義母と彼は怒っている
「お帰りなさい」
玄関まで出むいて迎えたノウを見たアルフラッドは、すぐにすわるよう促した。
「起きて大丈夫なのか?」
顔にはありありと心配と書いてあって、ちょっとだけ笑ってしまう。
「大丈夫ですから、こうして迎えにこられたんです」
午後になって熱も下がり、別館に呼びつけられた医師がついでにと診察して、許可を得ての行動だ。
だからなんの問題もないと話すと、ほっとした顔になる。
いくらノウだって、これだけ心配されている状況の中、独断で出歩いたりはしない。
「心配させるとはわかっていたのですけれど……その、お帰りなさいを最初に言いたくて」
門番がいると言ってしまえばそれまでなのだが、気分的な問題だ。
ベッドからと、こうして玄関でいの一番に声をかけるのとでは、やはり違うものがある。
ノウの熱心な言葉に、アルフラッドはそうか、と嬉しそうに笑った。
「じゃあ、夕食も食堂でとれそうか?」
「はい、そのつもりでことづけてあります」
書斎から出てきたジェレミアと落ちあうと、今日の報告を一緒に聞く。
ただ、アルフラッドはオーヘン家の者がやってきたことは綺麗に省いた。
報告するような中味のある会話ではなかったし、病み上がりのノウに伝えたくもなかったからだ。
いつもより帰宅が早かった理由は述べないといけなかったので、部下が手伝ってくれたことは添えておく。
カーツが心配していたと聞き、ノウは手紙を書いてアルフラッドに頼もうかと思う。
まだ食事量は少なめだったが、それでも吐き気などはないし、感じていた寒気も大分引いている。
明日には機能訓練も……と思ったのだが、アルフラッドに止められてしまった。
「あ……そういえば本を読んでいて、気になる部分があったのですけれど」
食後のお茶の段階になって、二人がいるならと質問することにした。
あまり小難しい本は駄目だと言われたので、収穫の時期だしと、クレーモンスの祭りをまとめたものを読んでいたのだが、酒造に関するものには必ず歌を歌う、という項目があったのだ。
酒造り自体に必要な行程ではないから、いわれのあるものなのだろうが、読んでいた部分に説明はなかった。
普段なら自力で書庫を探すのだが、今は行けないので聞いてみるしかない。
「それは領地ができる前の神話に由来するものだな」
二人ともすぐに合点がいったらしく、あっさり答えを教えてくれた。
なんでも、この地にいた聖なる存在は大変な酒好きで、この地に人々が住まうことを許可する代わりに、醸造法を教え、奉納するよう求めたのだという。
人々が教わったとおりにすると無事酒は完成し、聖なる存在に捧げるべく、歌を使って知らせの代わりにした。
以来、この地で酒をつくった場合は、必ず奉納すること、という決まりが設けられた。
でなければ聖なる存在が機嫌を損ねて災害やよくないことが起きるから。
生産量の一割は奉納用にして構わないとしているし、税もかからない仕組みになっている。
悪用する輩が出てくることもあるが、古来からの風習ならば守るべきだろうという判断だ。
「どんな歌なんですか?」
興味津々といった様子のノウに対抗できる二人ではない。
歌自体は領内に住むものなら、ほとんどの者が覚えているくらいだ。
工場によって若干名称を変えたりするが、基本の部分は同じになっている。
「下手でも笑わないでくれよ」
先にいいわけをして、ジェレミアとアルフラッドがその歌を口ずさむ。
単調で短い歌詞なので、式の時は繰り返すのだが、今はワンフレーズで十分だろう。
ぱちぱちと拍手するノウは、自分も覚えようと意気込んだ。
「ちなみに、最初に聖なる存在と会った場所は石碑があるから、今度行ってみるか?」
「はい、ぜひ!」
石碑自体は定期的に新しくしているので古くないそうだが、場所の価値は十分だ。
わくわくしながら約束をとりつけて、それまでに文献を調べようと決める。
今ではその話を知る者も減り、領民は慣習だからと歌っている程度のようだが、それも時代の変遷なのだろう。
歴史ある地ならば、埋もれた神話は他にもあるかもしれない。
書庫を探す楽しみが増えたことだし、こんな風邪はすぐに治そうと改めて決めた。
