クレーモンスの鳥
「……ずいぶんたくさん種類がいるんですね」
図鑑をしげしげ眺めていたノウは、感心したように呟く。
午後、一緒に庭を散歩していた時に鳥を見かけて、種類が知りたいと調べだしたのだ。
僻地のクレーモンスは、都にはいない鳥がいて、それが面白いらしい。
「要するに田舎だからな……春になったら整備されている森へ行ってみるか?」
「! はい、行ってみたいです」
即答した彼女は好奇心で目を輝かせている。
保護の名目上、あまり手をかけていない森は危険も多いので連れて行けないが、公園のようになっている場所なら問題ない。
決められたコースを季節を選んで歩く分には、そう危ない動物に出くわすこともないはずだ。
流石のアルフラッドも、準備をしなくては野生動物の対処は難しいし、非戦闘員がいればなおさらだ。
今年は熊の被害が出ないといいんだが、と胸中で呟く。
「……あ、そうだ、次の刺繍は鳥にしてみようかしら……」
無意識だろう呟きに、いいんじゃないか、と返す。
鳥は実をつつくため果樹農家からは敬遠されがちだが、見た目が美しいものも多い。
共存するために、敢えて家紋に鳥を入れている家もある、……オーヘン家もそのひとつだ。
「基本の刺繍で色を変えれば……それっぽくなりそうです」
手元に置いている基本的な刺繍の本を持ってきて、このあたり、と見せてくれる。
簡略化された鳥の図案なら、たしかに色味を変更すれば通りそうだ。
楽しそうに色を選ぶ姿は見ていて飽きない。
放っておくと無理をしそうだから、といいわけをして、二人きりの時間を満喫する。
アルフラッドとしては、のんびり過ごせるいい休日をすごせて大満足だった。
「──お帰りなさい、お義母様、……と、お久しぶりです、カーツさん」
その後ジェレミアの帰宅が知らされ、ノウはいそいそと出迎えに行く。
この状況で一緒に行かない選択肢はなかったので、アルフラッドもついていった。
玄関にはジェレミアと、カーツも一緒だった。
ノウは一瞬驚いたものの、見慣れた顔にぱっと表情を明るくする。
「お久しぶりです、ノウ様」
カーツも嬉しそうに挨拶をし、見舞いのようなものです、と告げる。
彼なら用がなくても訪ねてくれてよかったのだが、なかなかタイミングが合わずに今日まできてしまったのだ。
「夕食までまだあるし、お茶でもしましょう」
ジェレミアの帰宅もいつもより早かったので、まだまだ余裕がある。
だからこそカーツも訪問する気になったのだろう。
ノウは嬉しそうに笑い、みずからサロンへ案内しようとする。
そんな彼女を微笑ましく見つつ、アルフラッドはそっと片手を挙げた。
「なら、俺はちょっと……走ってきてもいいか?」
申しわけなさそうな声を出すと、ノウはまばたきをしたあと、小さく吹きだした。
「許可をとらなくても。いってらっしゃいませ」
朝は機能訓練をしたがるノウを説き伏せるため、自分の訓練もそこそこにして引き上げさせたのだ。
その後もほとんど一緒にいたので、いつもより運動量が少なくなっている。
目を離したくなかったし、堂々と側にいられる好機を逃すつもりもなかったから、不服はない。
だが、ジェレミアがいるのなら、少し身体を動かしてきたいと思うのも事実だった。
「夕食までにはもどるから」
「ゆっくりで構いませんよ? 今朝は遠慮なさってましたし……」
「そうよ、気にせず行ってらっしゃい」
すまなそうに告げるが、誰も早く帰ってこいと言ってくれなくて少々寂しくすらなってしまう。
だが、ノウの口から謝罪が出ないのはいい傾向だろう。
そんな彼女に自分が拗ねるのも子供じみているので、さっさとすませてもどろうと決めた。
警備の者をねぎらいつつ、少し走ってくると告げれば、笑って送りだしてくれた。
門から外へ出て、周囲の大きな道を走ることしばらく。
前を走っていた馬車が曲がったことを確認して、走る速度を変えることなく追いかけた。
通常であればとうにいなくなっているはずだが──その馬車は路地裏に停車していた。
周囲に誰もいないことは確認ずみだ、アルフラッドは素早く近づき、みずから扉を開けて中へ入りこむ。
予想どおりそこにすわっていたのは、オーヘン卿だった。
アルフラッドが腰を落ちつけると、馬車はすぐさま走りだす。
「お呼びだてして申し訳ない。ノウ様の具合はいかがですか?」
相対した老人は謝罪ののち、まず問いかけてきた。
「問題ない。ほとんど回復した」
「それは良かった……」
心から安堵の息をつき、表情を改める。
それから、深々と頭を垂れた。
「此度の不始末、なんとお詫びを申し上げるべきか……」
