、同情はするがそれだけだ。
守衛には悪いが、精々発散相手になってもらって、ノウには紳士的な対応を続けてもらいたい。
だから彼女はお疲れさま~と声だけかけて、その場を通り過ぎるのだった。
「あ、ヒセラさん、お疲れ様です」
主たちの部屋の隣には、彼ら専属の使用人に用意された部屋がある。
そこで一息ついていると、ナディが入ってきた。
現在ここを使用しているのはヒセラとナディだけだ。
「ナディちゃん、おつかれ~」
休憩中ということでのほほんと声をかけると、ナディは苦笑いをする。
「ちゃんづけはやめてくださいと……」
「え~だって~ナディちゃんカワイイし、年下だし~」
けろりと答えるやりとりはいつものことで、ナディも半ばあきらめている。
そもそもヒセラのほうが年上というのが恐ろしい事実なのだが。
ジェレミアたち三人での夕食時は手が空くため、業務内容の報告がてら二人で休憩をするのはいつものことだ。
ノウにつきっきりなのは現状二人だけなので、情報共有は大切なのだ。
とはいえこのところは二人の仲も良好で、事件のことを除けばとりたてた問題は起きていない。
ナディは警備だけではなく、メイドとしてのあれこれをヒセラについて学んでいるが、そちらも順調だ。
あとはアルフラッドとノウが、本当の意味で夫婦になればいいのだが……
「……あの、でも、ヒセラさん。私、ちょっと心配なことがあるんですけど」
一緒に眠っていることは勿論ナディも知っている。
その上でと前置いて真剣な顔をするので、うん? と首をかしげた。
「──ノウ様って、夫婦の営みについて、ちゃんと知識があるんでしょうか」
「…………あ~………」
思わず顔を見合わせて呻いてしまう。
通常、そういった男女のことは母親から教わるものだ。
しかしノウの場合は母親から毛嫌いされていて、ろくに関わったことがないという。
となると、閨事について知らない可能性が高い。
「でも~肌を見せたくない~って言ってるから、知識はある、はず~……?」
……たぶん。と語尾が小さくなってしまう。
勉強か小説で得たとか、その程度の可能性は高いが、まったくの無知ではない、と信じたい。
とはいえ確認したくとも、迂闊なことを言えば気に病んでしまう可能性が高い。
しかしなんの知識もないと、いざという時に大変なのは当事者なわけで。
「でも副隊長は女性には親切ですから、大丈夫だと思います」
ナディいわく、軽く声をかけられてもきちんと断っていたらしい。
母親のことがあるためか、老若問わず対応は丁寧で、そのためモテて大変だったという。
そのわりに浮いた噂が少なかったが、ちらりと聞いたところによると、恋人がいた時期もあったらしい。
「う~ん、なにかあったとき、話しかけやすくするしかないってコトか~」
「ヒセラさんなら問題ないんじゃないですか?」
「逆にそ~ゆ~話題は敬遠されちゃうトコがあるんだよね~」
「……あぁ……」
童顔で屈託ないヒセラは話しやすいが、その幼く見える顔立ちゆえに、男女間の話がしづらくなってしまう。
同じような夫を持っているというアドバンテージがあるため、結構話してくれるが、深いところはどうなるか。
今まで以上に打ち解けてもらうべく、邁進するしかないという結論しか出せなかった。
同じく既婚者であるナディも頑張ります、と意気込んだところでちょうどいい時間になり、階下へ様子を伺いに行く。
「──ああ、ヒセラ、いいところに」
すると、食事を終えたらしいジェレミアから声をかけられた。
「ちょっといいかしら?」
「はい~」
ノウにはナディがつけば問題ないので、すぐにうなずきジェレミアについていく。
さて、なんの用件だろうと首をかしげつつ、促されて書斎へ入るのだった。