来客
「あの……領主様に来客です」
書類を分けて処理しはじめてしばらく。
控えめなノックの後に入ってきた従者は、傍目にも恐縮した様子だった。
なにごとかと不審げに眉を寄せたのだが、
「──オーヘン家当主、ダント様です」
名前を聞いて、深く納得した。
領主と面会したがる者は、当然だが多い。
そのすべてと会うわけにはいかないが、アルフラッドはなるべく分け隔てないようにしている。
正式な手順を踏んで面会の申請をしてくれれば、断ることはあまりない。
だが、オーヘン家からの申しこみはなかった、つまり、アポなしでの訪問だ。
本来なら帰ってもらうところだが、相手が相手だ、強く出られなかったのだろう。
「会ってくれるまで帰る気はないようで……」
身を縮めている従者は今にも泣きそうで、思わず気にするなと声をかけてしまう。
彼はまったく悪くない、どころか被害者といってもいい。
「カーツ、どれくらい時間を使ってからがいいと思う?」
話を聞いてすぐに出むいては、助長させるおそれがある。
かといって長く待たせて、他の者に当たられても困る。
問いかけるとカーツは、ひょいと書類を分けてくれた。
「これを片づけるくらいでいいでしょう」
なるほど、とうなずいて、茶だけ出して放置するよう伝える。
そして、カーツが置いた枚数の書類をきっちり仕上げて、ようやく椅子から立ちあがった。
面会のために用意してある部屋へ行くと、そこにはダントと、なぜか娘も一緒にいた。
場所柄をわきまえて地味めな衣装ではあるが、それでも一見しただけで高価そうだし主張が強い。
正直に言うなら、アルフラッドの好みではなかった。
「お約束もせず伺って申しわけない。今日いらしているかわからなかったので」
席に着くと、ダントはにこやかな笑顔で喋りはじめる。
事前に問いあわせればいいだけの話だし、ジェレミアだった場合はどうしたのか、少々気になったが黙っておく。
「それで、用件は」
もってまわった口上などどうでもいいので、すぐ本題に入る。
彼のほうもそこは慣れているので気にした様子もなく、まず深く頭を垂れた。
「先日のお詫びに伺いました」
横では娘も同じように頭を下げている。
「不慮の事故とはいえ、我が邸で起きたことです、本当に申しわけございませんでした」
一見丁寧な謝罪に聞こえるが、自分たちが悪いと思っているのかは疑わしい。
あくまで事故であって、自分たちに過失がないと表現しているのだし。
「お加減はいかがですか?」
それに、決してノウの名前を呼ばないし、奥方様とも言わない。
彼女を認めていないことは明らかで、どんどん不愉快になってくる。
「風邪を引いたから、今日は休ませている」
たいしたことはないと言えば、ダントはけろりと態度を変えそうなので、正直に伝えることにした。
「それはそれは……」
眉を寄せて、通りいっぺんの見舞いの言葉は、なんとも空々しい。
なにか贈りものをと提案されたが、もらいたくもないので突っぱねた。
ノウが知れば無碍にしないだろうし、礼の手紙まで書きかねない。
礼儀としては正しくても、アルフラッドには到底させたいことではない。
貴重な時間をそんなことに使わせたくなかった。
「──しかし、正直なことを申しますと、心配ですな」
難しげな顔をした男がぽつりと呟き、それからアルフラッドを見つめてくる。
なんとなく察しはついたが、とりあえず黙っていると、許されたと判断したのだろうか、残っていた茶を飲んでから口を開く。
「そのようなお身体では、妻のつとめを果たしきれないのではないでしょうか」
顔は気遣う姿を見せながら、ダントは滔々と持論を語りはじめる。
「視察などもありますし、なにより跡継ぎを産むのにもさわりがあるのでは……? クレーモンスは辺境ですが、由緒ある地です、絶やすわけには参りません」
つまり、無名に近い男爵家の娘、しかも傷があって簡単に風邪を引くような娘ではいけないと言いたいわけだ。
机の下に隠した右手をぐっとにぎりしめて、あくまで顔には出さずにおく。
「その点、我が娘は健康ですし、オーヘン家は領地が成ったころから仕えている身」
……なるほど、娘の売りこみはあきらめていないらしい。
それどころか、突然連れてきたノウなどとるにたらないと判断したのだろう。
ダントの隣では、娘が頬を染めてうっとり自分を見つめている。