そのまま土下座でもしそうな勢いだが、アルフラッドはどうでもいい、と手を振る。
「卿の責任ではないだろう」
本気で思っているのだが、老人は譲る気はないらしい。
いいえ、と強く首をふってみせた。
だが、ダントは娘もいる立派な成人男性だ。
未成年ならともかく、当主の座を渡した隠居老人が出てくる必要はない。
「あんな未熟者を育てたのは、私の不始末ですから」
苦々しげに呟かれたが、アルフラッドはそれにも否を唱えた。
「その責任はあの男にあるだろう、やっぱり卿の責任じゃない」
前領主は決して無能ではなかったが、領主として優秀とは言えなかった。
おのれの血筋にこだわりは持っていても、領地への愛情はさほどではなかったからだ。
部下も能力より血統を重んじたため、偏りや軋轢を生んでしまっていた。
ジェレミアが実権を握るまでの間の領地経営がなんとかなっていたのは、単に目の前にいる老人のおかげだ。
その代わり彼は家庭を鑑みる余裕がなく、気づいた時には息子は前領主とつるむろくでなしに成り下がっていた。
「……今回の件、お二人ともご立腹かと思います」
オーヘン卿はアルフラッドの言葉になにも返さず、話題を変える。
二人、とは言うに及ばずジェレミアと自分のことだろう。
「その上で厚かましくもお願い申し上げます。どうか、もうしばらくお待ち下さい」
なにを、と問うほどアルフラッドも馬鹿ではない。
「弟の家に優秀な者がおります。──そちらに鳥を任せます」
──オーヘン家にきちんとした役職がないことには、勿論きちんと理由がある。
領主の右腕として、いわゆる諜報活動や、初期には暗殺など、闇の部分を一手に引き受けていたからだ。
万一ことが露見しても、実権は持っていないため切り捨てても領地運営には響きにくい。
そのため、名ばかりの相談役として長く存在していたのだ。
平和な時代になってからも、いつかの備えのため、当主だけは代々オーヘン家の役割を守ってきたのだが──
彼の言葉どおりだと、つまりダントはそれを知らないということか。
散歩の際にノウが見た鳥自体は、領地でよく見かけるものだ、嘘は言っていない。
だが、尾の色味が一般的なものと異なるそれは、オーヘン家だけが飼っている特殊な鳥。
領主とのやりとりに使うためだけに存在する鳥だ。
それを扱うのは当主のみ──だが、ダントには扱わせていないわけだ。
「死ぬ前に、馬鹿息子のケリはつけます。……どうかもう少しだけ、お時間を」
「……それは構わないが、早死にするのは認めない」
決意の表情で嘆願する老人に、アルフラッドは告げる。
「すぐに死んだらノウが悲しむし、俺もまだ教わることが山ほどある。申し訳ないと思うなら、せいぜい長生きしてくれ」
豊富な知識は間違いなく教えを請うに相応しいし、領主への忠誠心も恐ろしく高い。
よくまあ、あの男の時代に離反しなかったものだと思う。
その気になれば領主に成り代わることもできただろう。
だが彼はあくまで陰に徹し、アルフラッドに対しても絶対的な忠誠を誓ってくれる。
優秀でもある人材を、あっさり手放すなんて勿体ないことはできっこない。
「俺は謀略とか、そういったものはどうも苦手だしな」
「あなた様はそれで宜しいのです。まっすぐ生きて下さい」
「……あのひとと同じことを言うな」
苦笑いしてみせると、好々爺の顔で笑みを返された。
なんだかんだ言って甘やかされているとでも表現すべきだろうか。
だが、はいそうですか、ですませるわけにはいかない。
領主のつとめは領民を守ること。そこには勿論、オーヘン卿も、──守りたくなくてもダントだって入るのだ。
まあ、ダントに関してはそれ以上に領地に損害をもたらすので、早晩退場してもらうことになるが、それは卿に任せることになるだろう。
「ただ──殺すなよ」
いくらなんでも、親が子を手にかけるのは寝覚めが悪い。たとえ、直接でなくてもだ。
アルフラッドの言葉に、卿は畏まりました、とうなずいてみせる。
おそらく、適当な病かなにかで僻地へ送られることになるのだろう。
できれば娘も一緒にしてほしいが、彼女程度なら対処は容易だ。
「カタがついたら邸に招待するから、息災でいてくれよ」
馬車を降りる直前に念を押すと、卿はわかりました、と笑った。
信じていいかどうかは、正直アルフラッドにはわからない。
腹芸は苦手なのだ、読みとることもできやしない。
だから彼らの言うとおり、まっすぐにぶつかるまでだ。
ノウにも手紙やら、刺繍やら送ってもらって、精々しぶとく長生きしてもらおう。
暮れてゆく空の下、小走りに邸まで走って帰りながらそう思った。
余裕があったら火曜日に小話を入れます。