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お義母様は遠慮がない

「おはよう」

「ジェレミア様……? あ、いえ、おはようございます」

 扉を開けると、すでに席についていた者たちが怪訝そうな顔になる。

 もともとの予定ではアルフラッドがくるはずなのだから、それも当然だろう。

 ここにいる面々は、ジェレミアだろうとアルフラッドだろうとあまり気にしないから、特に先触れも出さなかったし。

 ジェレミアは領主用の机に歩み寄り、書類がやけに少ないことに気づいた。

「……甘やかしているの?」

 周囲に目をやれば、明らかに多い紙の束がある。

 アルフラッドが脅威的な力を発揮して……なんてことはまず、ありえない。

 一朝一夕で書類をさばけるようになるなら、領主なんてもっと気楽になれる。

「ノウ様が心配だと言うので、今回だけ特別です」

 カーツの言葉に嘘はないように思えたので、なるほどと納得する。

 急遽彼と交代したこと、理由はノウのためだと伝えると、わかりました、とすんなり落ちついた。

「いくらか寄越していいわよ」

「いえ……ジェレミア様も早く帰ったほうがよろしいでしょう」

 早速椅子に腰かけようとして、アルフラッドの椅子では合わないのでいつもの自分のものに入れかえる。

 改めてすわりなおすと、特にカーツのところにある山を示したが、彼は首をふった。

 ノウと関わったことのある彼だから、心を砕いてくれているのだろう。

 だが、今日はアルフラッドがいれば十二分に心強いはずだ。

 血が繋がっていない分、気楽な面もあるが、姑と夫なら夫を優先するもの。

 ましてあの二人はどう見ても相思相愛、お邪魔虫になる未来しか見えない。

「ですが……心配でしょう?」

 息子を亡くした時も知っているカーツは、敢えて言葉を重ねてくる。

 ──たしかに、とても不安だ。

 死ぬようなことではない、ただの風邪だとわかっていても、あの子もはじめの診断ではそうだったのだ。

 だから急ぎの仕事を優先してしまって、その結果会えたのは、本当に最期のころで。

 父親のほうは一度も見舞いにこなかったというから、あの子はひとりぼっちで耐えなければならなかった。

 自分の若いころは、両親のどちらかがまめに見てくれていたというのに──

「……あれがべったりくっついているから、大丈夫よ」

 今のノウは違う、万一の時はすぐに連絡もくるはずだ。

 カーツをはじめとした部下も育っているので、有事の際はまかせても問題ない。

「それに……多分、また来るでしょうから」

 わざわざ餌を撒いてやったのだ、食いついてくれなければ困る。

 ジェレミアの呟きに、カーツはああ……と眉を下げた。

「昨日もさんざんでしたが……来ますかね?」

 アルフラッドはあまり話したがらなかったので、この際だとカーツから聞いておく。

 案の定腹立たしいやりとりだったようで、成長のなさにうんざりしてしまう。

 ダントには昔から見下されていたが、領主代行としてたしかな力をつけていくと、今度はさも自分の功績だというような顔をしはじめた。

 徹底的に仕事から除外してやったのだが、懲りないところは流石あの男とつるんでいるだけある。

「おとなしくしてるなら、それでいいわよ」

 アルフラッドの勉強のために残したほうがいいものは手をつけず、誰が行っても問題ない案件に目を通していく。

 冬への備えで恒常的なものは、大体例年通りで構わないが、災害のあった場所や、変化のあったところは気をつけなければならない。

 ぱらぱらと書類をめくっていて、そういえば……と代行をしていた時に聞いた話を思い出す。

 忘れないようにと走り書きをしておき、まずは目先の仕事を片づけていたのだが、

「あ、あの……オーヘン家のかたがおみえです……」

 奇しくも昨日と同じ者が、さらに恐縮して入ってきた。

 カーツは思いきり同情して、いい酒でも奢ってやろうと決意する。

 ジェレミアはなんでもないことのように「茶だけ出して放っておいて」と言い捨て、黙々と書類を捌いていく。

 きりのいいところまでしっかり片づけてから、ようやく面会に赴いた。

「ジェレミア様、お久しぶりです」

 すぐに立ちあがったダントは、笑みを浮かべて挨拶する。

「相変わらずお美しいですな」

 声に滲む欲に、心の中で眉をひそめて罵声を飲みこむ。

 あの男はジェレミアが有能すぎることと、夫を引き立てない姿に辟易したのだが、この男はそうでもない。

「しかし、ずいぶん時間がかかりましたな……やはり女性には荷が重いのでしょう」

 ──というより、仕事ぶりを正当に評価していないというべきか。

 女のジェレミアに男と同じ、もしくはそれ以上のことができているはずがない──と、頭から信じているのだろうか。

 本気だとしたら目医者を薦めたいのだが、その前に頭だろうか。

「もうすぐ冬だから支度が多いのは、あなたもわかってると思うけど?」

 なんでもないことのよう告げて対面のソファに腰を落ちつける。

「それで、一体なんの用かしら」

 ちらりと視線を横にずらせば、今日も娘を同伴してきている。

 色鮮やかなドレスに身を包んだ彼女の装いは日中ということもあり露出が控えめだ。

 だが、ノウなら選ばないだろう襟ぐりの空きは大きく、小粒だが高級そうなアクセサリー。

 自己主張が激しいが、それなりに似合っているから本人も自信があるのだろう。