ろくに会話もしたことがないのに、どうしてここまで執心なのか、正直よくわからない。
かつても見た目だけでたくさんの女性が群がってきたが、あの時とまるで同じだ。
たしかに己の容姿は整っているのだろう、だが、そんなものは簡単に変化する。
一年余り、慣れないながらも領主として努力したつもりだったが、その点をまったく評価されていない事実も気にくわない。
「領地のためにも、どうか聡明なご判断をいただきたく」
まるで、アルフラッドが聞き分けのない子供のような言いかたをする。
きちんと考えたからこそ、オーヘン家を追い落とし、ノウを迎えいれたのだが、いちいち説明する気はない。
「……娘のほうは、なにか言うことは?」
視線を隣にずらせば、彼女は目が合ったことだけを単純に喜んだらしい。
それまでは話に加われずいくらか不服そうだったが、驚くほどの変わりようだ。
「私、きっといい妻になれますわ!」
どこからくるんだその自信は、と喉まで出たが我慢する。
父娘そろってこんな状態なのだから、つくづく蹴倒しておいてよかった。
……だが、もっときちんと現実を見てもらわないと困る。
彼らはいまだに自分たちがクレーモンスにとって重要な存在だと思いこんでいるが、むしろ逆なのだ。
「──俺の妻への謝罪はないのか?」
意図せず低い声になったため迫力が出たが、この際かまうまい。
娘は一瞬ひるんだが、すぐに甘えた表情になる。
見上げる顔に潤んだ瞳は、騙される男も多いだろう。
「事故とはいえ、川に落ちてしまったことはおかわいそうだと思っています」
やはり事故という部分を強調してくる。
あくまで自分に責任はないと言いたいのだろう。
「傷を見せろと迫ったと聞いたが?」
だが、追及の手を緩めるつもりはない。
「──それは……見たところ傷がなかったので、アルフラッド様と結婚するためのウソかもしれないと……」
「結婚していて、俺が知らないはずないだろう」
実際は知らないのだが、そこはしらばっくれておく。
都でのことを知っていれば疑う余地もないのだが、そのあたりの情報はないのだろう。
と言うより、集めようという気がない、のほうが正解かもしれない。
「そ、それに! 本当に大きな傷があるのなら、それはそれでアルフラッド様の隣に立つには相応しくないですし!」
「────相応しくない?」
咄嗟に口走ったのだろうが、その言葉は怒らせるのに十二分だった。
さらに低くなった声に、娘も失言を悟ったのだろう、ひっと息を飲んだ。
目の前の娘はたしかに美しい、華やかなドレスも似合う容姿でもある。
首の空いた服も、腕を出すことだってなんら問題なくできることだろう。
比べればノウはいわゆる美人ではないし、服装も地味なことが多い。
先日の訪問時はずいぶん頑張っていたが、それでも地味に映ったのだろう。
「バカバカしい」
──本当に、その一言に尽きる。
家格だとかで分不相応という言葉が出ることはあるだろう。
だが彼女のそれは領地のためでも民衆のためでもなく、あくまで自分本位によるものだ。
それでノウを貶めるなど、到底許せるわけがない。
「俺の妻はノウだけだ。これに関しては譲る気はない。──彼女に悪い影響を与えそうだから、今後の誘いは断らせてもらう」
「わ、我々はあなたのためを思って……!」
「それが迷惑だと言っている」
きっぱりと告げると、ダントは沈黙した。
話は終わりだと手をふると、渋々といった様子で立ちあがる。
やっと帰ってくれると思っていると、最後にくるりとふりむいた。
「あなたのご両親の件もあります。……我々はお待ちしていますよ」
まだ娘は若いですから、と添えて出ていったその背にものを投げなかった自分を褒めてやりたい。
同席していたカーツが、なんと声をかけていいか視線だけをよこしている。
「アレと同じように心変わりすると言いたいのか」
「……そういうことでしょうね」
答えづらいだろうに律儀にうなずいてくれるカーツは、完全に貧乏くじだ。
周囲の意見を聞かず、強引に結婚を押し通した──たしかに事実だけ抜きとれば、己の父と同じような行動だ。
だが、同一視されるのはたまったものではない。
「……やっぱり潰すか」
ジェレミアを止めたばかりだが、やはりあんな存在は残しておくべきではない。
ぼそりと呟いたアルフラッドの独り言を、カーツはとりあえず黙殺した。