「……にしても、結局勉強になってたんじゃないか?」
歌い終わったところで、アルフラッドに胡乱な目つきで見つめられてしまう。
資料を探しに行くことこそしなかったが、各地の祭りを端から端まで調べていたので、ちょっと読み物を読む、程度でなかったのは事実だ。
言葉に詰まると、アルフラッドは怒るわけじゃない、と苦笑した。
「ただ、熱がぶり返さないか心配なだけだ」
「大丈夫です……多分」
子供ではないのだから、はしゃぎすぎて、なんてこともないはずだ。
自信なさげに答えるノウを見ていたジェレミアは、じゃあ、と口を開く。
「明日は私が行くから、二人でのんびりなさい」
その言葉にえ、と声をあげたのは二人ともだった。
このところは、アルフラッドが二、三日続けて行き、一日ジェレミア、という比率だった。
半々ではどちらが領主かわからなくなるので、ジェレミアはあくまで代理だという立場を強調するためだ。
「状況が状況だから、気にしないでしょう」
あっさり言い放ったジェレミアは、反論を聞く気はないらしい。
「無茶をさせたつもりはないけど……明日は自分で見ていればいいでしょう?」
大丈夫だったか無理をしていないかとあとで心配するくらいなら、そばにいればいい、というわけだ。
そのとおりではあるので、アルフラッドはいくらか悩んだが、結局はありがとうございますと頭を下げた。
「なら……少しだけ引き継ぎの話をしていいか?」
明日も自分が行くつもりだったのなら、やりかけの案件などもあるのだろう。
ノウは特に疑問も抱かず、わかりました、と先に寝る支度を整えることにした。
ヒセラに付き添われて退出すると、すぅっとジェレミアの表情が変わる。
「今日、オーヘン家がきました」
執務モードに切りかわった彼女に、淡々となるよう注意しながら、今日のことを伝えていく。
ああいう態度をとりはしたが、彼らがくるだろうことは予測していた。
邸にきて、万一強硬な手に出られては困るので、アルフラッドが仕事に行き、それがオーヘン家に伝わるようにしておいたのだ。
前領主とのつながりが深い彼らは、最悪あの男に泣きついて邸に乗りこんできかねない。
そうなれば、ノウに気づかれずにことをおさめるのは難しいだろう。
義父とオーヘン家に挟まれれば、病み上がりのノウには負担も大きすぎる。
明日はジェレミアだということも、あちらにはわかるようにしておくつもりだ。
アルフラッドが駄目ならジェレミアに……と安直に考える可能性が高い。
それなら、明日はノウと距離をとったほうがいいだろう。
「なにかしでかしてくれれば、糾弾するいい機会なんですが……」
ちょっとした悪口程度では、注意することはできてもそこまでだ。
流石にオーヘン家も、そこまでをしでかすことはない。
小物だったからこそ、相談役から追い落とせたわけなのだが。
「まあ、実権は持たせていないから、政に手を出せないし……」
領地運営にちょっかいをかけられると困るのだが、そこまでの力はなくなっている。
だからこそしつこくアルフラッドにすり寄ろうとしているわけだが、今のところすべて逆効果だ。
あれでほだされると信じているなら、どれだけ脳天気なんだと思ってしまう。
娘を結婚させようと思っているのは事実だし、彼女はなぜかアルフラッドに執心だが──
あの男自身は、庶子の自分を下に見ていることは把握ずみだ。
ジェレミアは女だから、アルフラッドはぽっと出の領主だから。
だから自分が導いてやらねば──くらいのことは考えていそうだ。
どこからその実力に合わない自信が出てくるのかわからないが、真似したくもない。
「とりあえず私とあなたと、双方から突っぱねられれば、多少は引くでしょう」
「だと、いいんですが……」
「舐めてかかってくれればむしろ好都合よ」
前領主にべったりだった彼は、ジェレミアが代理を務めていたころは、ろくに近寄らなかった。
だからこそ相談役を消せたのだが、そのため彼女のこともよく把握していない。
せいぜい叩きのめしてほしいが、正直に言って彼女のやる気をさらに出すのもまずそうなので、よろしくお願いします、とだけ伝えることにした。