「アルフラッド様が突然迎えた妻のことです」

 いかにそれが勝手な行動か、我儘か、とまくしたてていく。

 一昨日の件に関してはもうすんだことなのだろう、一言の詫びも出てこない。

「先日舞台を観に行っただけで、まともな社交もしていないですし……ジェレミア様もさぞお困りではないかと思いまして」

 ねぇ? とにやついた笑みを浮かべて同意を求めないでほしい。

 大体、隣に娘がいるのにその顔はいかがなものか。

 だが娘は父親に興味がないようで、にこにこ笑顔でジェレミアを見つめるばかりだ。

「社交をしていないのは私に遠慮しているからよ。まだ喪も明けていないし」

 まともな結婚式も挙げていないのに、責務ばかり負わせるのもひどい話だ。

 彼女の今までを思うと、当面のんびりさせたいというアルフラッドの意見に否はない。

 ジェレミアは楽しいから仕事をしているのだ、決して嫌々ではない。

 領主になったアルフラッドは例外だが、やりたい仕事をしている分には、それでいいという考えだ。

「しかし、我が家でもろくに会話もしませんでしたし、領主夫人としては少々問題があるのでは……?」

「あら、美術品の話をしたと聞いたけど?」

 昨日、収蔵品のリストからとある絵画の名をあげて、元気になったら見たいと申しでていた。

 かなり特徴のあるもので、オーヘン家とは別の色味で有名な絵描きのものらしい。

 ジェレミアはそんなものもあったな、程度だが、折角なので彼女の部屋に飾ってやるつもりだ。

 快気祝いと言うと遠慮されるかもしれないが、しまいっぱなしより有効活用だろう。

 しれっと言ってやると、どうやら嫁姑は拗れていると思いこんでいたらしく、ダントは明らかに動揺した。

「で……ですが娘との会話は弾みませんでしたし、社交的という意味では、我が娘がやはり素晴らしいと考えるのです」

「ええ、ジェレミア様、私、そのために頑張ってきましたから!」

 堂々とした様子の娘の姿は、たしかにノウより華やかだ。

 第一印象という意味では、決して悪くはないだろう。

「頑張った……ね」

 ふうん、と呟いて、昨日の会話を思い出す。

「酒蔵で必ず歌う歌があるわよね?」

 突然の問いかけに、二人はきょとんとしたが、勿論知っています、と答えた。

 この領地の人間なら誰だって知っている──こんなオーヘン家でもだ。

「なら、その歌がどうしてできたかは知っている?」

 娘に顔をむけてさらに訪ねると、え、と表情が固まった。

 どうやら、知らないらしい。

 救いを求めるように隣の父親を見たが、狼狽する様子からして彼も知らないのだろう。

「で……でも、由来を知っているほうが少ないんじゃないですか?」

「そうね。今では当たり前になっている風習だから」

「なら──」

「──でも、他領の者にとっては奇妙な光景に映るでしょうね」

 ノウが疑問を覚えたように、長く親しんできた者は慣れきっていても、外部にはそうではない。

 ジェレミアもアルフラッドも外の人間だから、不思議になって調べたのだ。

「領主夫人になれば、他領の人間との会話も必要よ」

 そして、商談の席となれば名産品の酒を勧めるのが必至だ。

 もし、相手方に歌について質問されて、返答できなかったらどうなるか。

 ──商談がフイになることはなくても、印象は間違いなく悪くなるだろう。

「知らないことを責めるつもりはないわ。でも、学ぶ機会はいくらもあったのに、それをしない怠慢は立派な罪よ」

 女性同士のお喋りに達者なのも、流行に敏感なのも、決して悪いことではない。

 上流階級の女性にとっては必要なことでもある。

 だが、ただ世間話だけで終わるわけにはいかないのだ。

 それができなければ別の面を、と考えるならまだマシだが、この令嬢にはそれもない。

「頭でっかちで傷があるようなひとが義娘でいいんですか!?」

 勉学に励むという言葉は、娘にしてみるとただのガリ勉になるようだ。

 アルフラッドも大分腹を立てていたようだが、なるほどこれは怒りたくもなる。

 そういえば釣書を見たかぎり、あまり勉強は好きではないとあったな、と思い出した。

 本人に結婚の意思がなかったからすぐ引いたが、きちんと調べてはある。

 オーヘン家だからという理由だけで、中味を見ずに蹴ったわけでもないのだ。

「向上心のないバカを義娘にするよりは何十倍もいいわね」

「ばっ……!?」

 言葉を飾るのも面倒になり、本音を呟いてしまう。

 顔を赤く染めた娘と、蒼白になる父親のコントラストは、正直ちょっと面白かった。

「私はあの子がきてくれてよかったと思っているわ。多分アルフラッドもそう言っていたと思うけど」

 なんでこんな男が当主なのか、はなはだ疑問だ。

 本来のオーヘン家の役割など、到底こなせはしないだろう。

 卿は立派な人物なのに……と憂いたくなるが、大切なのは血筋より育ちということだ。

「二度とくだらない用件で呼びつけないで。これきり、ここでの面会は一切許可しません」

 切実な嘆願は減ったものの、こんなくだらない話につきあわされる間に、何件書類が片づくことか。

 備蓄量が心配な地域への配布も検討したいのだ、豪華なドレスを買える連中に構っていられない。

「お待ちください、ジェレミア様……!」

 慌てて言葉を紡ごうとするダントを綺麗に無視して、ジェレミアはさっさと部屋を出た。

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